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TTS 過去からの贈り物  作者: 加藤爽子
Case 4.香川陽菜
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動き始めた時間

 お葬式で由美の母から聞いた話では、手術で助かる見込みは十パーセント無かったという。一時帰宅で家に帰っていた時にも痛みと痛み止めの副作用で辛かっただろうに、ずっと笑っていた、と。

 その手紙の内容も明るく振る舞っていつもと変わらない調子だった。


 陽子なら絶対出来るよ。私、ずっと応援している!


 手紙に直接書かれているわけではない。でも、よくそう言って笑っていた由美の声が聞こえた気がした。

 惹きつけられるようにフォークを手にして、一人分には大きめのケーキを一口分掬って食べる。


「美味しい…」


 この三日間、何を食べても味なんてしなかったのに、由美の優しい気持ちがギュッと詰め込まれた味に涙が溢れ出てしまう。

 少し焼きすぎたのかパサついているスポンジにもしっかり泡立てすぎて固くなった生クリームにも、由美がここにいたら笑い話になっただろうに、そう思うと益々涙が止まらなくなった。

 なのに、クルクルと空腹を訴える自分のお腹の音に、香川は「ふふっ」と小さく笑った。

 由美を喪って以来、止まっていた時間がようやく動き出した気がした。


「今日、誕生日だったんだ、私……」


 改めてスマホを見ると、家族や友達から沢山のメッセージが届いていた。もう、見放されてしまったと思っていたマネージャーからも。

 優しく笑いながら、それでいて今の陽子は駄目だとしっかり窘める由美がすぐそこにいるような気がした。


「心配でゆっくり休めないって由美なら言うよね」


 動き始めた時間を無駄にしない。香川は胸の内でそう決意を固めながら、丁寧にメッセージを返していった。


 TTSのCMに起用される事になったのは、新人ちゃんとの抱き合わせだからだ。

 兎角忙しい現代人。寝起きから満員電車に仕事、習い事、クタクタに疲れて眠るためだけに帰る狭い賃貸住宅。

 そんな自分へのご褒美をサプライズで。

 というのが、CMの内容だ。画面の真ん中で常に新人ちゃんがいて次々とシーンが変わっていく。職場のシーンで新人ちゃんに書類の束を渡す先輩OLが香川の役どころだ。

 本当にサラリと流れてしまう端役もいいところだ。

 台詞どころか服装の指定や演技指導も無い。ただ背景になる事を求められた。

 そのたった数秒に香川は全力で誂んだ。

 以前であれば、その新人ちゃんより綺麗で可愛く映りたいと対抗して、少しでも自分が綺麗に見えるようメイクしてもらっていたところだが、台本を読んでいるとそんなのは求められていないのだと気付いた。

 自分が演じるのは、新人ちゃんがこのままの忙しい毎日を送った先だ。疲れて余裕が失くなったOLなのだ。先輩であると同時に新人ちゃんの未来を演じる。それが自分の役どころだと感じた。

 顔なんて映らなくて良い。ひっつめ髪をお団子にして眼鏡を掛けた。渡す書類も二、三枚の紙の束を片手でヒョイと渡すだけで良かったのに、分厚いファイルを積み重ね両手でドサッと渡してみた。

 そのアドリブに新人ちゃんは目を丸くして両手を上げて驚いてから戸惑うままに受け取った。しっかりとカメラの位置を意識した驚きポーズは、悔しいけれどとても可愛らしかった。

 柔軟にアドリブを返す新人ちゃんにマネージャーが手を掛けるのも肯ける。

 新人ちゃんの魅力を引き出したこのアドリブは幸いにも現場に受け入れられた。

 顔合わせの時には眉間にシワを作っていた監督さんもニッと唇の端を上げた。


「顔付きが変わったな。何かあったのか?」

「ただ親友に恥じたくなかっただけです」


 監督から何気なく問われたその質問に香川が答えると、詳細を求められたので、淡々と由美から貰ったバースデーケーキの話をした。

 気が付くと、監督と二人で話していただけのその場に、新人ちゃんもマネージャーも他のスタッフ達もこちらを注目していた。

 話し終えた時には周りは悲壮な空気に包まれた。

 新人ちゃんに至ってはメイクが崩れるのもお構いなしにボロボロと涙を流していてびっくりした。

 香川は、もう立ち直っているから大丈夫だよ、とアピールして新人ちゃんを宥めた。

 もちろん立ち直っているなんて言い難いのは香川自身よく分かっている。それでも、今は由美のためにも前を見て笑うしかない。由美を直接知らない人々が香川の話だけで由美を悼んでくれている。ただそれだけで、自分が居る場所が地獄ではなかったと気付かされた。


「次のCMにその話を使わせて貰ってもいいか?」


 スポンサーであるTTSの広報担当者にそう問われた。今のCMの契約は半年間。それが終わったら香川の今の話を香川本人で撮りたい、と説明される。

 由美との想い出を売り物にするなんて…という思いが一瞬浮かんだが、由美の「チャンスだ!」と言う声が聞こえた気がした。だから肯いた。

 香川にとっては大切な親友との想い出であっても、世間の多くの人には他愛のないエピソードだろう。

 そう思ったから期待はしていなかったが、予想外にもこのCMは多くの人から支持され最初の契約期間を超えても延長して数年に渡り放送されることになるなんて、この時の香川にはまったく想像も出来なかった。

 しかも、このCMが目に留まってとドラマの話が来るようになったのだ。やがて、映画やドラマ、CMなどあちこちでその活躍を目にするようになる。


 こうしてアイドル・香川陽菜は、女優・香川陽菜へと転身したのだった。

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