ファン第一号
カチャ、と音を立ててテーブルの上に箸が投げ出された。
箸と共に食事を放棄した女性は香川陽菜という名前で芸能活動をしている。
スカウトされたのは十四歳、アイドルとしてデビューしたのは十六歳の時だった。それから鳴かず飛ばずでもう二十三歳を過ぎてしまった。
アイドルとしては斜陽を感じている。もっとも、栄光の時期があったのかと言われればそれも無いのだが…。
それでも持ち前の明るさで邁進していた香川が、食事も喉を通らないほど衰弱しているのは、一番のファンを自称していた親友を失ってしまったからだ。
簡単な手術だと聞いていた。悪性の腫瘍が見つかったからそれをちょっと切り取るだけだと笑って手術室に入っていた親友はそのまま帰らぬ人となった。
最近デビューしたばかりのまだ十代の新人アイドルと掛け持ちのマネージャーは、抜け殻のようになってしまった香川に蔑む目を隠さなくなった。
芸能界に残りたいなら枕営業でもAVでもなんでもやれ、と冷たく言い放つ。
何よりもその新人が香川より人気があるから、優先的に向こうへオーディションの話を持っていっている。
香川が今予定のある仕事は聞いたことのない会社のCMでそれもメインでは無くて端役の一本だけだ。
騙されているという親の反対を押し切り、デビューを期に上京し、マネージャーを信じて突き進んできたけれど、それもこれも香川の気持ちに寄り添って一緒に一喜一憂してくれた由美の存在が有ってこそのものだったのだ。
由美の声が聞けなくなって三日。その三日をどんなふうに過ごしたのか香川自身も分からなくなっていた。
ただ一つ残っているCMの仕事さえも投げ出して由美の元へ行きたいという気持ちと、決まった時にあんなに喜んでくれた由美の為にもちゃんとやらなければという気持ち。
相反する二つの気持ちにぐちゃぐちゃになって、ただ惰性で生きている状態だった。
その時、どこかでリーンと風鈴のような音が聞こえた。
部屋の中を見渡すといつも使っている愛用のショルダーバッグから青く光が見えた。
バッグを掻き回して取り出したのは小さなプラスチック板で、由美から受け取った時には透明だったものが青い光を放っている。
これは一体何なんだろう?
由美が手術する前は長く入院していたが、手術前には一時帰宅も許されていた。華々しい仕事は無いものの、営業活動に忙しかった香川が会う時間はあまり取れなかったけれど、会った時に特に気になる様子は無かった。
もちろん、長期入院をしていたわけで少し痩せてしまった印象はあるが元々ぽっちゃりしていたのだから丁度いいダイエットになったとニコニコしていた由美は本当に楽しそうで、痛みと闘っていただなんて傍目には気付く事が出来なかったのだ。
気付けなかった事に罪悪感が押し寄せてきて、そのまま押し潰されて消えてしまえればいいのに、と思った。
そうやってぼんやりとまた思い出に溺れていると、再びチリリーンという音と共に今度は黄色く光りだした。
『光と音のお知らせがあったら直径二十センチ以上の平らな場所の真ん中に置いてね』
由美が手術室に入る前にそう言っていた事を思い出し、慌てて食べかけの食事をテーブルの端っこに寄せると空いた場所に円板を乗せる。
ただのプラスチックの板に見えるのに、光ったり音が出たりするなんてどんな仕掛けだろう?
黄色い光に照らされながらそんな事を考えていたら、三度チリリーンと音がなった。そして光は赤色に変わる。
この後何が起こるのか、由美が何か言っていたはずなのだけど、手術の話を先に聞いて上の空になっていた。
ただ光ったら広くて平らな場所に置くのだ、と何度も言っていた事だけはなんとか頭の片隅に残っていたのだ。
「えっ!」
香川が思わず声を上げてしまったのは、プラスチックの板毎赤い光が消えてしまったから。
そして、そこには代わりに小ぶりのホールケーキが現れた。生クリームと苺のシンプルなショートケーキだ。
スポンジに塗られている生クリームは均等ではなく、並べられた苺も等間隔とは言い難い。明らかに手作りのケーキには、チョコレートのプレートが乗せられており、見慣れた由美の筆跡で『おたんじょうびおめでとう』の文字が書かれている。
そうか。今日は誕生日だった、と香川は震える手で口元を押さえる。
ケーキが乗せられているトレイの端に淡いピンクの封筒があった。
『陽子へ』
陽子というのは香川の本名だ。その一行を見ただけで、鼻の奥がつーんとして、両目もじんわりと涙が覆ってしまって文字が滲んで見えた。
『二十四歳のお誕生日おめでとう!
今年は一緒にお祝い出来なくなっちゃったので、TTSを使ってみることにしました。
香川陽菜がCMに出るかもと聞いてどんな会社なのか調べてみたの。
凄いよね。未来に荷物を送っちゃうんだよ!
そんな素敵なサービスのCMに陽子が出るの楽しみにしているね。
なんだか嬉しくなっちゃって初めてケーキを焼いてみました。
美味しく出来ているといいなぁ。
是非、感想聞かせてね。
由美より』