ハーブティー
遅刻してしまいました…すみません。
話しているうちに、自分が自殺幇助をしたのだと気付いて震えた。『これも法要だ』と言った秋田の言葉が脳裏に蘇る。I県の池に運んだのは馬酔木の一枝をノートの切れ端で包んだだけのものだったが、おそらくあれがタグだったのだ。
楕円の板が隠された様子は無かったが、タグに違いなかったのだと滋賀の直感が告げていた。
あの時に、滋賀が気付いていれば秋田は今も生きていただろうか、という忸怩たる思いが胸を締め付ける。
「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ?少し休憩にしますか?」
急に黙り込んだ滋賀を心配して紘子はそう言うと、「ハーブティー淹れてきます」と給湯室へ行ってしまった。
「まったく。自分の法要に花を手向けるなんて非常識な人だ……」
誰もいなくなった部屋の中で、椅子の背もたれに体を預け、両手両足をだらりと伸ばした状態で天井に向かってポツリと独白する。
文系の滋賀は、秋田教授から直接講義を受けていた訳では無い。
まともに話したのはあのインタビューの時くらいだ。
たったそれだけの縁でも、知り合いの死に関わった事に滋賀の心が震えていた。
目頭が熱くなりかけたその時、マグカップを二つ持って紘子が戻ってきた。
宣言通りハーブティーなのだろう。いつもは濃い目のコーヒーをブラックで流し込んでいる滋賀には嗅ぎなれない匂いが辺りに漂った。
「……雑草の匂いだな」
「ちょっ、滋賀さん。ヒドイですよ。レモンバームです」
「飲めない事は無いが…慣れないな」
「もう。これでも飲みやすいの選んだんですよ。レモンティーに似ているでしょう」
「それってレモンティーで良くないか?」
「っ!そうですね。次からはそうしますっ!」
「いや、コーヒーにしてくれ。濃いやつ」
そんなやりとりをしていると、目頭の熱さはいつのまにかどこかに行っていた。
ハーブティーよりも「リラックス効果があるんです」と拗ねている紘子とのこのやり取り自体が滋賀の心を軽くしたのだが、そんな事はわざわざ口に出したりしない。
ただ、マグカップの中身を残さず飲み干した。爽やかな酸味と僅かな渋みが染み渡る。
「ま、気分転換にはなったな」
「それなら良かったですけど…」
紘子はまだ拗ねていたようだが、滋賀の顔色が戻ったのを見て取って安堵の息を漏らしていた。
「でだ。今後の方針なんだが…」
岡山を助け出す方法を考えなくてはならない。
幸運にも、研究員で社長の孫でもある山口明彦の手引きが望めるのだ。勝算は十分にあるだろう。
「それもなんですけど…部長に早く原稿上げろってせっつかれているんですけど」
「あー。人命掛かってるって黙らせとけ」
「いやいやいや、無理ですよ。あの部長ですよ」
「ちっ。面倒くせぇなぁ」
「と、とにかく私書きますよ原稿。だから、山口明彦さんを紹介してください」
「そうだな。東京に来てもらおうか」
滋賀は顎に手を当てて思案すると、明彦に連絡を取った。
取材するにしても、岡山救出に手を貸してもらうにしてもI県に居たままというわけにはいかない。
結局、三日待ってくれという明彦に、そんなに原稿を待たせられないという紘子は電話で何やら話し込んでいた。
翌日、紘子が用意した草案は滋賀の思惑とは異なっていた。二人の意見は真っ向から対立したのだ。
もちろん、岡山を救い出す事に相違は無い。
ただ、TTSを潰すか潰さないかで揉めた。そして、紘子の記事の内容では、TTSを潰すには弱いのだ。
「何度も言うがTTSは潰した方がいい。この内容では駄目だ」
「部長は、滋賀さんは取材対象だって言ってましたよ。担当は私です」
「ここで息の根を止めておかないと、折角助け出した岡山や記事を書いたお前も危険になるかもしれないぞ」
「覚悟は出来ています」
そう言われてしまえば、滋賀が反論するのは難しい。
濁りのない真っ直ぐな視線が滋賀を射抜く。
そもそも、この事件に関する記事は紘子の担当なのだ。
滋賀からすれば甘い事この上ないのだが、自分の娘でもおかしくない年齢の小娘が考えることだ。
紘子の記事では、I県の池で見付かった秋田の遺体は自殺だった、という事実のみの公表だ。
秋田の人生を盛り立てて、自殺の経緯も手段も伏せたまま全てを有耶無耶の中に放り込もうとしている。三文小説にもならない内容だ。
読者は上辺だけの文字を辿り、紘子の思惑通り、よくわからないけど素晴らしい功績のある人が亡くなったんだな、と思わせれば良いと思っているかもしれないが、こんな記事はあの部長が許すはずがなかった。
一体何を取材したのだ、とボツを食らうのが関の山だと思う。
ボツにしてくれたらいい方で、場所が余っているからと採用されたら最悪だ。部長の中で紘子の評価は最低ランクで彼女のキャリアを傷付けるものになるだろう。
反面、岡山の救出に関しては、山口社長に裏顧客名簿をチラつかせて明彦に社長の座を明け渡すように迫るのだという紘子の案はそう悪いものではない。
裏顧客の記錄の存在は切り札にする為に記事には出来ないが、山口社長と福岡、他数名によるパワハラが秋田の自殺により発覚し経営陣の退陣を迫る、くらいまでは記事にする事でTTSのサービス自体は生き残る可能性がある。紘子の希望を活かす事が出来るのだ。