02:曇る虹彩、滲む日溜まり(2)
歩いては立ち止まり、出口は何処にあるのか知りたくて目を凝らす。森を彷徨ったときは木々が重なってるあいだから光が漏れてて、尚且つ別の景色が見えれば脱出できる望みを持っていいのだと、エリカは幼少期に母親のテレースから教わった。
(目印、忘れないようにしなきゃ)
バーカーウェンにも生っていた、直径が親指の爪ほどある楕円型の白い実を見つけ、片手一杯に掴めるほどの個数を千切って集める。一個潰すたびに出てくる白い果汁を木の幹へなすり付け、一定の距離を進んだらまた付けて進む。落ちた場所へ再び戻らないように。
(……あの魔法剣士さん、何を知ってるんだろ。私はお父さんとお母さんから、絵に描いたような楽しい話しか教わっていない。オリキスさんに出会うまで、呪いの「の」の字も話題に出なかった)
(ほかには?)と、昔の記憶を辿る。
(そういえば…………)
物心がつき始めた頃、両親に挟まれて同じベッドで寝るときに疑問を呈したことがあったのを思い出す。年齢が似ている子どもたちは片親であっても仕事を理由に別々に暮らさないのに、なぜ我が家は島と本土に分かれて過ごす日があるのか?当時は理解不能だった。
父親のギーヴルは「世のなかを良くする仕事をしてる」と答えたが、娘に不満げな視線を送られて苦笑い。わかりやすさだけでは駄目な年頃だとテレースに諭され、説明を付け足した。
『ジャーナリストは困ってる人に正確な情報を伝え、必要とされる急務があれば手を貸し、蓄えた知恵や労力を惜しまず捧げる仕事だ。エリカのお母さんにとっても天職……、天から授けられた職業でね。すごぉく忙しいんだよ』
エリカは子どもらしく素直に受け止め、「巫女さまのお仕事を手伝ってるんだね!」と返した。ある程度心身が成長してからは、今日も何処かで人のために働いているのだと思うようになったが、無事を祈ったり、両親が危険な出来事に巻き込まれているのではないか不安視したことはない。ずっと信じてる。信じて帰りを待っていた。
『なぜ、島を出た?』
『家に帰るんだ』
魔法剣士の、一方的な非難。
(咄嗟に逃げたけど、あの人、私の身を案じてくれたような表情だった。じゃあ、嘘を吐いて「私にはもう戻る家なんてありません!」て言うべきだったの?絶対無理)
泣きながら情に訴えれば許して貰えるかもとエリカは過ったが、嘘泣きできる性格でもなければ、媚びを売るのもできない。演技だとバレたら信用を失い、酷く怒られてしまうのがオチだ。
「!」
とぼとぼ歩いていると、潮の香りが漂ってきた。エリカは立ち止まり、空気をくんくん嗅ぐ。空っぽのポケットに白い実を入れ、左方向へ曲がって走った。
見えてきたのは、
「……海!」
青空も広がっている。
ようやく助けを求めることができると思って笑みを浮かべたが、喜びは大きく打ち砕かれた。
胸の高さまで積んで固めた石垣の塀の上には、人間ではまず越えることのできない長さの鉄柵が張られている。
エリカは不貞腐れた顔で囚人のように鉄柵を掴み、半眼で海を睨んだ。顔を左に向けると、人々が居る港からは遠い。前を見ても、近くを通りそうな舟は見当たらずがっかり。
「……。あっちの方角から来たでしょ?てことは、」
くるっと後ろへ振り返る。
「此処を真っ直ぐに突き進んだら北。うん、目指す方角はわかってる私。何とかなる」
出発地点は南。シュノーブへ行くにはイ国を北上し、軍事国家アルバネヒトを通過しなければいけない。
逆境に負けじとエリカは再び森に潜って歩きながら、今度はオリキスについても記憶を振り返る。
(オリキスさん。名前がクリストュル・ヤシュだっけ)
呪いの解き方を知りたくてバーカーウェンを訪れたシュノーブの魔法騎士。彼は無し首族のゾムによって名前を明らかにされたあと、自分が此処に居るのを知られてしまうと人に迷惑をかけるから、クリストュルの名前は口外しないよう頼んだ。
エリカは人間誰にでも話せないことがあると思い、気に留めず流したが、点と点で繋がっているとすれば……。
(お父さん、お母さん、オリキスさん。魔法剣士さんも知ってる仮定で考えたら、四人の共通点は呪い?)
呪いを追うことで、両親の安否情報に辿り着けるかもしれない。
「?」
何処で千切れた物か?
エリカは地面の上にヘタが付いた六角形の実が一個落ちてるのを見て、拾おうと前に屈んだ。
(変わった形)
ーーひゅん!
何かが勢いよく頭上を掠めて飛んでいき、
ーーガンッ!!
木の幹に重い音を立てて突き刺さる音がした。
エリカは実を拾うのをやめて顔を上げる。
小型の斧が、木に刺さっていた。
嫌な予感がして振り向くと、手足が異様に短くて背の低い小鬼が立っている。やや平たいもちもちの顔は地味な赤色。まん丸い巨大な目は虚無感のある、ぼやっとした薄暗い瞳。頭の天辺には枯れかけのような薄黄色い草を生やし、その中央から先端が平たい一本の角が生えている。閉じてる口は大きく、すきっ歯が二本見えてるのも可愛い。
可愛いが、感情が読み取れない。
エリカは右脚を一歩、後ろへ退げて逃げの姿勢をとる。
「言葉、通じるのかな?」
小鬼は一所懸命とてとて走り、ぷにぷに足音を立てて真正面からエリカに近付くと地面を蹴って体を飛ばし、勢いつけて突撃。殺意を感じたエリカはつい横へ避けてしまった。
「ぷぎゅ!」攻撃に失敗した小鬼は地面の上にベターン!と倒れ、自ら軽いダメージを受ける。しかし、まだ諦めない。
むくりと起き上がり、今度は斧の柄に飛び付いて、うんしょ、うんしょと全身の力を使って引っこ抜こうとする。
エリカはいまのうちにと急いで逃げた。
斧を抜いた小鬼は追いかける。歩幅と速度を考えると、当然、人間には敵わない。
段々、一人と一体の間隔が開いていく。それでもエリカは安心できず、時折り振り返りながら走った。
(何なの、何なの、何なの!次から次へと!
〜〜オリキスさんの馬鹿!)
*
その頃、天牢の雪国シュノーブでは。
「ッくしゅん」
国王専用の私室にて、華美ではない執務用の衣服に着替え直したクリストュルが、小さなくしゃみを一つ出していた。
従者を務めている青年は髪を隠すための帽子を主君に差し出しながら、深く気にかけることなく尋ねる。
「お風邪ですか?」
「さて」
「気温差で体調をお崩しになられたのでしたら、今日はお早めに就寝なさってください」
クリストュルは口元に小さな笑みを浮かべて帽子を受け取る。
「有難う。無理だと感じたら休憩を挟む。君には苦労をかけるね」
「?」
従者に就いた日から、エンの淡々とした態度とその事務的な気遣いに変化はない。なぜ感謝されたのか?エンは王の変化を奇妙に思い、怪訝な表情をする。
「旅先で変な物をお召し上がりになられたのですか?」
「ん?」
「不気味です。クリストュル様の偽物ではありませんよね?」
出発前まで有り得なかった丸みのある雰囲気に疑念の眼差しを向ける。本物ではあるが、兆候の良い悪いを判断しづらい。
クリストュルは次いで差し出された小さな容器の蓋を開け、なかに入ってる黒色の紅を右手の小指で僅かな量を掬うと、自分の唇に塗る。
「バーカーウェンに住んでいた愛くるしい小鳥のおかげで、少しは柔軟性を養えたようだ」
「籠に入れて、お持ち帰りになられたらよろしかったでしょうに」
「我慢することを覚えた」
自信に満ちた声にエンは(奇跡だ)と感心しながら、両方の手のひらを上にして差し出し、紅が入った容器を置いて貰う。
「だが、僕のために小鳥が傷付いてくれるのか試してる所も、無きにしも非ずさ」
「その辺りはお変わりないようで。良い旅になられてよかったですね」
主君の言う小鳥がアルデバランの娘を指してることに、エンは微塵も気付いていない。短気な彼の留まり木になれる女は妃候補のリラだけだと、いまも思い込んでいる。
「クリストュル様のご命令通り、バルーガ殿を兵舎に戻らせる予定でしたが、本日付けで騎士団を退団したいと言われたので、一晩頭を冷やさせようと牢に入れました」
「君も大概だね」
「あなた様の何倍も寛大な処置だと思いますよ?」
反抗されたときは、死なない程度に痛めてよいとのことだった。しなくてよかったとエンは安心している。
「彼は骨のある騎士ですね。正座した姿で私の顔をみながら、次は正規の手順を踏んで退団を申し出ますと言ってました」
「諦めの悪い男だ」
エンが先ほど受け取った容器を壁際にあるサイドテーブルの上へ置きに行ってるあいだに、クリストュルは小指に付いた紅をハンカチで拭き取り、壁棚から仮面を取って装着する。
「リラを寄越して説得させよう」