日南河さんはアヒルボートを漕げない
スワンボート無料券。そんな物で釣られる俺ではない。
「日南河さんも来るってよ」
「行くしかねぇなオイ!」
照の従兄弟の兄貴が働いている湖畔の店のなんたらのアレで回ってきた無料券を手に、いつものグループで出掛ける事になった。
「うわぁ、思ってたよりでっけぇ……」
二人乗り用のスワンボートは、軽自動車くらいの大きさで、自転車ですらしんどいのに、本当にコレ進むのかってくらいの代物だ。
例によって知らん男女が数人と、何故かモブ君も居た。
「照君 どうして彼が 居るのかな?」
「彼のお姉さんが湖畔のレストランで働いていて割引券を貰った流れでそういう事だ」
サッと出された割引券には『優待券50%OFF』とでっかく書かれていた。
「スワンボートは一回400円。昼飯半額はそれ以上。彼には頭が上がらない。オーケー?」
「う、うむむ……」
さっそくスワンボートを堪能することになったのだが、照のアホーが待ったをかけた。
「男子が先に乗ってから女子には後ろを向いてもらっていて、後からどれに乗るか決めてもらおう」
「は?」
まりりんとスワンボートを決め込もうとした矢先に出鼻をくじかれ、ちょっとイラッとした。コイツ、俺がまりりんと乗りたいの分かっててやってねぇか?
「俺はまりりんと乗る」
「クジを引かん奴は割引券が無いと思え」
「一切に従います」
俺、モブ、知らん奴等が先にそれぞれ乗り場へと向かった。スワンと言いながらアヒルとかカメのボートがあるのは御愛嬌なのだろう。
「……」
俺は無言でアヒルを選んだ。まりりんなら可愛いアヒルをチョイスするに違いない。
「あ」
「え?」
俺のアヒルへ乗ったのは、天ヶ崎嬢だった。
ま、まりりんは……!? まりりんはいずこへ!?
「……」
辺りを見渡し、カメボートの助手席にまりりんの姿を発見。カメだったかぁぁぁぁ。確かにカメも可愛いもんなぁぁぁぁ。
「なにしてるの? 行こ?」
「お、おう……」
仕方なく漕ぎ出す。しかしメッチャ足で漕いでるのに進みが遅くて、凄まじい違和感。
「自転車と違って進まないから違和感が凄いな……」
「そうなの?」
助手席でまったりとこっちを見る天ヶ崎嬢の足は1ミリたりとも動いてはいない。コイツ……端から漕ぐ気ないな!?
「いい天気だね」
「そうですね」
漕ぐのに必死で会話どころではない。
「そんなに本気で漕がなくてもいいじゃん」
「え?」
「足離しても浮くんでしょ?」
「……まぁ、まあ……確かに」
そう言われ、足を離した。既に太ももが悲鳴をあげている。帰りは大丈夫だろうか?
「それなりに離れてればいいよ」
「え?」
「日南河さんの事、好きなんでしょ?」
「え?」
「見てればすぐに分かるって」
矢継ぎ早に謎の会話が飛んできて、正直思考回路がショートしている。
「いいなぁって」
「え?」
「そんなに好かれて、いいなって」
「え?」
アンタが一番チヤホヤされてるじゃないですか。
「あいつ等は違う。自分をよく見せたいだけ」
「え?」
「天ヶ崎さーん!」
すぐ近くで知らん女子を乗せたモブ太郎君が、全速力でアヒルボートを追い越していった。
「どうですかこの速さは!?」
「ね?」
天ヶ崎嬢はニッコリと笑い手を振って、モブ太郎君をやり過ごした。
「告白しないの?」
「ぴゃ、何をいきなり何をいきなり何を」
「日南河さん可愛いから意外と男子人気あるんだけどな」
「なっ!」
「早くしないと取られるんじゃないかな」
「別に俺は日南河さんと、どうこうとかじゃなくて──」
「そうなの?」
グッと天ヶ崎嬢が身を寄せた。なんか知らんがいい匂いがした。現代化学の結晶とやらに違いない。
「日南河さんの事好きじゃないの?」
「いや好きとか嫌いとか寿司とか魚肉とかじゃなくて」
「なんなの?」
「……お、推し。そう。推し……です」
「ふ〜ん」
なんで湖の上で言い訳せなならんのだ俺は……。そもそもこれはなんなのだ。これは。
「じゃあさ、日南河さんに好きな人が居たら……どうする?」
「ゑ?」
いま……なんて言った?
いま……なんとおっしゃった?
いま……なにを申されましたか?
「ど、どうするって言われたって……ねえ?」
やだよ。
すっげーやだよ。
絶対にお断りだよ。
「ね? 嫌でしょ?」
「え?」
「顔に書いてあった」
「……」
「このボートも本当は日南河さんと乗りたかった。でしょ?」
「……」
「大丈夫。午後、もう一回乗る予定だから」
「えっ、そうなの?」
それはそれで太ももが心配だが。
「日南河さんにはアヒルに乗るようにコッソリ言っておくから。ね?」
「え?」
「上手くやるんだぞ?」
「え?」
「さ、そろそろ時間だから戻ろ」
「え?」
天ヶ崎嬢がボートを漕ぎ出した。俺も慌てて漕ぎ始めた。
昼飯はナシゴレンを頼んだ。
『ナシゴレン』ってなんだ? と思いナシゴレンを頼み、ナシゴレンってこんな料理か! と思いナシゴレンを食べ、味は……あまり覚えてはいない。
「龍樹くん、宜しくね」
「イエッサー」
午後の部は、天ヶ崎嬢の誘導通りまりりんとアヒルボートを決める事が出来た。まったりとした時間だけがボートを包む。
「ごめんね、足が届かなくて」
「大丈夫です。想定の範囲内です」
お約束どおり、まりりんの分も漕ぐ。太ももには逝ってもらおう。殉職で二階級特進は間違いなしだ。
「龍樹くん龍樹くん! 見てみて、魚!」
「釣りも出来る湖だからそこそこ種類が居るらしいですよ」
「そうなの? すごーい!」
はしゃぐまりりんに俺は癒やされまくりだが、ずっと天ヶ崎嬢の言葉が気にかかっていたのも確かだ。
「まりえさん……」
「ん? なぁに?」
スマホのカメラで写真を撮るまりりんが、顔だけをこっちへ向けた。
「ま、まりえさんって……その……えーっと……」
「ん? なになに?」
「す、すすすすすす好きな人とか居るのかなって……その……」
「んーん、居ないよ」
まりりんはすぐに顔を向こうへ向け、撮影を再開した。世界は救われた。万が一まりりんに何かあれば俺は世界を終わらせなくてはならなかったからだ。
「龍樹くんあの鳥なにかな!?」
「なんですかね。スズメやカラスではないことは確かですが」
「サギだって! スマホで撮影したら出てきた!」
「便利ですねぇ」
軽くぶれた写真を見せながら、特大の笑顔ではしゃぐまりりん。そんなまりりんと同じ空間に居られる幸せに、俺は素直に感謝した。
少しでもまったりしたくてアヒルボートをゆっくり漕ぐ。その前を全速力モブスワンが横切った。天ヶ崎嬢を乗せたアイツは幸せを感じているのかと疑問に思ったが、人の事を気にしていられるほどの余裕は俺には無かった。
「龍樹くん、ありがとう」
「お役に立てれば何よりです」
無事に地上に帰還し、ボート乗り場からまりりんの足が遠ざかったのを見て、天ヶ崎嬢がそっと話しかけてきた。続いて意気消沈したモブ君が、まるで死人の様な顔をして下りた。コイツ……まさか。
「日南河さんとなにか話した?」
「……率直に好きな人が居るのか聞いてみた。いや、それしか聞けなかった」
「ふーん……で?」
「別に居ないってさ」
「……そ。つまりそれって、龍樹の事も好きじゃないって事だよね?」
「──え?」
おい待て。
さっきまで喜んでいた俺はなんなんだ。
──いやいや、まりりんが幸せならそれで良いはずだろ。
……良いはずだろ。
「天ヶ崎さんに嫌われた……天ヶ崎さんに嫌われた……天ヶ崎さんに……」
ブツブツと念仏を唱えるように、モブ君が死んだまま通り過ぎた。まるでゾンビだ。
「アレは……?」
恐る恐る聞いてみる。
「なんか告って来そうな気配がしたから先に切った」
「……」
「好きになるのは勝手だけど、わたしはアンタのこと何とも思ってないって。勝手な期待だけは止めてって」
「……」
凄まじい死刑宣告だ。俺がモブ君の立場ならスワンボートから飛び降りて溺死コースだ。
天ヶ崎嬢に撃墜されたモブ君には少しばかり同情せざるを得ない。
「そしたら、あんなんなった。だから嫌なの。勝手に好きになって勝手に落ち込んで。こっちの事なんか気にもせずに……」
天ヶ崎嬢はそのまま歩き出した。
俺は少し距離を取ってから歩き出した。
なんでだろう。いつまでもあのままで良かったのに……。
日南河さんは俺のこと、どう思ってるんだろう。
そんなこと、今まで考えた事も無かった。
一度考え始めると底なし沼の様に沈むばかりだが、その先を知るのがとてつもなく怖かった。俺もモブ君と同じ様に、いつか死にゆく定めなのだろうか……。




