03:曇る虹彩、滲む日溜まり(3)
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エリカは小鬼の足音が聴こえなくなる所まで移動した。はあ、はあ、肩で息をして立ち止まり、幹の太い樹を背凭れにずるずると体を下ろして地面の上に座る。脚が怠い。いよいよ、勝つのは筋肉痛か気合いかの境い目になってきた。
「……はっ!?」
あることに気付き、頭を抱えて嘆く。
「もぉ、ほんっとにやだ。また迷子になっちゃった〜〜ッ……」
目印が無いーー。海が見える場所に出たとき、直進すれば難無く脱出できると信じて付けるのをやめた。小鬼に遭遇後は逃げるのに必死で思考停止。どちらが北だったかエリカは考える間もなく、離脱を優先した。
(さっきのあれって魔物?だよね。本土では陸地に居るのが普通なの?)
小鬼は諦めてくれたのか、確認しに戻る勇気が出ない。ポケットのなかに残っている実で再び目印を付けるのはどうか?知能がある魔物なら追跡して同じ道を通るか、人間の行動を予測して別方向から現れることも有り得る。手の打ちようがない。
もう逸そ、
(戦えば、逃げずに済む……?)
静かに湧いてくる攻撃心。髪は水色、瞳が金色に変わる。
エリカが立っている所を軸に、白光りする水鳥の紋様が一帯に広がった。
「ぉおっと!」本来の目的を後回しにして彼女を追いかけていたレッドエルフの男は森のなかで危うく対象の範囲に入りかけたが、運動神経の良さに自信のある種族とあって簡単に安全な域へ引き返し、外れることができた。
「ひえー、やばかったぜ。お嬢ちゃんは何をおっ始める気だ?」
樹の裏に隠れ、首に巻いてるフェザーマフラーに顎を埋め、気配を消して様子を見守る。
小鬼が紋の範囲に入ると、エリカはどの方角から敵が来たのか存在を感知し、すっと立ち上がって構えた。
投げられた斧は高速回転しながら飛んでいき、彼女の体を真っ二つに裂こうとしたが、さっと避けられて木の幹に刺さる。小鬼はぴょん!と後ろに飛んで下がり、口をこれでもかと大きく開け、口内で火球を膨らませる。
(火の妖精が使っていた魔法、大きい火に近い)
どんな攻撃をされるのか見破ったエリカは矢筒から矢を一本取り出して弓を構え、小鬼の口に狙いを定めた。
「気紛れな慈悲を受け、霧散するがいい」
彼女らしくない言葉が口を突いて出た。瞳に暗い淀みが混じる。
光属性を付与した矢は放たれ、宙を突っ切り、砲撃のように連続で吐き出された二発の火球を貫いて光に変え、打ち消した。
矢の攻撃を受けた小鬼は光の粒子になって消滅。六角形の実がころんと落ちる。
(…………一人でも…………勝てた…………)
「いやぁ、やるじゃねぇか!」
「!?」離れた場所から気安く声をかけられたエリカは両肩をびくっ!と跳ねらせ、右方向へ、ばっ!と振り向いた。
声の主……、彼の性別は男ではあるが、人間ではない。
レッドエルフ特有の褐色肌。真紅の坊主頭に、鶏冠を生やしたような髪型。それだけでも初対面の人間に対して厳つい印象を与えやすいのに、上乗せで眉無し三白眼、鼻には横一閃の古い傷痕。尖った耳には鉄製のリングピアスを三個ずつ付けてある。左手が握ってる物は、離れた距離からでも相手を攻撃できる槍。
男エルフは牙を見せて、にぃいと笑い、困惑してるエリカの顔を指差す。
「アプランサスを一撃で仕留めるなんざ、お嬢ちゃん、普通じゃねぇな?」
「……ッ」
先ほどの小鬼がアプランサスという名前であること。普通ではないとの指摘。
エリカはそれらに関心なく、目の前にまで距離を詰めてきた長身痩躯に圧倒されて言葉が出ないでいる。彼の、本当に腹筋なのか疑わしいほど腹部が割れてる部分も苦手だ。
(お父さんお母さん、ごめんなさい!今日ばかりは人を見た目で、悪い意味で判断することを許して……!)
男エルフは眉間に皺を寄せ、反応が悪いエリカを見下ろす。
「おい。天与騎士のオレ様が褒めてるんだぜ?もっとこう、ばんざーい!って、大袈裟に喜んでくれても許すぞ!?」
「(変な人に出会した感あるけど)助けてくださいって言ったら、お願いできますか?」
柄は悪そうだが、人語で会話できる。敵意も無さそうだとエリカは判断して頼った。
男エルフはアプランサスが消えた所まで歩いて移動し、落ちてる六角形の実を拾うと、毛先がほんのり茶色い羽毛の腰巻きの下に隠してある小型の鞄に入れる。
「お嬢ちゃん、男に追いかけられてたよなぁ?」
「見てたんですかっ!?」
男エルフは右手の親指と人差し指の先をくっ付けて丸を作り、覗き見るようにエリカの顔を捉えてにやりと、牙を見せて笑う。
「そりゃあ、ばっちりと」
「私、何も悪いことしてません。あの人が家に帰れって言うから……!」
気が立って興奮する彼女に対し、彼は口端と一緒に、右手を下ろした。
(あ〜〜、殻を破ったばかりの雛っつう状態か。頼られるのは悪い気しねぇけど、これ、生かして得することあんのかねぇ?)
無知は不幸。では、知れば幸せかと言えば別の苦しみを生み出す。
「お嬢ちゃんの強さに惚れ惚れしたオレ様に攻撃を当ててくれるなら、助けてやるか決めてもいいぜ?」
「そういう趣味の人ですか?」
「違う!オレ様は強い奴が好きなんだよ!」
(なぁんてな)。男エルフは心のなかでほくそ笑んだ。
話が前に進んだことで安心したエリカは意を決する。
「じゃあ、手合わせお願いします。お名前は、何て言うんですか?」
「ゼア。天与騎士のゼア様だ」