馬酔木
再び滋賀と合流すると東京へと戻ることにする。
利用者の少ないローカル線だからか、近くに誰も居なかったので、一通り警察や池の話をして進展が無かった事を報告した。
実質、何かありそうだったのは滋賀が引き出した検視官の話だけだった。不甲斐なさを誤魔化すように紘子は滋賀の話を促した。
「それで?」
「ん?」
「滋賀さんは何をしていたんですか?」
「いや。個人的な用事だ」
「ダミーの荷物、用意するんじゃ無かったんですか?」
棘のある言い方になるのはこの際、勘弁して欲しい。
滋賀は即答しなかった。沈黙と共に電車の走る音がやけに大きく聞こえる。
「馬酔木を」
このまま何も言わないのでは無いかと紘子が諦めかけて再度同じ質問をしようとした時、滋賀がポツリとそう溢した。
「あ……せ、び?」
「あぁ、春先には鈴蘭の様な白い小さな花が咲く」
今の時期は葉っぱのみだが、切り花に添えられて花束にすることもあるらしい。
花束と聞いて、池の側の献花を思い出した。
「あのユリの花束」
「そうだ。わざわざI県で買って持って帰らなくても東京で手に入ると気付いて置いてきた」
「そうですね。でも何で馬酔木なんですか?」
「三年前のインタビューの後に、秋田教授に渡されたんだ。自分はもう行く事が出来ないから、と花瓶に刺さっていた馬酔木を抜き取ってI県の池にでも投げ込んで欲しい、と」
「それって」
「ああ。あの池だ。あの時は池の近くまで行くことが出来た」
「秋田はなんであの池を指定したのでしょう?」
「さぁ?強いて挙げれば、池のある山の近くに俺達が行っていた大学があった事くらいだろうか」
大学がI県にある事は、記事を見直した時に見掛けた筈なのに、全然意識していなかったのは迂闊だった。
そういえば高台の道を走っていた時にそれらしい建物を見掛けた気がする。
滋賀の話だと、岡山が院を卒業した後に閉校してしまい、その後、建物はそのままに有効利用されては閉鎖しを繰り返して所有者も色々変わっていったようだ。
紘子が産まれた頃には既にキャンパスでは無くなっていたと聞けば、調べていたとしてもあの夜の数時間で把握出来ていたかは怪しい、と思い直し割り切ることにした。
それよりも馬酔木についてだ。
紘子の計画では、荷物を送った直後にキャンセルをして、窓口の技術者では対処出来ない状況を作り出し、岡山への問い合わせの電話でなんとか話をさせてもらおう、というものだった。
滋賀は、更に電話で話が出来なかった時の為に、岡山だけに伝わるメッセージとして、馬酔木を思い付いたそうだ。
インタビューの際一緒に居た岡山だったらきっと馬酔木に思うところがあるはず。秋田のニュースと結び付けて、滋賀に連絡を取ってくるかもしれない。
確かに紘子の方法では、岡山と電話で話せるかどうかは賭けでしかない。
少しでも可能性を高めるために出来る手は打っておいた方がいいだろう。
「池に置かれていた馬酔木は、百合の花束になっていましたけど、いっそうのこと馬酔木だけの花束にする方が岡山さんに伝わりませんか?」
「いや、おそらく岡山は監視されているはずだ。あまり露骨にすると監視者の方に伝わってしまうかもしれない」
出来上がった花束はやはり百合の入ったものだ。
その花束をかかえ、紘子は桜田通りへと向かった。
「いらっしゃいませ」
明るい声で出迎えてくれたのは宮城さんだ。フロアマネージャー直々とは恐れ入る。
宮城は、予め連絡していた為か素知らぬ顔で普通に接客してくれている。
あまりにも普通なので、忘れられているのかと思うくらい自然にサービス案内をしてくれていた。
だけど、まだ新人の宮崎がカウンターの奥で不安気な様子を浮かべた瞬間に目が合ったので、ちゃんと分かっている事が伝わった。宮崎は目が合った途端に自分が不安そうにしたのに気が付いたらようで、すぐに営業スマイルを顔に貼付ける。
指定日は五日先の午後五時にしている。もっと遠く離れた日付でもいいのだが、前倒しで商品を取り戻す事が出来ないなら指定日に届くだろうからあまり悠長な日時設定には出来なかった。これで最長でも五日後には、岡山の手に馬酔木が届くだろう。
岡山以外に届く可能性は考えたく無かった。
花束は奥の機械の上に置かれ危険物が混じっていないか検査される。
馬酔木は、その名の通り『馬が酔うくらいの木』で毒らしいのだが、危険な薬物と認識されないだろうか?
身近な食材だってジャガイモの芽や白いんげん豆など、調理方法を誤れば毒に早変わりしてしまうものはあるのだから、花屋で普通に売っている切り花なら大丈夫な筈。
祈るような気持ちで花束を注視した。その花束が消える瞬間を虎視眈々と狙う。
「やっぱり四日後に変更して下さい!よく考えたら五日後だと間に合わない」
内心危険物認定されなかった事に歓喜しながら、紘子が慌てた風を装って勢いよく叫ぶと、店内が静まり返った。
支払いは既に終えているので金額はそのままで構わないとか、日付変更が無理なら一度キャンセルして四日後に送り直すとか、とベラベラと捲し立てた。
「確認しますので少々お待ち下さい」
「わかったわ。早くしてね」
宮城が窓口に戻って来てそう伝えてきた時に「勝った!」と思った。目に「ごめんなさい」の気持ちを乗せて宮城を見ると、目元がふと緩んで笑った気がした。