01:曇る虹彩、滲む日溜まり(1)【2024.04.29挿し絵を1枚追加】
「はあ!はぁッ」
エリカは無我夢中で走った。振り向かず、持ち前の動体視力を活かして器用に逃げてはいるものの、頭のなかは絶賛混乱中だ。
(どっちへ行けばいいの……!?)
執拗に追いかけてくる魔法剣士にも仲間が居たら捕縛されて島へ強制送還されるという嫌な図を脳裏に浮かべた彼女は、通りすがりの者に安易に助けを求めることができず、兎に角、出口を求めて北を目指してはいるが、ポルネイを脱出できたとしても、諦めて貰えない限り逃走は続く。
(今度はあっち!)
一度通った道は避けて大通りばかり狙い、角を曲がってみる。引き返して別の道へ出るほうが、鉢合わせる確率は高い。
しかし、最悪なことに、脚が疲れ始めた。
「きゃッ……!?」
何もない地面で躓き、前に転倒しかける。
崩れた体勢は何とか戻せたが、体力の限界を感じて失速。
平坦な道をひたすら真っ直ぐ進まず迂回してる分、かなりの距離を無駄に走っている。登りがないのは助かるが、下りがないのは厳しい。
(もう休憩、挟みたい……!)
エリカは心のなかで弱音を吐き出した。
一方、魔法剣士のサマラフは。
(くそッ……!なんて速さだ!)
躍起になってオレンジ色の髪を頼りに追いかけてるが、ぶつかるところまではいかなくても、まばらに移動する通行人や立ち話している者たちを上手く避けれず、頻繁に見失いそうになる。
(敢えて人が多い場所を選んでいるのかっ!?)
そして遂に次の曲がり角で、彼女の姿は視界から消えた。
「はぁ、はぁ」
立ち止まって息を整え、辺りをぐるりと見渡す。彼はこれまでポルネイには何度も足を運んできたが、道をすべて記憶しているわけではない。
(参ったな……)
彼女に対する敵意は皆無なのに、逃げられてしまう。
革手袋を嵌めてる指でこめかみを押さえ、冷静さを取り戻そうと瞼を伏せた。
(落ち着け……落ち着け……)
繰り返し念じることで、乱れた呼吸が静まっていく。
瞼を開け、手を下ろして浅い溜め息を一つ。
(オリキスという名前の人物。向こうは俺を知ってるらしいな。罠か?任せたって何をだ)
.*°
疲れ果てたエリカは初めて立ち止まり、後ろを振り向いた。体が収まる物陰に隠れ、息を殺して遠くからサマラフの姿を探す。似た色を纏っている者は通っても、冒険者の格好をした者は滅多に居ないため、見つけるのは容易い。
(!)
彼を視界に捉えると、より奥へと体を引っ込め、別方向へ駆けるのをそろっと確認したら、人の気配がない影に覆われた近くの小路へ逃げ込む。
(えっ。行き止まりっ?)
壁側を向かい合わせにした家に道が挟まれている。両腕を広げれる十分な幅はあるが、追い詰められると不利になってしまうのは明白。
前方には、エリカの身長の倍ある高い塀を背後に生い茂っている雑草の群集。体がすっぽり嵌まりそうな深さだ。
(夕方までやり過ごせるかな?)
茂みのなかに暫く待機して様子を見ようと思い、駆け寄る。フードを目深に被りしゃがみ込んだら、四つん這いの姿勢になって前進。
(嘘ッ!?)
足の指先まで入ったは良かった。草から顔を出した瞬間、エリカは絶句。奥に隠れていたのは急斜面の崖だった。
前に伸ばした右手を引っ込めたが重力は許さず、地面は崩れて破れた部分ごと体を落とす。
彼女は咄嗟に目をかたく閉じ、両手で顔を庇って歯を食い縛った。激しく転がりながらガタガタの斜面を下る。
「あらら」。屋根の上を移動してこっそり尾行し、建物の屋上から様子を伺っていたレッドエルフの男は失笑。右手を軒にして見下ろす。翼竜の娘が、まさかそんなドジを踏むとは思っていなかった。
エリカの体が、土のなかから顔を出してる石の出っ張りにぶつかる。やや跳ね上がると着地後、速度を増して転がった。
背の低い雑草が生えた地面の上に放り出されて、ようやく止まる。
「ぅぅ……ッ」
全身が痛い。肌を露出している腕と膝は、血が滲み出るほど擦り剥いた。
「……なんで、こんな……」
空を流れる雲の影が、涙を流して嗚咽を漏らすエリカの体を寂しく覆う。
(お父さんとお母さんが死んだ……?いつ……。手紙、届いたのに?)
バルーガから手紙を受け取って、半年も経っていない。
(何があったか確認するまで……ッ……、絶対に帰らない……)
悲しみに悔しさが混じる。エリカはひとしきり泣いたあと、横倒しになっていた体を仰向けに翻し、右手を震わせながら鞄のなかにある丸薬を取り出して飲み込んだ。
痛みが和らぎ、すう、っと消えていく。傷も綺麗に塞がった。
地面に両手を着いて立ち上がり、土埃を払う。
(何があったか、色んな人に聞いて回ろう)
ふと、オリキスから翼竜について訊くのを忘れていたことを思い出す。だが、いまは関係ない。
(荷物はバルーンが持ってる。あるのは弓と短剣、薬……。所持金と地図は、何処かで調達しよう)
エリカは上を気にしながら崖沿いに歩いてみた。落ちた場所以外はポルネイを囲う塀から大きく遠退いてしまうことがわかり、表情に悲壮感が漂う。
自力で戻ろうにも、何処もかしこも足を引っ掛ける出っ張りがなければ、枝を掴みながら登れる木々が斜面に植わっていない。
(ほんと、踏んだり蹴ったり)
此処を離れて、暫く歩いてみることにした。