魔の地平線へ沈む、赤い揺籠に
(嘘を贄にしたら近道って、私が責められる結果に終わることだったんだ。じゃあ、毒も?)
選択肢を二つ用意したショウエンは此処に居るジョアンよりも泥酔し、ロキ皇子の肩を借りるほど正常とは言えない状態だった。画策していたにせよ、罠に嵌めるのは難しい。
では、シシリアか?
テラスで出会った、あの青年か?
リュイの可能性も……。
疑わしい人物は多い。考えるのは後回しだ。
「サマラフ。私を信じて」
「……ッ」
犯人探しは此処を乗り切ってからになるだろう。
ジョアンはサマラフに「グラスを貸しなさい」と命令。受け取るとエリカに差し出し、横柄な態度で言う。
「毒が混入してると言い切るなら、君が飲んで証明したまえ」
「!、ジョアン様……!!」
「問答無用。この娘が嘘を吐いていた場合、衛兵に捕縛させ、明朝まで悲花層で過ごさせる。明日になっても謝罪の意思が無ければ、私が許可するまで釈放厳禁だ」
「!!」
「さぁ!嫌なら土下座をして謝罪し、さっさと会場から出て行きたまえ!」
野次馬の好奇な目に晒され、賭けを始める声がひそひそと聴こえ出す。
「……わかりました。飲みます」
「エリカ、やめろ!」
サマラフは悲花層がどんな場所か知っている。毒が混入していたにしてもどの程度の致死量か、何の毒か不明だ。
(証明する方法はほかにある。何をそこまで拘るんだ……!?)
エリカは恐怖心を抱いてることが伝わる、強がった笑みをサマラフに向けた。
「私は平気。倒れても、また助けてくれるって信じてるから」
エリカは一か八かの賭けに出てグラスを受け取り、一気にワインを飲み干した。周囲から興奮気味な感嘆の声と、嘲笑じみた声が聴こえる。
「……ふっ。六秒経ったが、何も起きないな」
自身の勝利を確信したジョアンは笑う。
「はっはっは!ほら見ろ、私の予想が当たった!」
「ジョアン様。彼女に悪気があったわけではないはずです」
「庇うのかね?君と私の顔に、いや、ロアナの顔に泥を塗ろうとしたのだよ。目出度い席でこのような侮辱をするなど」
「ですが」
「約束は約束だ。衛兵!衛兵は何処だ!?」
ジョアンが立ち上がった瞬間、グラスが滑り落ちて床の上で砕け散った。賑やかになりかけた場が一斉に静まり返り、注目が一人に集まる。
エリカは全身に襲いかかってきた悪寒に耐えれず座り込み、左手で口を覆った。咳こうとした瞬間ごぽっと溢れ出た多量の鮮血が、指の隙間から流れ落ちる。
それを見たジョアンの酔いは急激に冷めた。
「な、なぜだ!?」
室内がざわつくなか、背筋を丸めて咳き込むエリカに生命の危機を感じたサマラフは急いで駆け寄り、肩を抱く。
「ジョアン殿、医者を!」
「わ、わかった!」
ジョアンは席を離れ、近くに居る出席者たちに向かって、誰か医者を呼んでくれと大声で頼む。
「エリカ!大丈夫かっ!?」
両肩を掴んで彼女の上半身を起こしてみた際、口を塞いでいた手が自然に離れるほどに脱力しているのを彼は知った。
唇の血色を見た限りまだ生存は望めそうだが、息苦しさが酷くなっていく。
「……サマラフ……」
「医者が来る」
「…………あなたが助かって……、よかった……。ドレス汚して、ごめん……なさい……」
「謝るのは俺のほうだ」
見殺しにするようなことしかできなかった。
「ッ……犯人、捜して……」
「必ず見つける」
血で汚れた彼女の片手を握ると、体温の低下を感じた。目は少し、虚ろになりかけている。
「…………最後に、言いたい。最後、だから」
「最後じゃない」
握っている手がするりと抜けてしまいそうになる。
エリカの瞼が半分閉じた。
「私、あなたのことが……」
「言うな。
君は両親のために生きるべきだ」
「…………」
うわ言さえ許してくれない。こんなに苦しいのにーー。エリカは涙を一筋流して瞼を完全に伏せると、意識を手放した。
*
エリカを尾行して後方から様子を眺めていたエンは、颯爽と大広間へ戻る。
「サラ様」
歓談中だったサラは出席者たちの輪から離れて壁側に移動。エンはエリカの身に何があったか、耳打ちで報告する。
「如何なさいます?」
「放っておけ。易々と死にはしないだろ。悪運が強けりゃ生還するさ」
「……。それにしても異様ですね。誰も騒がない」
サラは近くに置いてある椅子へ座り、犯人探しする気分で各国の代表たちに目を向ける。
「東国のリシュア王妃なんかは肝が据わってるな。顔色一つ変えやしない。夫を殺されたと言ってたそうだが、アイネスと裏取引をしたって噂がある。
クダラのネリッス殿が澄まし顔なのは、此処に自分の敵は居ないのをわかってるからだ。リュイ殿は……。気分は優れないってところだな。サマラフを横取りされたからか?
ロキの小僧は長い物に巻かれて知らんぷり。利口なこった。アルデバランの娘と直前まで話してたらしいショウエンの奴は内心、冷や冷やだろうよ。あぁ見えて気が弱い」
「イ国は関与しないよう、一線引いてるみたいですね」
「あぁ。そして、渦中の女は居ない」