摩擦
*
リュイは壁の後ろに隠れて遠くからエリカたち三人の様子を見守り、事態が収束したのを見届けると、庭園に向かった。
「サマラフ様っ!」
離れて過ごしていた二人の再会を祝福する演出のように咲き乱れた、色とりどりの美しい花々に囲まれた場所で、彼女はサマラフの後ろ姿を見つけるや否や、喜びに溢れた声で名前を呼んだ。
彼は振り向き、口元に笑みを浮かべる。
「リュイ様、ご無沙汰してます」
「また、旅に出ていらしたのですね。今年もイ国へ?」
「はい」
「東ばかり行かず、西にもお越しくださればよいのに。リュイは焦らされてるように感じますわ」
「有難うございます」
リュイは、真正面からぶつけた幼稚な感情に、毎回、嫌な顔ひとつしない彼の優しさが好きだ。国王ゆえに周りから特別扱いされるのは常だが、この男だけが特別な気分にさせてくれる。
「サマラフ様がフィノへお戻りになった報告をアクイット殿からいただいたのに、今日も今日とてお姿を一人で見つけれず、人を頼りにしてしまいました」
「お変わりないようで、安心しました」
揶揄い言葉にリュイは頬を赤らめ、照れ笑いを浮かべる。
「もぉ、どういう意味ですか?」
「ははは」
サマラフは庭園に置いてある長椅子へ座って話そうと、移動を始めた。歩調は、隣りを歩くリュイに合わせる。
「言いわけがましいと思われそうな話、ユマ様への挨拶が終わったら身なりを整えて、花束を手に、あなたのお顔を拝見しに伺う予定でした」
「あら?では、此方から出向いて正解でしたわね」
「理由を聞かせて貰っても?」
「生花は綺麗ですが、熱心に世話したところで最後は元気を失い、捨てられる運命を迎えてしまうでしょう?寂しさが湧いてしまいます。環境に合わない品種だと生気の衰えが早くなるのも、花に申し訳なくて」
「……」
サマラフは、エリカの笑った顔を連想して黙った。
リュイは自分の言葉が原因で、彼の心の視線が、違う方向へ逸れてることに気付けないまま望んでる物を伝える。
「形を残せる物のほうが、素直に嬉しいですわ」
「(指輪、宝石、服、髪飾りか……)。わかりました。以後、気をつけます。花がお嫌なら、指輪がよろしいですか?婚約指輪とは別の、私用で使える……」
リュイは青褪めた顔をして立ち止まり、泣きそうな声で打ち明ける。
「…………ごめんなさいサマラフ様。いただいた婚約指輪、失くしてしまいましたの……」
サマラフはピタッと立ち止まり、一瞬、目を丸くした。希少価値の高い、高価な物ではあったが、特別な感情を込めて贈ったわけではないせいか、怒りも悲しみも湧いてこない。
「では、新調しに行きますか?」
「許してくださるのですかっ?」
「当然です」
「……ッ!!」
リュイは感激のあまり胸の前で手を組み、目を輝かせる。
「でしたら、サマラフ様とお揃いで嵌めれる物が欲しいです!」
「えぇ、構いませんよ」
(さすが、リュイの王子様……!惚れ直しますわ!)
あっさり承諾して貰えたリュイは、組んだ手の上に顎を乗せて目を閉じ、感動に浸る。幸せの絶頂だ。
その数秒後、彼女は目をぱちりと開け、あることをふと思い出して質問。
「花といえば、イ国は丁度フラワー•ステイの時期だったのではありませんか?」
好きな人に想いを伝えたり、家族に日頃の感謝を伝える祭り『フラワー•ステイ』。チャイソンにはこの手の開催は無いが、結婚を機に制定してみたい願望はある。
「はい。とても賑やかでした」
「エリカさんと行かれたの?」
「!」
話題に出るはずがないと思っていた彼女の名前にサマラフは驚き、笑みを消した。リュイは自分の口をぱっと右手で隠す反応を取ってしまったが、時既に遅く、二人のあいだには暗雲が立ち込み始めている。
サマラフは、訊かずにはいられなかった。
「人を頼ったと仰ってましたね。今日は、どなたが一緒だったのですか?」
「……エリカさんというお名前の、リュイと歳の近そうな同性の方です。サマラフ様のお仲間の……」
「彼女は、いま何処に?」
焦燥に駆られてることがありありと伝わる表情にリュイは困惑し、右手で金のネックレスを握り締め、視線を横へ逸らす。
「城内へは怪しまれることなく入れたのですが、ユマ様に声をかけられてしまって。リュイだけ退がるよう言われ」
「ッ」
「ゼアに場を収めるよう、任せました」
サマラフは、リュイの肩を掴む。
「ほかに、誰か同席してましたかっ?」
「いいえ」
事態を危惧したサマラフは肩から手を離し、後退して慌てて一礼。
「申し訳ございません。行きます」
「お待ちください!」
リュイは、此方へ背中を見せかけたサマラフの袖口を掴んで引き止める。
「旅先で何があったのです。アルデバランの娘とは何ですの?エリカさんは、リュイには言えない特別な人ですか?」
六年前、リュイはサマラフと婚約した。ロアナに有利となる国益関係をチャイソンが受け入れ、結婚後は彼を王に据える、それが、英雄を所有するユマの出した条件だった。
仮にイセが足掻いたところで無駄に終わる。貴族の令嬢でも大臣の娘でもない一国の王との婚約破棄など、ユマが許すはずがない。サマラフも理解している。
だから、リュイはイセの存在を知りながら何も言わなかった。ユマに嵌められた彼の足枷を外せるのは自分だけだと自信を持っていた。
今回は、何か嫌な予感がする。
(エリカの正体を、ゼアから深く教わっていないようだな)。サマラフは安心したが、一刻も早く捜しに向かいたい。
「国々に関わる大事な理由があって、私は彼女に同行してます。ロアナには任務の途中で寄ったに過ぎません」
「終わったら、リュイと式を挙げてくださいますか?」
覆せないことは、彼は重々承知している。
苦々しい表情で答えた。
「待っていただけるなら」
捕まえ続けておくことが難しい一人の男。
リュイは悲しみに暮れた表情で袖を離し、見送った。