命か、心か
サマラフは城内の者にゼアとエリカを見なかったか尋ね、此処に居ないことがわかると急いで自宅に戻り、賑やかな話し声が漏れてる広間へ駆け込んだ。
静まり返る室内。
温かい茶が入ったカップを、脚が短いテーブルの端へ置いてる最中だったメイベは主の早い帰宅に驚き、前身の向きを出入り口がある方向へ変える。
「お戻りになるとは思っていなかったので。すみません、お出迎えできず」
「…………いや」
エリカはセティナと四人掛け用のソファに座り、テーブルを挟んだ向かい側にあるもう一台のソファを一人で占領しているカニヴと共に、カードを使った遊びを楽しんでいたが、いまはその手を止めてサマラフを見ている。
「おかえり。汗だくになってるけど、忘れ物でもしたの?」
彼女がゼアに危害を加えられた様子は無い。姿を確認できたサマラフは壁に手をつき、疲れ切った表情をした。
「無事に帰ってたんだな」
「!」
一斉に振り向かれたエリカは体をビクッと動かし、気まずさを感じる。城内で何があったかセティナたちに説明せず、サマラフと会わずにリュイを送り届けてきたことしか話していなかった。
エリカはテーブルの上にカードを置き、場を取り繕うように苦笑いを浮かべる。
「ごめんね。リュイ様が婚約者なのわかっていたら、遠慮して行かなかったんだけど」
「……。知られたくなかったよ」
エリカは、おまえには関係ないことだと言われたように聞こえて心痛を感じ、唇を噛み締めて俯き加減になる。
メイベは心配顔でカニヴの目を見つめ(もしや、私情の縺れですか?)と無言で尋ねた。肯定する頷きが返ってくると慌ててサマラフに駆け寄り、深々と頭を下げる。
「ご主人様、申し訳ございませんっ。私の配慮が足らず」
「説明不足だった俺の責任だ。おまえは悪くないよ。
エリカ。場所を変えて、君と二人で話がしたい」
室内に漂う静けさに背中を押される形で、エリカは渋々部屋を移動した。
「座ってくれ」
サマラフに案内されたのは、メイベが手紙を見せてくれた部屋だった。
エリカは勧められた一人掛け用の椅子へと座る。サマラフは壁を背凭れにし、腕組みをして立ったまま訊ねた。
「一人で戻ったのか?」
「ゼアさんが家の近くまで、送り届けてくれた」
「彼奴と何を話した?」
「特に何も。チャイソンに雇われてるのと、リュイ様の護衛でロアナに来てるのを教えて貰えた程度?」
「……。ユマ様は、君を傷付けなかったか?」
何をそこまで気にするのか。エリカは疑いの目で彼の目を見つめる。
「サマラフ。私、あなたの役に立ってる?苦しめてない?」
「何を言われた?」
「私が知りたいの」
「君のチカラは人の役に立ってる。俺が感じてる苦痛は、自ら選んで招いたことだ。君には関係ない」
「ッ……」
また、言葉で壁を作られる。エリカは疎外感からスカートをぎゅっと握り締め、涙を堪えた。
サマラフは気持ちを汲むことなく、訊ねる。
「本当に何を言われたんだ?」
執拗な追及にエリカは引っかかりを覚えたが、気になる点のみ抜粋して話した。
初対面のユマが、アルデバランの娘を知っていること。
サマラフが物として扱いを受けてるのではないか心配してること。
リュイとの婚約を強要されてるのか否か。
「俺が君と行動を共にしてる話は、ロアナの伝令から聞いたらしい。ユマ様は、ほかの者には秘密にしてると仰っていた」
「王様って、信じていい人なの?」
「皮肉と嫌味は多いが、あぁ見えて嘘は吐かない御方だ。耐性が無い者は、君のように大抵不安がる」
エリカには、ユマを庇ってるように聞こえた。
「サマラフは違うでしょ?」
彼は、自嘲気味に微笑む。
「俺は軟弱者さ」
(……なんで自己否定するんだろ。頼りになる、かっこいい人なのに……)
「リュイ様についてだが、」
「……」
一番聴きたくない本題が来た。
「織人事件のとき、彼女は人質にされていた。家族を失ったところへ真っ先に助けに現れたのが偶然にも俺でな。何処か境遇が似てる相手に一方的に惹かれるのは、世間でもよくある話だ」
エリカが抱いてる恋心も勘違いだと思い込ませたくて、遠回しにそう言った。
「そもそも、俺が十二糸じゃなければ、王族の婚約者に選ばれるはずがない」
「じゃあ、私が呪いを切れたら、サマラフは自由になれるの?」
淡い期待を感じさせる真摯な問い。
サマラフは心境を悟られない程度に、怪訝な視線を彼女に送った。
「世界の呪いを断った瞬間、何が起こるのか不明だ。わかってることがあるとすれば、チカラで権力を誇示してきた国は不利益を被るだろう」
「国のチカラを削いだら、シュノーブは……」
「自衛は難しいな。アイネスが植民地化を先延ばしにして様子見に留まってるのは、シュノーブは極寒の国で、海を渡らなければ進軍できないからだ」
「それなら安全そうなのに」
彼女の言葉を聞けば聞くほど、彼の胸中がざわつく。
「サマラフはオリキスさんに、呪いを断たせないことを勧めるの?」
「あぁ」
「オリキスさんと周りの人は、幸せになりたいのに?」
エリカの問いの奥にある感情はとても危険だと感じたサマラフは、眉間の皺を濃くする。
「人々に災いをもたらしてまで掴みたい個人的な幸福に、俺は価値を感じない」
望まない結婚は生まれ育った国とヘルバード家を再興してくれたユマへの恩返しであり、平和への献身的なおこないだとサマラフは了承している。例え、自己犠牲に見られたとしても。
「君を中心に、矛盾に聞こえるのはわかってる」
「……」
「……。明後日、」
深掘りされるのを避けようと、サマラフは話の軸をずらす。
「明後日、シュノーブのサラ王子がロアナの建国記念パーティーに来たとき、探りを入れてみる」
「私も参加しちゃ駄目?」
「却下だ」
エリカは、むっとして、反抗的な目をした。
「王子様に会って、自分の耳で確認したい。それに、サマラフに危険が及ばないとは限らないよ」
「不快な思いをさせるのが目に見えてる」
彼女は限界と言わんばかりの不満顔になり、すくっと立ち上がって、
「ケチ」
と、強めに言った。
サマラフは組んでいた腕をほどく。
「俺は俺自身のことより、エリカのほうが心配だって言ってるだろ?」
「どケチ」
「ッ」
意見の食い違いは、口論に変わりつつある。
と、そこへ。
「拙者はエリカ殿の出席に賛成でござる」
一触即発になりかけの空気を裂くように、聞き耳を立てていたカニヴはドアを開け、明るい声で後押しした。
「儂も同意見じゃ」
セティナも、カニヴの後ろから援護する。
「サマラフ。不運の大小に差はあれど、おんしと別行動しては、都度、エリカは困難に巻き込まれがちじゃったが、それで救われる者も居った。悪く考えるでない」
サマラフはエリカと出会ってからのことを脳内で振り返り、一人だけ悪者にされてしまった不貞腐れた気分になって、重い溜め息を吐く。
「一晩、考えさせてくれ」
セティナの後ろに控えていたメイベは気を遣い、
「エリカ様、寝室のことでお尋ねしたいのですが」
声をかけて主と引き離し、案内する。
部屋にはセティナとカニヴが残り、ドアが閉じられたあと、サマラフは椅子へどかっと腰掛け、脚を組んで苦い表情を浮かべた。
「おまえたちは残酷だ。エリカの心を傷付けても連れて行けと言う」
「サマラフ殿は命より、心が大事でござるか?」
「俺は両方とも大事にしたい」
「贅沢でござるな。覚悟は、とうに決まっておると思ったが?」
「……」