通常業務
今日も店内の掃除から一日が始まる。これは何も宮城あかねだけに限ったことではない。TTSに勤める者全員が行うことだ。
店内を清潔に保つことは募集要項にも明示されていたし、大学時代の友達に話すと「清掃は別の人雇うよね、普通」と顔をしかめられたとしても大した問題ではない。
接客を任せられている宮城達は、店内を丁寧に掃除するが、一箇所だけ触れることが出来ない場所があった。
この店舗の要となっているタイムトランスポートの機械だ。宮城はそれが不満だった。
操作はおろか清掃でさえ禁止されていた。この機械に触れることが出来るのは、技術班のメンバーだけなのだ。技術班は全員で何名居るかわからないが、そのうちの三名が持ち回りで店舗に来ていた。
三人はいずれも無愛想で仕事以外の会話はしない。初めのうちはお茶やコーヒーを淹れましょうか、と伺っていた宮城も素気無く「お構いなく」と言われ続ければ、今はわざわざお伺いすることもしなくなった。そもそもいつの間にかフロアマネージャーになっていた宮城がお伺いするような相手もほとんど居なくなっていた。
宮城が入社したての頃は、この三人ではなく岡山という技士が来ていた。
岡山はブラックコーヒーを好んでおり、宮城が「何か飲みますか?」と尋ねると、ハの字に垂れ下がった白髪交じりの眉を更に下げて「ではブラックを」と言うのが常だった。
眉毛だけではなく髪も白髪交じりで自分の父親に近い年齢のようにも見えたが、どこか少年のように目を輝かせて機械をメンテナンスする姿はもう少し若いようにも思えた。
何がキッカケだったか忘れたが、同じ干支だと知る機会があったのだが、それでも一周り違いなのかそれとも二周り違いなのかはまったく判別がつかなかった。
まだ他に誰も来ていない朝のその一杯のコーヒーを飲む間だけしか雑談をしなかったので、結局年齢は聞きそびれたのだ。
干支の話のように他愛もないお喋りもあれば、タイムトランスポートの概念やら理論やらの話をまるで大学の講義のように語るときもあった。
ふとした時に洩らした岡山の話では、未来に干渉する部分のプログラムは既存のプログラム言語では書かれておらず、研究所の所長だけが理解しているブラックボックスになっているそうだ。
実行ファイルは何故かコピー出来ず、所長独自の言語で書かれたプログラムファイルをコピーしてもコンパイル…実行ファイル化する方法が解らない。ある程度の法則性を見出す事が出来て既存のプログラム言語で予想される命令文を書いてみて動作を確認する事も現実的では無かった。そもそも未来と時間を繋ぐ命令文が他の言語に存在しないのだから。
正直、文系の宮城にはチンプンカンプンな話だったが、そのブラックボックスのせいでこの機械はこの一台しかないということは分かった。
だからなのか岡山はこの一台をとても丁寧にメンテナンスしていた。時には一部分解しながらも埃を取り除いていく。
後釜の三人は表面だけを拭くような雑な掃除しかしない。我が子のように機械に接していた岡山を思い出すと、宮城にはとても許せなかった。
せめて掃除くらいさせてくれてもいいのに、と強く願ってしまう。
だからといって壊れてしまった時に責任が取れるのかと言われるとそれも出来そうにない。大人しく引き下がるしか無かった。
もし宮城が岡山からそのブラックボックスの話を聞いていなかったならば、臆せず機械に触れることが出来たかもしれない。そんなことを考えてしまう事もあった。
だけどそれは自分を怖いもの知らずにするだけでしかない。
宮城にTTSの事を教えてくれた唯一の人である岡山は、ただならぬ雰囲気の強面が迎えに来たあの日から、パッタリと姿を見せなくなったのだ。
どこかのヤミ金で借金でもしていたのだろうかと震えたが、後釜の技士のうちの一人から新しい所長に就任したと教えてもらったので研究所で過ごしているのだろうと思う。
本当はもっと岡山の話を聞き出したかったのだが、岡山を連れ去った強面達を思い出すと、宮城も固く口を閉ざすしかなかった。
もし宮城がこの一台しか機械が無い事を知っていると明かせば、自分にも強面のお迎えが来るのではないかと怯えた。
何故か仕事を辞める事は考えられなかった。
そうしているうちに宮城は開業以来唯一残っている従業員になっていたのだ。
マネージャーなんて言われていても、ただ古株であるだけ。自分よりも後から入社して自分よりも先に退職していく人々を見送りながら、宮城は黙々と業務をこなす日々を過ごした。
平和な毎日に岡山の事は全く考えない日も増え、いつの間にか忘れてしまっていた。
それだけの年月が過ぎ、それなりに世間の認知が上がり顧客が増えたにも関わらず、やはり店舗が増えていない現状を思えば、岡山が零していた通り機械が増やせないでいるのでは無いかと、最近ふとした瞬間にそんな取り留めもないことを思い出してしまった。
「あかねさん、そろそろ開店時間ですよ」
急に溢れ出た記憶に戸惑っている宮城に、新人の女の子が声を掛けてきた。宮城は慌ててカウンターを拭いていた雑巾を片付け身だしなみをチェックする。
忘れていた記憶が徐に引き出されたのは、このおっとりと微笑んでいる新人のハの字に垂れ下がった眉がどこか岡山を彷彿させるからかもしれない。
最初の来客が訪れて店舗の自動扉が開くと条件反射であっと言う間に記憶を閉じていく。
にこやかな笑顔を顔に貼り付けると、自然と背筋も伸びた。
「いらっしゃいませ。タイムトランスポートサービスへようこそ」
そして、今日もいつも通りの一日が始まった。