傾く心は、白に溶けゆく
(……嬉しいと思う私が居る)
やはり何処を探してもオリキスへの恋心は見つからないままだが、「歳下だから」「子どもっぽい」と言って扱われたことは、確かに一度も無かったようにエリカは思う。その辺りがセティナとカニヴを筆頭に違っていた。
「お料理」
「?」
「口に合わなかったら、無駄にお金を出させることになっちゃいます」
エリカは財布を持っていない。オリキスがすべて支払うことになっている。
「わかった。無難な店に行こう」
そう言って彼が選んだのは、路地裏にある、賑やかすぎず静かすぎもしない食堂。客層は主にシュノーブの民が占めている。他国から訪れてる旅人や商人の姿も見かけるが、無駄に声が大きい者や極端に行儀が悪すぎる者は居ない。
腰にエプロンを付けた男の店員が、二人に近付く。
「ようこそ、『テルビヤンカ』へ。二名様でよろしいでしょうか?」
オリキスは一つ頷いて「あぁ」と言い、続けて要望を伝える。
「厨房に近いテーブル席は利用できるかい?」
「えぇ、先ほど空いたばかりですよ。どうぞ此方へ」
男の店員は奥にあるテーブル席へと案内した。そこでは、客は注文した料理が運ばれてくるまでのあいだ、料理人の調理姿やフライパンで具材を炒める音、窯で焼いたパンの匂いなど、視覚、聴覚、嗅覚を通して待ち時間を楽しめる。しかもカウンター席と違い、厨房と距離があるおかげで、会話の邪魔になることが決して無い。
店員が一度下がると、オリキスはエリカに向かい側の椅子へ座るよう右手で促してから帽子を脱ぎ、装備品を提げているベルトを腰から外す。
「テルビヤンカは、シュノーブの代表的な料理を味わえる評判の店だ。舌の肥えた貴族が民のフリをして来店することもあると言われている」
先に座らせて貰ったエリカは、彼が自分の隣りにある椅子の上にベルトと帽子を置くのを見ながら訊ねた。
「来たことあるんですか?」
「民の暮らしや町がどんな状態か調べに、年に二回はザルディアを訪問し、毎回此処で食事してる。今日のような姿でね」
「一人で?」
彼は座りながら、軽口を叩きそうな意地悪げな笑みを浮かべた。
「さすがにそれは無いよ」
「エンさんやサラ様とですか?」
「いや。彼らは目立つからね」
エリカは、敢えてリラの名前を外した。此処では言ってはいけない気がしたからだ。
「失礼します」
先ほど席に案内してくれた店員が、温かい茶が入ったカップを二人の前に置き、次いでメニュー表を手渡す。
「ご注文が決まりましたら、お声かけください」
「有難う」と、オリキスが礼を言う。
エリカは標準語で書かれたメニュー表を開き、字面を目で読みながら別のことを思った。
(一緒に居るとホッとするなんて、矛盾してる)
逃げれるなら逃げたいと思っていたはずが、時間を重ねるうちに、幻だったとしても居てくれてよかったと安心する弱い自分が居る。
「エリカ殿」
「はい」
「迷うなら、定番の朝食にしようか?」
「じゃあ、それで」
オリキスは近くまで来た店員に話しかけて朝食を注文。メニュー表を閉じて横へ置くと、テーブルの上で手を組んでエリカの顔を真っ直ぐ見つめる。
「どの国で何を見て耳にしたか、君が話したくなるまで此方から訊くことはしない。誰かに訊かれて不快だったときは答えなくていいからね?」
「オリキスさんの立場が悪くなりませんか?」
「全然。王の特別な客として迎え入れたからには、滞在期間中は厚遇をすると決めてある。合意させた」
見返りを求める代わりに最低限のことをするのは義理だと、彼は思っている。
「だが、弟は……性格があぁで。面目ない」
困り気味な微苦笑を浮かべて視線を外し、一人の兄らしく反省するという、バーカーウェンでは見せなかった素の姿を目の当たりにしたエリカは、微かに表情を綻ばせた。