09:傀儡(1)
二人は小路にある、二階建ての宿屋へ入った。
「いらっしゃい」
カウンター内から愛想良く声をかけた男主人は、馴染みの客が女の子を連れてきたのを見て、にやにやしながら言葉を続ける。
「旦那、また人助けですかい?」
男主人は呆れてるようで、行動力に感心している。
エリカが玄関のドアを閉めるなか、質問された当人は口元に笑みを浮かべてカウンターの前まで直進。会話に付き合う。
「枢機卿様を見習って、善を積む修行をしてるのさ」
「ははっ!悪い奴らを何回成敗しようが、徳が足りないんですか。私も負けてられませんなぁ」
「ベッドが二台ある部屋を一室借りたい。明日には出発する」
男主人は上機嫌でカウンターの上に宿帳を置き、栞を挟んでるページを開け、黒インクと羽根ペンを差し出して名前の記入をお願いする。
「もう一泊してくださるなんて、当店は光栄です。お連れのお嬢さんはさながら、幸運の女神様ってとこですかね」
「この子は、真面目な性格なんだ。あまり揶揄わないでやってくれ」
「はいっ。承知しました」
記入が終わったら、宿代を一泊二日分、支払う。
サマラフは部屋代込みで三百五十ネリー。エリカは宿泊客一名につきの料金二百ネリーのみでいいと言われ、貰ったばかりの資金から出したが、青褪めた顔で(金銭感覚が変になりそう)と思った。
バーカーウェンでは皆、お金を使う用事が滅多になく、物々交換が当たり前の自給自足生活を送る。住んでる年数が長ければ長いほど、二桁を超える金額の支出は、何だか悪いことをしてる気分になってしまうのだ。
サマラフは番号札を吊るした鍵を受け取り、エリカを連れて、壁際に設置してある階段を上った。
二階の部屋数は、全部で七つ。
ドア横に打ち付けられた四角い木の板に書かれてる数字と照らし合わせて鍵を差し込み、ノブを右に回して押し開ける。
正面に、窓が一枚。その手前では、新品の蝋燭を五本刺した燭台を乗せてるサイドキャビネットが一台、斜光を浴びていた。
草原のような黄緑色に染めたふかふかの掛け布団と、清潔感のある真っ白の枕を乗せたベッドが二台。壁にはハンガーが吊るされ、植物の絵画を嵌めた額縁が飾られてる。
借りた部屋は、最低限の物だけを用意した寝室のみ。
サマラフは入室すると右側のベッドの足元へ移動し、マントを脱いでハンガーにかけたら、次はベルトを外して剣ごと壁に立てかける。それを見たエリカは左側のベッドに近付き、黙って同じように動いた。
「此処の宿屋では、食事が提供されない。近くの店で昼食にするぞ」
「うん」
外に出て、二軒隣りの料理屋に入店。三角巾を被ってるエプロン姿の老女が、奥のテーブル席へ案内してくれた。
サマラフはメニュー表を開け、向かい側に座っているエリカが読みやすいように向きを変えて見せる。
「何が食べたい?」
「おすすめはどれ?」
「肉だったら、牛のタッシェだな。魚はハーブ•ランド•フィッシュ」
「じゃあ、タッシェで」
彼女はどんな料理か詳しく訊かずに選んだ。
「いらっしゃいませ」
エリカと年齢が似ている、双子の女店員が現れた。一人は「失礼します」と言いながら、客である二人の前に一枚ずつマットを敷き、
もう一人は、水が入ったグラスとお手拭きを木製の盆から降ろす。
サマラフが「牛のタッシェ。定番のスープとサラダを二人前」と言って注文すると、双子は満面の笑みを浮かべ、声を揃えて「了解しました」と返事をした。
会話と食事を楽しんでる声たちが空間を占領するなか、双子が厨房へ行ってから、サマラフはエリカに尋ねたかったことを訊く。
「十二糸について、君はどれくらい知ってる?」
「何を言い表しているのか、私には全然わからない。十二糸って言葉を聞いたのだって、ついこのあいだの話なの」
「織人を倒した者の話は?」
「それならわかる。
荒廃した世を救うはずの勇者たちが悪事を働き、名前を織人と改め、人々を苦しめましたが、英雄たちが現れて懲らしめてくれました。世界は救われ、国々に平和が戻りました、めでたし、めでたし。
終わり」
「…………。それだけか?」
「うん」
呆気ないほど短い返しに、彼は驚いた表情をする。口直しするみたいにグラスを手に取り、水を飲んだ。
(バーカーウェンが本土から切り離されたも等しい状況だったのは知っていたが、俺の想像を大きく超えてたな)
エリカに何も教えず海を渡らせた二人の騎士に悪い印象を受け、盛大な溜め息を吐きそうになるのを堪える。
(……これからどうするか?枢機卿様が諦め、ゼアにバレてしまった以上、前に進むしかない。エリカには一つずつ教えていこう。上手く行けば、アルデバランの娘の表出を抑えることができる)
サマラフは水の量が三分の一になったグラスを置き、未だ暗い底を浮遊している紫色の瞳に向かって説明する。
「君が話してくれた英雄たちだが、本土では十二糸と呼ばれている。倒した織人から世界のチカラを新たに引き継いだ十二名の総称。俺はリーダーをしてた」
「……。……あなたはポルネイで何をしてたの?」
十二糸の上陸をなぜ拒む必要があったのか、自分との関連とは。エリカがそれらに未だ関心が及ばないのは、両親の死を受け入れがたいことのほうが重要だから。サマラフは理解している。
「バーカーウェンに異常はないか、話を聞きに来てた。年に二回は来てる。此処の店も、宿屋の主人も、馴染みのある人が気安いのは、毎年世話になってるからだ」
双子の店員が、料理を持ってきた。湯気が立っている薄黄色いスープが入った深皿に、賽の目に切った野菜と、練った小麦を四角い袋状にして包んだ何かが二つ入っている。
彩り豊かなサラダ、牛乳で溶いて温めた緑色のスープも揃うと、双子はまた声を揃えて「どうぞ、ごゆっくり」と言い、ほかのテーブルへ向かった。
サマラフはナイフとフォークを持ち、タッシェを半分に切り、さらに半分切ってから口に入れる。エリカは真似て、同じ物を食べた。
「…………美味しい」
その呟きを聴いた彼は目を細めて微笑み、スプーンに持ち替えてスープを飲む。
「ゼアさんは、サマラフさんの仲間?お友達?」
「織人事件が片付くまでは同じ十二糸として仲間と言えたが、いまは何かの折りに会ったとき話をする程度の関係だ。腐れ縁と言ったほうが正しいな」