I県にて 前編
※残酷な描写という程でも無いとは思いますが、遺体の話が出てきます。苦手な方はご自衛下さい。
宮崎あかりの家を出た後、およそ三年前に滋賀が書いた記事をどうしても読みたくなってしまった。
わざわざ会社へ戻った紘子は資料室でバックナンバーを漁った。発行順に並んでいるので目的のものはすぐに見つかる。
そこにあった記事は秋田との対談形式のインタビュー記事でTTSを開発した経緯と仕組みや今後の可能性について語られている。とはいえ、要約すると宣伝にしか見えない。
紘子の記憶と大して違わず、滋賀らしくないありきたりの印象しか無かったが、秋田の写真とプロフィールは知らなかったので愛用の手帳にメモして、写真もスマホで撮影しておく。社内サーバーを漁れば電子ファイルで残っているかもしれないが、パソコンを起動する手間が煩わしい。紘子の会社では年末の大掃除に圧縮してDVDに焼く作業も含まれるので、既にサーバーから移されている可能性が高くなおさら面倒だ。
雑誌のページを撮影したのだから、光が反射して妙な光沢が有るが見られないこともない。メモついでなのだからこれで問題はないだろう。
秋田は元々、遠く離れた土地に転移する研究をしており、それが山口という男の目に留まりスポンサーとなって秋田を支援してくれた。未来へ物を送ることは副産物で、どうしても同時刻に離れた場所へ送る事は出来なかったそうだ。送り先が都内だったら、バイク便を頼んだ方がよっぽど早く安く着く。
それなら未来に送る事をサービスにしよう、と山口が提案しその方向で研究をして、ついに起業まで持ち込めたのがその記事が出る五年程前のようだ。秋田はその研究に半世紀に近い年月を費やしていた。
紘子はまだ自分の考えがまとまっていないまま、目に付いた情報を箇条書きでメモしていった。
翌日、滋賀と一緒にI県まで足を伸ばし、秋田を検死した担当者に話を聞きに行った。初めは部長が話していた通り、池の中で見付かったが水を飲んだ様子は無く外傷も見当たらない、という事しか話してもらえなかった。新たな情報は、死後半日も経っていない、という事くらいだ。
紘子が毒物の可能性を聞いてみたが「答えられない」の一点張りだ。
「……それにしても酷いな」
平行線を辿る中、最初の自己紹介以降ずっと口を閉ざしていた滋賀がぼそりと呟いた。
検視官の眉がピクリと動く。しかし、すぐに表情を取り繕って滋賀にちらりと視線を向ける。
「体内は無事じゃなかったんだろ?」
「なんでそれを…」
紘子はそれを聞いて思わずニヤリと口元を緩めてしまった。
「毒ですね?」
「いや、違う……はずだ」
しまった、と動揺したところに質問を重ね回答を得ることが出来た。
さすがベテランの滋賀は違う。真正面から質問する事しか出来なかった紘子とは違ってここぞという時に揺さぶりをかけてくれた。
観念して口を割った検視官によると、経口摂取であれば、消化器系の粘膜に損傷が見られる事が多いが損傷はなく、ただ消化器系に限らず呼吸器系や脳、筋肉に至るまで内側から何らかの圧力をかけられたように見受けられたそうだ。
加えて血液の減少と凝固があることから、血管からの接種かもしれないと全身隈なく確認してみても、注射痕も見当たらない。
表面上は何も変化がなく内側のありとあらゆる細胞に影響を与えるなど、既存の毒物で該当するものは存在しないそうだ。
未知の毒の可能性も否定出来ないが、滋賀とそう年齢の変わらない年配の検視官が、そんな毒は見たことも聞いたこともないと断言した。
これ以上は何も出てこないだろうと、お礼を言ってその場を離れた。
「始めっから滋賀さんに質問してもらえば良かったですね」
「いや、お前が愚直だったから隙が出来た。俺一人なら無理だ」
「愚直って、それ褒めてます?」
紘子は自分の至らなさに嘆息したが、滋賀は愉快そうに笑っている。
やっぱりこのオヤジは喰えない奴でいけ好かない。だけど、鋭い考察の尖った記事は紘子の目指すところでもあった。
意地悪な笑いを向けてくるクソオヤジを見ていると、無性に婚約者の笑顔が恋しくなった。紘子が拗ねようが不貞腐れようが可愛くて仕方ないという様子で目尻を下げる彼も、一緒に居るとそれはそれで照れ臭くて腹が立つのだが、離れているとその顔が愛しく思うのだ。
左手の薬指に嵌っている指輪を左手の親指で撫でていると、ささくれ立った気持ちが落ち着いてきた。
「次は警察か池か……そうだ!東京に戻ったら岡山さんに連絡取りましょう!」
「だから、とれねぇんだよ」
この後取材するとしたら、秋田の発見現場と担当の警察署と思っていたけれど、急に秋田の愛弟子である岡山の話を聞くべきだと閃いた。
「だって技術者は連絡取れるんでしょう?」
「そうみたいだな」
「TTSで適当な荷物を送って、やっぱりすぐにキャンセルしたいから荷物を返せってダダを捏ねます」
「は?」
「店に常駐している技術者の手に負えない事があったら、研究所に連絡したりしませんか?」
「……可能性はあるかもしれないな」
「上手くいったら岡山さんと話せるかもしれません。宮城さんと宮崎さんには店でちょっと暴れるけど他人のフリをして欲しいと伝えておきましょう」
「……おっかねぇな」
「よく言われます」
ニッコリと微笑んで悪巧みをする紘子に滋賀は肩をすくめた。
2022.8.15 誤字修正
2022.08.28 前書き追記