20:陥穽
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「幸運にも、今日は見張りが不在だ。急ごうっ」
アスミは辺りに敵が居ないか確認することなくダッ!と走って、洞窟の入口へ直行する。
「ちょっ、アスミさん……!」
危なっかしすぎる行動力にエリカは冷や冷やし、パッ!パと雑に左右を見てから、慌てて後ろ姿を追いかける。
洞窟に入ってすぐに追い付くと、アスミは焚き火をした痕跡がある近くで右膝を着けて座り、懐からボロ布の帯を取り出して、地面に転がっている木の棒に巻き付けていた。その場で火打ちに適した石を二個拾い、火を起こして松明にする。
「アスミさん」
小声で話しかけたつもりだったが、よく響く。それが益々エリカの不安を掻き立てた。
「何処まで進むんですか?」
「心配なら、一人で帰ってくれていいよ?」
「え?」
アスミは立ち上がり、苦笑いを浮かべる。
「外から来たエリカさんが、忍ノノビ族に思い入れが無いのはわかってる。あたしに振り回されて迷惑しているのもね」
「ッ……」
痛い所を突かれたエリカは、後ろめたさから表情を歪める。アスミは、やっぱりねと小さく寂しげに笑んだ。
「本当に、先に帰ってくれていいよ。片道でも、あたしの我が儘な行動を否定せずに付き合ってくれたの、嬉しかった」
「……」
今更、一人で帰れるはずがない。
エリカはアスミを先頭にして奥へ進む。
直進のうちは安心できたが、道を曲がると、洞窟の入口に差し込んでいた陽射しは壁によって遮断され、松明が照らす範囲外は真っ暗闇に。視界が狭くなった。
(此処、戦いには向いてなさそう)
洞窟の壁はどれくらいの強度か不明。魔法を放ったときに天井が崩落でもすれば危険だ。
それに足下。水溜まりに靴底が浸かるのは平気でも、苔が生えた部分を踏むと足が滑ってしまい、転倒しかけた。背丈の半分もの高さがあるゴツゴツした岩も、移動の邪魔になるときがあって困る。
洞窟内で爻族と戦うことになれば、場所を変えなければ難しい。逃走する場合においてもだ。
ーー からんっ……コン……
後方で小石が跳ねて、岩壁に当たる音がした。エリカは立ち止まり、咄嗟にサッ!と振り向いたが、何も見えない。
(状況が状況だから、もういいよね)
敵が近くに居るか探るべく、アプランサスに追われていたときの精神状態を思い出しながら、密かにアルデバランのチカラを使おうとしたが、
「エリカさん」
集中力を高めかけた矢先、前を歩いていたアスミが立ち止まり、此方へ振り返ったのを見て中断する。
アスミは枯葉のような黄金色をした飴玉を一粒、左の手のひらに乗せて差し出した。
「これ、良かったら食べてみて。緊張をほぐしたり、疲れたときに効くの」
「有難うございます」
エリカは右手で飴玉を摘み、口のなかに入れた。噛むと簡単に砕けて溶ける。口内に広がる瑞々しい果実の甘味で緩む、周辺への警戒心。
「……きゃっ!?」
全身が、ぼふんっ!と大量の白い煙に包まれて驚いたが、短い悲鳴をあげたのはエリカのみ。
「……え?……え?、何これ」
煙が晴れると、目線の高さはアスミの脛辺りになっていた。
「!!?…………ぁぁぁ、手……、手が……!」
右手を見たつもりが、オレンジ色のふわふわした短毛と、黒色の肉球が視界に入った。兎の姿に変えられてしまったことにエリカは酷く困惑し、腰が抜ける。
「あははっ!」
アスミは、この状況が心底面白くて笑った。
「間抜けにも程があるよ。小芝居に騙されちゃった気分はどう?」
「芝居って…………。!!」
エリカは陰湿な気配に気付き、恐る恐る、顔だけで振り返る。
いつから背後に居たのか。
暗闇のなかに潜んでいた爻族の男にエリカは首根っこを掴まれ、軽々と持ち上げられた。
「はっ、離して!やだ!やだ!やだ!」
必死にじたばたと手足を動かし、暴れて抵抗する。
「おい、アスミ。どういうつもりだ?」
「!」エリカは動きを止め、同じ目線の高さになったアスミを見た。彼女は笑うのをやめて冷たい表情を浮かべる。
「忍ノノビ族の協力者に、そこの女ともう一人、一糸が加わったの。厄介なことになった」
「計画は前倒しにすんのかい?」
「急で悪いね。長引かせる余裕ないからさ。
一糸は、あたしが翌朝アンコウから引き剥がす。その女は死んだって報せておくよ」
「アスミさん!」
爻族の男はエリカを小型の、四角い鉄の檻のなかに放り込んで鍵をする。
「アスミさん、里のみんなに悪いって思わないの!?」
「はあ?どうして?」
「だって、親に捨てられても、忍ノノビ族の人たちと助け合って仲良く暮らしてきたんでしょ?」
アスミは鉄の檻に近付き、右足で力強く、上から踏ん付ける。
「あたしはね、イ国を仕切ってるスフ王の娘として生まれたの。あんな田舎くさい連中と同等に見ないでよ?粗雑そうに見えても、城暮らししてたお姫様なんだから」
「……爻族に騙されてるんじゃ……」
「おまえは俺たちが元凶だと思っているみてぇだが、黒幕は此奴で、俺たちは乗っかったに過ぎねぇ」
アスミは檻に乗せていた足を退けて岩の窪みに松明を差し込み、紙紐をほどいて薄い笑みを浮かべる。
「エリカ、あんたには感謝しておくわ」
「何を……」
アスミは独自に編み出した忍術を使って自身の瞳を紫色に変え、髪色は程良い感じに調和した。
「これならバレる心配はない。声も、そおっくり。あたしたちの背格好が似てて助かったよ」
「ッ!恨みがあるなら、一人で行動すればいいじゃないっ。意気地がないの!?」
エリカの言葉が耳障りになってきたアスミは苛つき、檻を大きく蹴り飛ばして壁にぶつけた。檻は跳ね返り、エリカは衝撃で前に倒れ、水溜まりで体を汚す。
「あんたこそ、弱虫だから一人では何にもできなくて、サマラフ卿におんぶに抱っこされてるんだろ?うじうじして、身分のある男に媚びて、みっともないったらありゃしない」
「媚びてなんかない!」
「だったら、証明しなよ?認めて貰いたいなら」
「ッ」
「サマラフ卿は理解ある優男で有名だから、あたしが泣けば許すだろうさ。あんたの代わりに仲良くしてあげる。ははッ、はははッ!」
アスミの高笑いと足音が、洞窟から出て行った。
(サマラフに教えなきゃ。でも、どうやって脱出しよう。?)
目の前で、爻族の男が幽鬼へと姿を変えた。奇怪な姿にエリカは驚き、萎縮する。
「ばっ、化け物……!」
頭の天辺に向かって弧を描いた角が二本生えてる骸骨。顔の形は、牛に近い。目は眼球が無く、暗闇で塗り潰され、赤黒い血を垂らしている。
上半身は人骨で、下半身はボロボロの腰布が揺れてるだけ。骨盤や脚は無く、体を浮遊させて移動するのが特徴だ。
幽鬼は歯が生えていない口から、先を尖らせた長い舌を出し、檻を摘み上げて醜い顔を近付けた。
「ひひっ。俺様はストロヴォス。おまえ、不運だったなぁ。魔力の匂いから察するに……」
ストロヴォスは、エリカの体をくんくん嗅ぐ。
「美味そうなんだが、弱っちぃなぁ。いっひっひ」
エリカは怯えながら、後ろへ顔を引く相手に向かって尋ねる。
「忍ノノビ族を襲ったのも、あなたたちの仕業?」
ストロヴォスは岩の上に檻を置くと、八角形の鏡を出してエリカに見せた。
「ひひっ、大当たり。こいつを使えば、アプランサスがぴょこぴょこ出てくる。魔術師ってのは愉快な物を持ってるんだなぁ」
「アスミさんのこと?」
「いんや」
「 まだ誰か、仲間が居るの?」
「おまえは檻のなかで野垂れ死ぬか、俺たちに喰われる運命だ。冥土の土産に教えてやるよ。その魔術師ってのは高みの見物をしてるだろうから来ないぜ」
「あなたたちは、アスミさんを騙してる?」
「真実は、イ国の首都に行けばわかる。ひひっ。俺たちは人間を痛ぶるのが好きなだけ。キャロロットになった間抜けな奴は肉を裂くか、火で丸焼き、ぺろり」
(!)
エリカが兎に変身した際に脱げた服をストロヴォスは摘み上げ、くんくん嗅いで不快になる。
「こっちは臭いな。妖精嫌いだってのに。捨てておくか」
(待って!持って行かないで!)
ストロヴォスが服を持って、外へ出ていく。
せめてアマインを落としてくれれば元の姿に戻れるのだが、エリカの願いは届かなかった。