日南河さんは縦笛の低音が押せない
「三万円んんんんん!?!?!?!?」
「声がデカい。口にウ◯コ入れんぞ」
「お、おう……」
いや、何でだよ。0の数がおかしいだろよ。二つ多いぞおい。原価高騰とかそれ以前の問題だろよ。
「申し訳ねぇなあ、とかさ。すまんなぁ、とかさ。なんか人間的な罪悪感に苛まれても良さ気な気がするんだけどなぁ〜」
「ぐっ、ぐぬぬ……」
そりゃあ、三万は痛ぇだろよ。三万だぞ? 俺のバイト何日分だよ……てか何日も働いていて水着一着とかヤバいだろ。労働基準監督署は何してんだよ……。
「一日しか使わないのは勿体ないよなぁ〜」
「……」
「て、な訳でだ」
サッと照がチケットを取り出した。表面にはプールの絵が描いてあった。
「スポンサー様の遺産だ」
「は?」
なんで死んだモブ夫氏が?
「自分には必要無くなったから俺にくれたんだが……お前にやる。いや、贖罪として行け」
「……」
一枚二名までの入場無料券。タダなら喜んで行くが、相手が天ヶ崎嬢ではちょっと……。
「まりえさんは誘うなよ?」
「なっ!」
「たりめーだろ。償いにならん」
「──てか、てかだ!」
いい加減聞きたかった事をぶっ込まざるを得ない。
「何故買った!?」
「アホ」
アホにアホと言われた。これ程落ち込む事はあるまいに。
「言わないとわからないのか?」
「……」
「耳を押さえるな」
「いやじゃ」
「聞けよ」
珍しく真面目な照のアホ面に、仕方なく耳のガードを解く。
「お前に見せたかったからだろが」
「……三万も使うなよ。勿体ない。四日もバイトして水着だけとか健康に悪いだろ」
「奴は二日で三万だ。イベントの売り子でな」
「なんだよそのバイト俺にもやらせろよ」
「可愛くない男はダメだろ」
「男女雇用機会均等法はどこ行ったんだよ」
「奴なら俺の隣で寝てるよ」
「寝取るなよ」
一笑いした後に、ふと真面目に考えざるを得なくなった。
「俺に三万使う価値があるか?」
「奴はあると思ったんだろ。俺には理解しがたいがな」
「うっせ。てかグラビアの事漏らしたのお前だな?」
「そら俺しか居ねぇだろよ。他から漏れたら逆にこえーよ」
「……て事は、だ…………お前、天ヶ崎嬢とグルか!?」
「アイツはな……従兄妹なんだ」
「……?」
「いーとーこ! 母親の妹のむーすーめ!」
「なん……だと!?」
「てな訳で行って来い」
「説明が雑ぅ!」
「ま、俺はお前がどっちを選ぼうが気にしない。ただ、幸せになれ」
先輩面して肩を叩く照の頬をぶっ叩き、俺はチケットを受け取った。
「待った?」
「15分くらい」
プール施設の正面で待ち合わせ。天ヶ崎嬢は腕がガホガホした服を着てきた。サンバかルンバを踊る人が着るようなやつだ。
「ゴメンゴメン」
「大丈夫。ログインボーナス漁ってたから」
「なにやってるの?」
「バズトラ」
「あ、前にやってた」
「その他諸々六作品」
「やりすぎ」
「いや、ログインボーナス貰うだけ。ゲーム自体は飽きてる」
「だよね、飽きるよね〜」
そんな話をしながら、更衣室前で分かれる。女子更衣室は通路の一番奥だ。先にプール入口で待つ。
「お待たせ」
「5分くらい待った」
「ゴメンってば〜」
天ヶ崎嬢は海と同じギャルが着るようなジャラジャラした水着でやって来た。視線が天ヶ崎嬢に集まってゆくのがすぐに分かった。
「龍樹」
「うん?」
「照に言われて誘ってくれたんでしょ?」
「あ、はい」
全てお見通しだった。まあ、誤魔化しても仕方ないので正直にこたえる。
「な、なんで着てきたの?」
「龍樹が褒めてくれるかなって──って何処行くの!?」
待て待て待て待て!
思わず逃げてしまったが、とんでもない発言が出たぞおい!
ちょっと落ち着こう。深呼吸だ。
「ヒッ、ヒッ、フーッ……よし、行くぞ」
天ヶ崎嬢の所へと戻る。そして一瞬の隙を突いてナンパ師が群がっていた。
「ゴラァ!! ワレェ!!」
「龍樹♡」
ナンパ師から逃げる様に天ヶ崎嬢の手を引いてプールエリアへ。
「三万もする水着って着心地的にどうなの!?」
「素材が違う感じ。大事なのは着心地よりも……龍樹」
「!?」
「龍樹は私を見て、どう思う?」
「ど、どうって……」
早足で歩きながら、プールサイドで立ち止まる。
「あのグラビアアイドルと私、どっちがいい?」
「どっちって……」
「龍樹」
「なんすか」
「私は龍樹の事、好きだよ?」
「──なっ!」
脳に計り知れないダメージが入った。
「な、何でっ!?」
「アイスが食べたいな」
「何故!?」
「買ってきて、ね?」
露天を指さされ、とりあえず頭真っ白なままフラフラと向かう。
いきなり好きとか言われてアイス買いに行かされて何なんだこれは……。
「ほい」
ほんのりマンゴーのカップアイスを差し出した。
「どうしてこれにしたの?」
それ聞くんかい。食べたい味があるなら先に言いなさいなこら。
「甘さ控えめで手が汚れない様にスプーンで食べられて多くても後で食べられるカップアイスを」
「そ。アンタのそういう所が好き」
「はっ!?」
「前に甘さ控えめが好きなの覚えてて──って何処行くの!?」
──ボチャン
思わず逃げてしまったが、どうやら天ヶ崎嬢は俺のことを買い被り過ぎな様な気がする。
俺は特に秀でた物も無く、成績は普通で運動は普通以下で、特になんも無い凡人で……うん、そろそろ息が辛くなってきた。
──ザバァァ
「ワレェェェ!!」
「龍樹♡」
ナンパ師を追っ払い、濡れたまま天ヶ崎嬢の手を引く。
「そ。そういう所が好きなの」
「そうですかそうですか」
「たーつき♡」
「──んのほぃ!?」
後ろからガバっと抱きつかれた。思わず思考と体が緊急停止した。当たってます。ビデオ判定の必要無いくらいハッキリと当たってますね。
「日南河さんには無理だよね」
何故まりりんの名前が──!?
「ほれほれ、好きにしていいんだぞ〜?」
「──!?!?!?!?」
痴女かよ! 痴女なのかよ! 痴女じゃないですか!
「知ってる。胸押し付けられて揺らがない男は居ないって」
とんだ策士! 痴女孔明!
「ほらほらほらほら」
「!?!?!?!?」
いかんいかんいかんいかん!!
三顧のおっぱいの礼はダメだろ!
劉備・チチスキーナ・玄徳もこれには荊州を渡さざるを得ない……!!
「待った! 待った待った待った待った!」
「待たない」
「待ったー!」
たまらず離れる。何が起きたのかは分からないが全ては公明の罠に違いない。
「待たない♡」
「──!?」
正面からハグを食らった。既に大脳からの通信は途絶えて久しい。
「こ、これ以上はダメな気がします……!」
「もう一押し?」
「困ります困ります困ります困ります」
「あ、バグった」
それからしばらく口から白い煙が出ていたが、程なくして開放された。
「……んっ、よっ、んーっ……!」
まりりんがリコーダーの一番下の穴を押さえられずに困っていた。手が小さいので仕方ない事だ。
「代わりに押しますか?」
「んーん、大丈夫」
指を精一杯伸ばすが、だいぶ足りていない。
「こ、小指がつりそう……!」
「代わりに押しますか?」
「それじゃあテストに合格出来ないよ〜」
音楽の授業すらまりりんに優しくない。
だからせめて俺だけはまりりんに優しくしたい。
「龍樹くんは合格出来そう?」
「とりあえずそれっぽくピロピロピロピロしてれば大丈夫かと」
「ちゃんと練習して下さいね?」
「あ、はい」
課題曲自体はそれほど難しい訳ではないのだが、穴を全塞ぎする低音部分が確実に小柄なまりりんを殺しに来ているので、全国のリコーダー職人には是非とも穴の位置を修正して頂きたい。もうちょい上に詰めろ。それかオカリナみたいに横に広げてくれ。
「ところで龍樹くん」
「はい」
穴を粘土で塞ごうかと思った矢先、まりりんが笛を置いた。分解し掃除を始めた。その長い棒ってそうやって使うんですね初めて知りました。
「この間、天ヶ崎さんと何処かへ出かけましたか?」
「……」
なんという事だ。何故か天ヶ崎嬢の事をまりりんが知ってしまっている。だがやましい事は何一つ無い。素直にこたえれば宜しいのだ。
「……ええ」
「前から気になっていたんだけど、龍樹くんと天ヶ崎さんって……その、付き合ってるの?」
「いえ、違います。そこはハッキリと違います」
「そうなの? ふーん……」
まりりんから冷やかな視線を頂戴してしまった。何か勘ぐられている様で妙な気分だ。まりりんの気分を害した俺には死刑すら生温い。
「あ、あのー……まりえさん?」
「あんまり私に構うと、天ヶ崎さんに怒られるんじゃない?」
「──!?」
まりりんがそっぽを向いてしまった。
なんという事だ。
まりりんがそっぽを向いてしまった!
「…………」
最早これまで……。
俺は無言で頭を下げてまりりんから離れた。