日南河さんはペットボトルの蓋が開けられない
「曇り空だってのに、この暑さはおかしいぞこら……」
日本は人類が住むには不向きなのではないかと思い始めてから、既に十年近く経っている気がする。
家から持参した麦茶のペットボトルは既にその戦力を半分程を失い、今日一日を耐えしのげるか実に不安だった。
「むむ、俺のまりりんレーダーに反応が……!!」
昇降口にて、まりりんが自動販売機の前で何やら悩ましい顔をしていた。
「まりえさんおはよう」
「おはよう龍樹くん」
「何にするの?」
「うーん……」
腕を組み、ぐわっと目を見開くまりりんは、途轍もなく愛おしい。
「決まらない」
「ハハ」
我が校に設置されている自販機は缶が100円、ペットボトルが120円と実にリーズナブル。が、その分やや問題が……。
「どれも微妙……」
「だよね」
ラインナップがいまいちなのだ!!
メジャー製品がほぼ無く、何処で売っているのか分からないような謎飲料水ばかりが並んでいる。
味はまあ普通から鬼マズまでと低水準で、全商品を網羅した奴は今の所一人しか見たことがない。
特に【抹茶おしるこカプチーノ(微炭酸)】は開発者の舌が異世界出身としか思えない程に不味く、罰ゲーム御用達とも云われている程だ。
「やっぱりいつものかな」
「だよね」
地味な見た目の無難なスポーツ飲料水を選んだまりりん。ペットボトルを拾い上げてその冷たさを頬へと押し当てた。ほっぺがむにりと凹んでドチャクソ可愛さがあふれ出す。
上のボタンに手が届かないとか、そういったまりりんいじめは校内に存在しない。ボタンでも選べるタイプの自販機だからだ。が、ちょっとだけ手が届かなくて背伸びするまりりんを見たかった事も確かだ。許して欲しい。
「よっ……」
涼を堪能したまりりん。ペットボトルの蓋に力を込める。
「んっ……」
ミス。蓋にダメージを与えられない。
「ぬにに……!」
渾身の力で蓋を回すが、手が滑り蓋が開けられない。修羅の如く怒りを顔に出すまりりんだが、その顔ですら実に可愛らしい。
「開けますよ」
「もっかい。もっかいだけ頑張らせて」
健気。まりりんは実に健気だ。そこがいい。
「くぅ、おりゃぁっ……!!」
どれだけ勢いをつけようが、ペットボトルの蓋は回らなかった。
「どれ」
まりりんからペットボトルを受け取り、さっくりと蓋を開けてあげる。
「どうぞ」
「かたじけない」
武士の如くペットボトルを受け取ると、その可愛い口で飲み始めた。
「そなたは命の恩人である。面を上げい」
「いえいえ、お役に立てて何より」
武士から殿様へとクラスチェンジしたまりりんと並んで教室へ入ると、先に来ていた自販機網羅マンこと照が俺を静かに手招きした。
「今週末、暇だろ。ちょっと手伝え」
「まあ! 照クンったら嫌ザマス! わたくしを何だと思っているんでザマス!?」
露骨に嫌な顔を向けてやったが、大抵コイツの手伝いだの顔出しだのは良いことが少ないのも確かだ。
「……実はだな。皆で川縁に行ってBBQをしようと思っててな」
「べーべーきゅぅぅぅぅ〜? しかもこんなクソ暑い夏にぃぃぃぃ?」
「おいおいそんな顔をするなよ。ちょっと荷物運びをするだけで良いんだ。会費は安くするし、何より女子も来るぞ!?」
ばーべきゅーとやらで人を釣ろうだなんて、百億年早いわい。そんなリア充御用達なイベント願い下げだね。行ってられるか。
「……まだ誘ってないが、日南河さんも候補に入れてある」
「ハハハ! 全く照君は水臭いな! 俺と君の仲だろう!? 何でも手伝おうじゃないか! フハハハ……!!」
「まあ、いいや。じゃあ頼んだぞ」
「おう! 荷物でもお荷物でもドンと来い!」
まりりんとべーべーキューが出来るだなんて……嗚呼、人生ここに極まれり……!!
「……おい、まりりんが不在なるぞ? 申し開きするなら今ぞ? 今宵、拙者の村雨は血に飢えておる故にな。今なら紫ゲージよりも鋭く斬れるぞ? ん?」
バーベキュー当日、俺は死ぬほどこき使われた挙げ句、お預けを食らった犬の様にしょんぼりとしていた。
川辺には俺と照を始め、同学年の男女が七人程居て肉を焼いたりしている。四天王最強の天ヶ崎嬢も居り、さもしい男子達天ヶ崎嬢の気を引こうとあの手この手で接触を試みている。
相変わらずこれだけ集められる手腕には驚かされるが、肝心要のまりりんが居ないのでは来た意味が無い。
「用事があって少し遅れてくるそうだ」
「うむ、苦しゅうない」
荷物運びに飽き足らず、照は野菜の切り分けや片付けすらも俺に振ってくるので、ずっと働きっぱなしの俺は未だに肉の欠片すらも口に入れては居ない。
「龍樹ー、野菜が不揃いだぞ。もう少し精度を上げてくれー」
「その辺の草でも食ってろ!」
悠々自適に肉をつつく照の皿に、焦げきったオニオンリングを投げ込んでやった。
「おい!」
「誰にも食べて貰えないオニオンリングちゃんの想いを受け止めてやれよ!」
「知るか!」
「このオニオンリングたらしめ!」
ある程度時間が進み、俺はいつまりりんが来ても良い様に、まりりん用に肉と野菜の良い部分を残しておいたのだが、中々まりりんは姿を見せなかった。
「そんな顔するなよ」
「そんな顔してたか?」
川で水遊びをしていた照に肩を叩かれる。川は水深30cmも無いので、どう頑張っても溺れる心配は無い。水も綺麗で魚も泳いでおり、罠でも置いておけばそれなりに獲れそうな程だ。
天ヶ崎嬢も川に入り、その周りには飢えた男子共で溢れていた。こないだのモブ君もせっせとその他大勢に混じってはポイント稼ぎに勤しんでいる。アイツらには是非とも頑張って溺れて欲しい。
俺は何時まりりんが来ても良いように、一分の隙も無くスタンバっている。
「──ご、ごめんなさーい。遅れました~!」
「まりりん来た! これで勝つる!」
まりりんが現れたのは、バーベキューもほぼ終盤の頃。
てこてこ、とゆったりと走って来て(本人的には全速力)は皆の笑いを掻っ攫っていった。後で笑った男子共は川の藻屑にしてやろう。
「ごめんなさい!」
「大丈夫。まりえさんの分もちゃんと残ってるよ」
俺が声をかけるよりも早く、照がまりりんにウインクをした。後でその片目を潰してやろう。独眼竜として生を謳歌するがいい。
「ほれ、良いやつ隠してあるんだろ?」
「えっ、ああ」
この野郎。こっそり隠していたまりりん用の特上を見抜いてやがったか……。
「えっ? ありがとう……!」
「じゃあ、楽しんでいってね」
照はそのまま川の方へ向かい、他の女子達と戯れ始めた。
残された俺とまりりん。俺のやるべき事は一つだ。網を新品に取り替え、肉と野菜を焼き始める。ジュースを注いでドリンクホルダーへ。なるべく重い物は固定するに限る。そして大事なのが椅子。これがあれば立ちっぱなしにならずに大丈夫!
「なんか至れり尽くせりでゴメンね」
「いえ。今日はこれが俺の仕事ですから」
まりりんの肉を焼くことに全力を尽くす。僅かたりとも焦がしてはいけない。今日、この場で食べる肉と野菜がまりりんの血や肉となる事を考えれば、最善を尽くす事は至極当然……!!
「まりえさん。抹茶バニラアイスもあるよ」
「ほんとっ!?」
子どものように目を輝かせ、クーラーボックスから満を持して飛び出した抹茶アイスに、まりりんが喜びの声を上げた。買い出しに付き合わされた時にこっそりねじ込んだ、まりりんの大好物だ。
「おいしー♪」
特大のポスターにしたい程に愛おしい表情を見せるまりりんに、俺はその日の苦労を全て忘れてしまう感覚を覚えた。
「あ、それCMバズった抹茶アイスだよね? 私も好き」
いつの間にか居た天ヶ崎嬢がまりりんに話しかけた。その手には川で掴まえた小魚が握られていて、ビチビチと身体をくねらせていた。素手で掴まえたのか?
「うん! 美味しいよね。龍樹くんに貰ったんだ」
「へー。いい趣味してんじゃん」
天ヶ崎嬢の声に反応したその他大勢(モブ君含まれる)が、一斉に俺を睨み付ける。憎悪の念だけで俺を殺そうとするが如く、圧が凄い。アイツら人の家に爆弾とか送ってくるタイプだぞきっと……。
「主だ!」
と、川ではしゃいでいた照が声を大きく叫んだ。指差した方向には、とんでもなく大きな魚が水面から跳ねては水音を立てている。
「お魚さん!」
巨大な魚に気を取られ、まりりんや皆が川へと駆けよっていく中、天ヶ崎嬢だけがジッと俺の方を見続けていた。
「わ、私もアイス……欲しいな」
ねーよ。
──と、言いたいが、実はクーラーボックスの中に一つだけある。俺が最後に食べようと買っていたコーンタイプのチョコアイスだ。
物欲しげな顔をした天ヶ崎嬢に、仕方なくチョコアイスを差し出すと、「私コレ大好き! 甘さ控えめで良いよね」と声を上げて受け取った。出来ればあまり大きな声を出さないで欲しい。気付かれたらモブ君に殺されそうだ。
「あ、でも全部は多いかな……」
包みを外した後で、天ヶ崎嬢がとんでもない発言をした。食い切れないなら貰うなよコラ。
「ん、美味しい……あ、後はあげるわ」
一口だけ囓られたチョコアイスを渡され、川へと走り出す天ヶ崎嬢。食べかけを人に渡すとか、ちょっと義務教育が足りてるか心配だぞおい。まりりんの食べかけなら間違いなく国立博物館に真空パックで寄贈するのに……まあいいや、囓った所は箸で削いで食べてしまおう。
「む、肉がそろそろ」
一寸たりとも焦がさない事を前世で契約済みの俺は、素早く肉を野菜の上に載せ、まりりんの帰りを待ち続けた。下の焦げたオニオンリングは、後で照の口の中へと押し込んでやろう。恋い焦がれたオニオンリングちゃんの想いで胸を焼くがいいさ。