塞がらない傷口
*
エリカは、今夜宿泊する宿屋の周辺からなるべく離れない範囲内で、単独行動をすることにした。
(イ国とは対照的すぎて驚いた。活気が無い)
旅に出る前、バルーガとオリキスが「東国は雰囲気が悪い」と教えてくれたが、肌身で感じる空気と街並みは言葉以上に重苦しい。
市場へ行くと、屋台では味と売値が釣り合っていないことに大声で文句を言っている民や、盗みを働いて追われてる民の姿が見受けられる。路上に椅子を置いて座り、人目も憚らず賭博に熱中する、緑色の軍服を着た兵士たちも見かけた。
通行人は居るには居るが、子どもたちが笑顔で走り回っている姿など、それこそ皆無に等しい。
ギスギスした雰囲気。
現状を打破する期待を誰にも抱けない、暗い表情。
取り分け目立つのが、刃が湾曲の形をしている刀……、サーベルを鞘に入れて腰に携帯した、我が物顔で闊歩する青色の軍服を着た兵士たち。彼らに苛立ちの視線を向けたり、距離を置いて避けてる民の姿を度々見かける。
エリカは、壺や桶など日常生活に使う道具を売っている狭小店に近付き、カウンターに座って暇そうに店番をする老女に質問した。
「すみません。青い軍服を着ている兵士さんと緑色の軍服を着ている兵士さんて、何が違うんですか?」
老女は不機嫌になった。
「あんた、何処の田舎者だい?そんな質問する子なんて非常識だよ」
喧嘩腰に返されると思っていなかったエリカは、たじろぎながら答える。
「すみません。バーカーウェンから来たので、詳しくなくて」
「何だ、未開の地から来た冒険者かい。
じゃあ、お婆さんが特別に教えてあげようか。丁度、活きの良い馬鹿どもが来たことだし」
老女がカウンターの上に置いてあるキセルを持ち、先端の火皿を向けた。エリカは後ろを振り返り、示された方向を見る。
「ぁ」
此処から離れた場所で起きた出来事に彼女は驚き、口を半開きにした。
緑色の軍服を着ている一人の男兵士が、青色の軍服を着た兵士五人のうち一人の顔面目掛けて殴ったのを目撃したからだ。
見慣れてる老女は鼻で笑う。
「緑は侵略されて負けたアルバネヒトの兵士。青い奴らは、侵攻して勝利を収めたアイネスの兵士さ。
街中だろうが、店んなかだろうが、喧嘩なんざ日常茶飯事。相手がボロボロになるまで暴力振るうのも、見せしめに命を奪うのも、もう当たり前になっちゃってる」
アイネスの兵士は五人がかりで一人を囲い、相手が倒れて起き上がれなくなるまで殴る蹴るを繰り返した。最後はペッと唾を吐き、何処かへ去っていく。
エリカは地面に伏せてぐったりしているアルバネヒトの兵士を助けようと動きかけたが、
「やめときな」
老女から怒りを含んだ声で注意されて、足を止めた。
「でもッ……!」
「静観してていいんだよ。ほら」
あとから来たアルバネヒトの兵士が倒れている仲間に駆け寄り、肩を貸して立ち上がらせ、暴行を加えたアイネスの兵士たちが歩いて行った方向とは逆の方へとぼとぼ歩いていく。
だとしてもと、エリカは老女に向かって左右に首を振った。
「私にはわかりません。悲しいです、見て見ぬフリをするの」
「あたしゃにも、あんたの気持ちはわからんよ」
「だって、歪み合うのも痛いのも、見ててツラくなりませんか?」
「別に」
「!」
「あたしゃが同情するか憐れむのは、被害に遭ってるのが子どもか、お腹の大きい妊婦だったときだね」
生まれ育った環境と価値観のズレから不納得と言わんばかりの表情をするエリカに老女は目を細め、頬杖を着く。
「耐えれなかった国民は、とぉっくにアルバネヒトを発ってる。国外へ出て行くのをアイネスは止めやしないからね」
「どんどん流出していいってことですか?」
安全な場所に移動できるのは勿論良いのだが、作物を育て、家畜を飼育するのは人間だ。それに、兵士が他国へ逃げれば、戦力を増強させてしまう可能性がある。
「あぁ。何処の国へ逃げられたって、アイネスの連中は将来的に、すべての国を自分たちが所有できると思ってるからね」
老女は、くくっと笑い、空いてるほうの手で空を指差す。
「難敵のアルバネヒトさえ陥落すれば、アイネスを上回る天辺なんて有りはしない」
そう言って、火皿に刻み煙草を詰めた。
キセルを咥え、火打ち石を使って煙草に火を点ける。
エリカは別の質問をしてみた。
「アルバネヒトは、アイネスに勝って領土を拡大したい思いってあったんですか?」
老女は口からキセルを離し、ふう、と煙を吐き出す。
「無かったねぇ。少なくとも、国王様においては」
昔を懐かしむように、老女は微笑む。
「亡くなっちまった国王のフェルディナン様は、武功に秀でた者を代々輩出してきたアルスダーク家の名に相応しい御方だったけど、守りを重視する側だった。
アルバネヒトを守ることで、イ国が攻め込まれずに済む。自分たちが堰の役目を負うものだと言ってたね」
「……優しい王様だったんですね」
「昔は野犬って比喩をされてたが、ずっと、あたしらを守ろうとしてくれる番犬だったよ」
「…………。?」
後方から聴こえてきた女の声にエリカは反応し、再び後ろを振り返った。
「!?」
薄着の女がアイネスの兵士の首に腕を回し、人前で唇を重ねたり胸を押し付けて誘惑している。
破廉恥な光景を目撃したエリカは恥ずかしさのあまり頬を赤らめ、パッと顔を逸らした。
老女は初心な反応を見て、やれやれと呆れる。
「自分の体に自信があって、生きるために誇りを捨てれる女は、あぁやって金を稼いでるのさ」
「〜〜……」
「だけど、此処にしがみ付きたい」
「……」
「土地にしがみ付きたい理由がある連中は、どんな目に遭っても残る。生の終着点がどうなろうとね」
「……」
「けったいな男に襲われる前に、さっさとアルバネヒトから出て行ったほうがいいよ。誰かが助けてくれたり止めてくれるなんて空想してたら馬鹿を見る」
「戦争に負けたから、こうなったんですか?」
「元々アイネスとはあんまり仲良くないのもあるけれどね。フェルディナン様がお亡くなりになってから腑抜けちまった。誇りは土埃を被ってて、何の役にも立たない」
「……。話してくださって有難うございました」
「気を付けてね」
老女は追い払うようにひらひらと手を振って、さっさと何処かへ行ったほうがいいよと示す。
エリカは先ほど負傷した兵士の跡を追って声をかけた。
「すみません!」
肩を貸している兵士は立ち止まる。
「何だ、君は」
「その人、酷い怪我してたから。魔法で治療させて貰えませんか?」
兵士はいまにも泣きそうな顔をした。
「…………情けをかけてくれて有難う」
エリカは光術を使い、負傷してる兵士の怪我を治した。肩を貸していた兵士は思わず、歓喜の声を出す。
「君、凄いな!光術を使う人間なんて久しぶり見たよ」
回復した兵士は、エリカの両手を握った。
「有難うっ。助かったよ」
「あいだに入って止めるのできなくて。遠くから黙って見てたの、ごめんなさい」
「気持ちだけで十分さ。これで仕返しに行ける」
「えっ」
治った兵士はエリカの手を離すと、先ほどのアイネスの兵士を捜しに走って行った。
「おい!
ごめんよ、彼奴、馬鹿で!」
肩を貸していた兵士が仲間を追いかけて走る。
想定外の展開にエリカは青褪めた顔をして呆然と立ち尽くしたあと、両手で顔を覆って座り込んだ。
(〜〜!!どうして自分の体を、命を、大事にしてくれないんだろ)
治癒魔法をかけなければよかったのか?して損をした気分になった。
(今度、似たことに出会したら、絶ッッ対に仕返しをしないよう約束して貰ってから治そう)
一つ教訓になったところで頭を切り替え、スッと立ち上がって再び散策する。
(共通の敵が居れば、協力して仲良くしようって気になる……。……ならないよね)
魔物の襲撃に遭っても手を組まず、どちらに犠牲を払わせるかという喧嘩を招く。罪の擦り合いにもなり兼ねない。