天牢の王子(2)
「あんた、一人かい?」
「!」
気付いたときには、声の主がグラスの向こう側で、白い手袋を嵌めた左手をテーブルの上に着かせていた。
エリカは顔を上げる。
燻みがかった紫色の髪を後ろへ流し、首の後ろで小束にして短く結った、四歳か五歳上と思しき青年が気障とも受け取れる笑みを此方に向けていた。
口元だけ見れば軽薄そうな印象に感じるが、鋭い目付きから注がれる視線は、会場内で絡んできたへらへらしてる男たちとは一線引いた強さがある。
エリカは惹き込まれるように、素で答えた。
「はい。一人です」
「相席しても?」
あまり気は乗らないが、「どうぞ」と言いながら、右の手のひらを上にして向かい側の席を示し、着席を勧めた。
「休憩?十二糸が出席してると、空気が悪いもんな」
どんな会話が始まるのかと思いきや、突然、侮辱から始まった。
(この人、悪口を言いたくて、わざわざ話しかけてきたの?)
座ってすぐ脚を組んで椅子の背凭れに重心をかける青年の偉そうな態度も、エリカは感心しなかった。
冷静を装い、突き放した口調で返す。
「皆さんが根っこから悪い人だなんて、私は思いません」
「オレは彼奴らが悪人とは、一言も喋ってないぞ?」
(何なの、本当に)
エリカは押し込めてきた不快感を、丸裸にされた気分になった。相席を許可しないほうが正解だったと後悔したが、相手を友人か何かと勘違いしてるような飾り気のない態度で接せられ、意地悪くされるのを、悪い意味で気楽に感じてしまう。それをまた認めるのが嫌で、紛らわせるために冷たいジュースを二口飲む。
「擁護するってことは、あんた、十二糸に知り合いでも居るのかい?」
「……知り合いって表現が正しいのか不明ですけど、サマラフには懇意にさせて貰ってます」
青年は語尾を上げ、
「へえ?」と、関心を持った反応をする。
「ほかに面識があるのは、ゼアさん、カロルさん、ジルバドさんだけです」
「へっ。ロクでもねぇ奴の名前ばっか。じじい以外、国のお飾りじゃねぇの。人を見る目がないな」
「あなたこそ、知った風な口振りですね」
「此処に来てる大半の奴は知ってるさ。カロル殿やサマラフ卿の面前では、憚れる発言だけどよ」
エリカの視線に怒気が込められてることに彼は気付いてるが、嘲笑を浮かべて、お構いなしにべらべら話す。
「アイネスの軍事支配権は実質、カロル殿が握っている。あの悪女は、国王の寵愛を利用して悪巧みを働くのが仕事だ。
他国の民が苦しんでても他人事みたいに素通りできるサマラフ卿も、忠誠心なんてクソ喰らえのゼアも、名誉や地位が絡まねぇと人助けしない軟弱者。
何が織人事件の英雄たちだ?
何処がまともなんだよ」
言いたい放題されたエリカはテーブルの下で拳を作り、眉間に皺を寄せた。
「人には、人の事情があります」
「十二糸の事情?呪いによる不幸を利用してる奴らが?」
「カロルさんとゼアさんがどんな人たちか、詳しくはわかりません。
だけど、サマラフは違う。私たちが知らない所では、本心ではきっと幸せになりたくて。でも、どうにもできないことがあって無理したり、耐えてる所があるはずです」
青年はやや前のめりになり、テーブルの上に両肘を着けて腕を乗せるとグラスを右手で掴み、自分のほうへ引き寄せる。
「あんた、目出度い頭してるんだな。世界に呪われた連中が幸せになっていい権利なんか、持ち合わせちゃいねぇんだよ」
彼は後半、声を強めて喧嘩腰に言った。
エリカは拳をぎゅう、っとかたく握り締めて反論する。
「あなたが決めることじゃありません。どんな事情がある人でも幸せになっちゃいけない人なんて、何処にも居ないです!」
「……」
青年の表情から笑みが消えた。眉間に皺を寄せて口端を下げ、頬杖をついて睨み返す。離れた所で様子を見守っている給仕係りは騒動にならないか、青褪めた顔ではらはら。ほかの席で休憩してる出席者たちも「何があったのかしら?」と、ひそひそ話をし始める。
「……あんた、面白いな」
青年は満足し、不敵な笑みを浮かべた。
エリカは野心を孕んでそうな眼を見てオリキスを思い出し、表情を歪めて泣きたい気持ちになる。
(似てないのに)
彼は不快なことがあっても、突然相手を軽んじて見下す人ではない。似てない。
なのに、重ねて見てしまった。
「なぁ、オレと一緒にパーティー回らないか?」
「嫌です。私は人捜しをしなきゃいけません。あなたに構ってる暇はないんです」
エリカはグラスを返して貰おうと右手を伸ばしたが、青年に取り上げられて全部飲まれてしまった。
「あま。幼少期以来だぜ、ジュースを飲むのは」
「口が悪いのは生まれつきですか?」
「あんたが言いやすい顔をしてるからだ」
「人のせいにしないでください」
「で。誰を捜してるんだ?協力してやってもいいぜ」
青年は手のひらを返したように態度を変えてきた。嫌な予感しかしない。エリカは警戒心を強めて凝視する。
(怪しい)
「オレ、こう見えて顔は利くんだ」
「……」
口から出たでまかせに聴こえるが、彼の態度は、自信に満ち溢れている。
(…………。どうせ聞いて回るのは、もう無理だから……)
エリカは賭けてみた。
「シュノーブのサラ様です」
出された名前に、青年は目を丸くする。
(この女、やっぱりオレを知らない?)
話をずっと聞いてて、実はそうなんじゃないかと彼は思ってはいた。
(サマラフの野郎を呼び捨てにしてたな。カマをかけてみるか)
自分に何の用があるのか興味が湧いたサラは、探りを入れることにした。
「王子に会ってどうするんだ?話があるなら通してやってもいいぞ」
エリカは顔をぷいっと右に向けた。
「ふんっ。誰があなたになんか教えますか。私の品性が疑われます」
(本人を前に、酷い言い様だな)
サラは愉快で仕方なかった。種明かしをしたときの彼女の驚く顔が、いまから楽しみでならない。
「あっちは王族。あんたみたいな誰ともわからない初対面の女に会って、話をじっくり聞いてくれると思ってんのか?」
真っ当すぎて、うぐっと言葉に詰まるエリカ。しかし、自分の正体を明かすのは危険だ。
彼女は不満を残した表情で、顔の向きを戻す。
「…………魔法騎士のオリキスさんをご存じなのか、サラ様に訊ねるのが目的です」
「!?」
サラは驚いたが、真面目な表情をして黙るに留まる。
「事情をご存じなら、なぜ私を島から出したのか教えて貰いたくて」
「あんたの名前は?」
「……」
「言わなきゃ伝えようがないだろ」
「……。エリカ」
(!!)
彼女は、怪訝な目をする。
「何ですか?」
「平凡な名前」
「ありがちで悪かったですね」
サラは両腕を組み、再び背凭れに重心を預けて不敵な笑みを浮かべ、顔をじっくり見つめる。
(なるほど、この女が)
兄の言っていたアルデバランの娘。話に聞いていた通りの極平凡な娘だが、幸せになる権利があるとはっきり言われては、可能性に賭けたくなる気持ちに同調したくなる。
「シュノーブには魔法騎士が大勢居る。オリキスって奴が実在するかはさておき、責任を持って伝えておこう」
「実在します」
「してないとは言ってないだろ?」
「ッ、」
(てっきりシュノーブへ直行したと思っていたのが、引き合うように出会えた。良い土産話ができたな)
サラはテラスへ出てきたエンの姿を視界に入れ、ゆっくり立ち上がる。
「すまない、所用ができた」
「約束、破るんですか?」
「……」
彼には一つ、不可解な点があった。
「さっきから気になってたんだが、サマラフ卿に頼めばあっさり会わせてくれるだろうに。なぜ遠回りするんだ?」
「!」
エリカは数秒間、考え、あいだを置いてから返事をした。
「秘密です。でも、会うのを反対されてるわけじゃないですよっ?」
何か不味いことがこの娘にはあるが、どちらかと言えばサマラフにありそうな気がすると、サラは感じた。
「わかった。王子には必ず伝えておく、絶対に」
今回は意地悪ではない、かたい口調で誓う。
「またあとで落ち合おう」
「お願いします」
エリカは立ち上がり、颯爽と歩いて会場へ戻る。
サラはその後ろ姿が見えなくなるまで視線を送り、視界から消えたのを確認してから右手の人差し指をくいくいっと動かし、エンに此方へ来るよう命じた。
「いまのがアルデバランの娘だ。番犬付きで来てる」
「クリストュル様から話は伺ってましたが、実物は至って何処にでも居そうな娘ですね」
「おまえには、退屈凌ぎにもならないだろうな」
「サラ様は違うと?」
「第一印象は気に入った」
クリストュルからエリカに好意を持ってる話をされていたエンは半眼になり、厄介なことにならなければいいがと頭を痛める。
兄が抱いてる想いを知らされていないサラは一人ご機嫌だ。
「此処に集ってる連中どもが翼竜の子どもが居るとわかったら、さぞ驚くだろうな」
「バレたら会場が血の海になるか、捕縛されたら処刑一直線でしょう」
「そうなったら、シュノーブの命運は尽きる。勝算があれば誘拐して帰国すればいい話さ。
ところでエン。
逢瀬を邪魔しに来たってことは何か用事があるんだろ?」
「サマラフ殿が、サラ様を呼んで来いと」
「次は番犬の相手か。アルデバランの娘に出会したのは黙っておけよ」