鍬と魔法のスペースオペラ 第九章 その9
9・防衛隊の試練
宇大防衛隊宇宙艦隊のアム・マイモン司令教授は、50代にして宇宙艦隊のトップになった才媛で、紫がかった銀髪と、金色の瞳が印象的な、スレンダー体型の知的美人である。見た目は20代前半にしか見えない。
いつもは落ち着き払っている彼女だが、ウィリアムから提供されたデータを見て、硬直から抜け出すのに、たっぷり30秒以上かかってしまった。
というか、そもそもあっさりデータ提供が受けられるとは、正直なところ、誰も思っていなかっただろう。
なにしろ王国の主要メーカーが必死で求めつつも、なかなか得られず、得られたとしても第1次改装資料といった古いものだった。
中には主要メーカーであるにも関わらず、まったく得られていない某メーカーのような例まであるので、多少古くても我慢するしかない。
それなのに、ウィリアムが寄越してきたのは、現時点におけるタルシュカット領軍艦艇のフルスペックであった。
メーカーのように設計図を提供されたのではなく、あくまでスペック表でしかないが、レーザーやブラスターの出力や、ディフレクター・シールドの抵抗性能まで記載されており、第一級の軍事機密であるのは確かだ。
だからこそ、司令部の幹部の中には、データの信頼性を疑う者も多く、ちょっとした騒ぎに発展してしまった。
「疑うくらいなら、端っからデータ提供など求めるな」
見かねたクリプトマンが一喝したおかげで、その場は収まったが。
入試ではウィリアムにしてやられた形のクリプトマンだが、実力は疑われていない。
むしろ防衛隊最強の一角が崩された事に、隊員のショックが大きかったくらいだ。
そして完全にしてやられたとはいえ、ウィリアムと接触し、実力の一端を知る人材として重宝されている。
司令教授も無視できない程度には。
「ごめんなさい。ちょっと常識外れのデータ内容だったものだから……うん、だからこそ、このデータは信用できるとも言えるわね」
マイモンはため息と共に、パーソナルモニターに表示されているデータを指先でつつく。
「なるほど、大国の主要メーカーがデータを欲しがるわけね。防衛隊の最新鋭の戦艦でも、タルシュカット領軍の戦艦に対しては、1対3で当たらないと厳しい、か。
それにこの新兵器の数々!
トア・ミサイルにマキア・ミサイル。それにアクティブ・ステルスですって?
こんなものをばら撒かれたら、数的有利すら当てにならない……」
「サーは、今回戦闘になどならない、田舎貴族の辺境ジョークを本気にしてはならないと仰っておりましたが?」
クリプトマンはウィリアムを既に『サー』と呼称するようになっていた。
「この艦船スペックと、受験艦隊の艦隊戦記録は、冗談では済まされないの。
確かにサー・ウィリアムの言うとおり、航宙艦では惑星や大型コロニーのシールドは抜けないのはエネルギー量からいって確かなのだけれど、タルシュカットには、その確かささえ揺るぎかねない不気味さがあるわ。
――いわゆる『現場の勘』かもね」
マイモンの発言に、参謀達も重々しく頷く。
その様子は、いかにも歴戦の勇士のようではあったが、実はこの中に、ガチの宇宙艦隊戦や要塞もしくは惑星防衛戦の経験者はいない。
当然の話だ。公式記録上、ガチの宇宙艦隊戦は、ウィリアムの受験艦隊が初であるし、非公式の中規模艦隊戦も、辺境でもない限り、そうそう起きるものではなかった。
それに宇大星系はその周辺星系も含めて、王国や帝国との距離が離れすぎており、両国の軍はもちろん、宙賊すらそうそう出現しない。
もっとも、宙賊からすれば、苦労して辿り着いた挙げ句、教授や学生の実験材料として、新兵器や実験兵器のマトになるのは、ハイリスクローリターン過ぎるだろう。
というわけで、宇大防衛隊は、その高い練度や優れた装備にも関わらず、実戦経験はほぼ皆無であった。
有名な『殲滅伯』の啖呵の録画を見て、内心震え上がった幹部も多い。
しかし、それでも、宇大の重要施設がある各惑星や校舎コロニー群の防衛力に関しては、絶対的な自信が防衛隊にはあった。
というか、それしか自信がなかったとも言える。
そんなわけで、宇大星系のハビタブルゾーン(恒星系における、水が液体でいられる範囲の事。人類型生物が生存できる条件の一つであり、そこに岩石型惑星があると、テラフォーミングの対象になりやすい)の外縁宙域に艦隊を展開し、タルシュカット領軍を迎え撃つというロマン溢れる案は却下され、艦隊はもっぱら索敵に専念し、防衛戦は惑星やコロニーの戦力を用いる案に落ち着いた。
もっとも、戦闘の前に、もう一度とは言わず、交渉による平和的解決を模索する事は大前提である。
艦隊運動に一家言あるクリプトマンも、タルシュカット領軍とは戦いたくなかったのか、あっさり司令部を支持、これで全体方針が定まった。
方針が定まったからには、さっさとタルシュカット領軍艦隊(宇大側は、この時点でも、敢えて『敵軍』『敵艦隊』という呼称を避けていた)を見つけ出し、交渉に持ち込まねばならない。
一般通信波、全チャンネルを使って領軍に呼びかけつつ、艦隊を4〜5隻の小艦隊に分け、宇大宙域をくまなく探索したものの、行動開始から既に6時間経った現在でも、艦影はおろか、痕跡すら見つけ出す事はできていない。
通信も完全に無視されている。
自艦からリモート講義をしていたウィリアムも、とっくに講義を終えた。今頃[レパルス]でくつろいでいる事だろう。あるいは既に就寝しているかもしれない。
「サー・ウィリアム、ね……そもそも殲滅伯は、どうして彼を取り返す為に、軍を動かしたのでしょうね?高家に叙爵されたとはいえ、サー・ウィリアムは10歳。HDを入れても11歳の子供に過ぎないわ。
それこそ父親が『戻ってこい』と命じてしまえば済む話ではなくて?」
領軍艦隊が見つからないストレスを逸らそうと、マイモンが司令部に詰めている幹部達に話題を振ると、クリプトマンがすかさず反応した。
「サーは、宇大で研究開発する事を、とても楽しみにしておられるご様子でした。
それに誰もが知る事ですが、サーはとても聡明な御方です。父君の命令とて、唯々諾々と受けられるとは、とても思えません。
親子仲はとても良好との事ですが、この事件をきっかけに、両者に溝が生まれるやもしれません」
クリプトマンの言に、司令部が震撼した。
「いやいやいや、それは拙い。宇大のイメージを大いに損ねますぞ」
「ウィリアム少年がこちらサイドなら、むしろ彼に父親の説得を願うべきでは?」
「バカを申すな。そもそも殲滅伯がかような暴挙に出たのは、我々が不甲斐なく見えたからだぞ。これでウィリアム少年に頼るようでは、誤解に拍車をかけるだけではないか」
「第一、我らの面子はどうなる?このままでは丸潰れだ。来年度の予算にも関わるわ」
「では一戦望むか?かの殲滅伯に?しかもその艦隊はウィリアム少年の作品ときた。
ここだけの話だが、とても我が艦隊で勝てるとは思えぬ」
話題がかなりネガティブな方向になってきて、司令教授はため息をついた。
「ちょっと、そこまで言わなくても……でも、ことさら侮辱に聞こえないのも情けない話ね」
「「「はぁ……」」」
いよいよ空気を変える必要があると、マイモンは全員に紅茶とケーキを手ずから配る。
もちろんMFMを操作しただけであり、紅茶もケーキも、元は同じフードコアだ。
とはいえ、MFMの高級機を十全に使いこなすには、相応にセンスとこだわりが必要であり、マイモンには残念ながらその双方とも欠如していた。
ゆえにウィリアムが[レパルス]オーナールームで、アルスティナ王女やリルルカにふるまったようにはいかない。
紅茶は色が付いた白湯のようなものだったし、ケーキは西暦1970年代のアメリカ製ケーキ缶詰に近い。ボソボソのスポンジに、ただひたすら甘いだけのクリームを塗ったくった物体といえば、イメージが湧くだろうか?
もっとも、司令部の面々にとっては慣れた味だから、どこからも文句は出ない。
この場にウィリアム達が招かれなかったのは、双方にとって幸いであったかもしれない。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
――タルシュカット艦隊がゲートを通過してから、12時間経過した。
宇大防衛隊宇宙艦隊は探索を続けているが、未だタルシュカット艦隊の発見には至っていない。
軍艦なので、隠密行動を取られると、レーダーの反応が極端に鈍るし、噴射光がみえる反動推進ではないため、光学式探査でも発見は難しい。
それでも例えば星の光を遮る可能性はあるし、反射光が何かの拍子で起きるかもしれないので、航宙艦の観測班は大変だ。
肉眼で確かめるのは不可能なので、結局は機械任せではあるのだが、それでも神経をつかうのは、彼らが実戦慣れしていないからだろう。
そのせいか、交替のシフトはかなり念入りに練られ、1時間勤務の4直体制という、夢のような労働環境となった。
そんな中、重要かもしれない報告がもたらされた。
報告したのは、駆逐艦索敵班イアン・シード助手。彼は休憩時間に後輩現役宇大生の天文サークルの活動報告をチェックして、気付いたという。
「天文サークル?」
報告を聞いたマイモンは、不思議そうな顔をした。
「宇大生による趣味の団体です。クラブ活動とは違い、宇大の干渉は最低限で、予算配分もほぼありません。運営は学生がアルバイトをして賄うのが普通で、中には金持ちの学生がパトロンになるケースも存在します」
参謀(主任教授)の一人が説明すると、マイモンは不機嫌そうな顔に変わった。
「それは知ってるけど、すると何?
うちの艦隊は、学生サークルにも劣る探査能力しかないわけ?
私が不思議に思ったのはそこよ」
報告の内容は、こうだ。
『――オルベシウス星系のアステロイドが、氷小惑星、岩石小惑星、共に急激に減少。
恒星の活動には変化がなく、なんらかの外的要因が考えられる――』
防衛隊司令部が関心を寄せるには、充分な内容だった。
オルベシウス星系。
宇大星系にもっとも近い恒星系で、約80光年の距離にある。恒星のタイプはG。すなわち金色系だが、残念ながら惑星を持たない。
その代わりといっては何だが、小惑星が大小併せて数億個はある。それも岩石タイプと氷タイプの両方があり、氷小惑星を構成しているのはメタンではなく水である。
それだけなら、戦略的な要地のように聞こえるかもしれない。
宇大星系に近い恒星系は、オルベシウス星系と、宇大星系から100光年離れたナベリウス星系しかない。そこからは実に20万光年もろくに星間物質すらない不毛な空間が広がるばかりなのだから。
だが、結局オルベシウス星系は価値がないとされてしまった。
膨大な小惑星の軌道は不安定で、小惑星同士の衝突はしょっちゅう起こるし、中には恒星オルベシウスに突入してしまう場合もある。
そもそもこの星系に惑星が存在しないのは、星系が生まれてほどなくして、原始惑星の類が悉く恒星に落ちてしまったかららしい。
そんな状況では、手頃な小惑星を拠点にする事すら難しい。
加えて、この星系の岩石小惑星からは、レアメタルの類がほぼまったく産出されなかった。つまりこの星系には資源衛星として有望な小惑星が存在しない事になる。
もっとも仮にレアメタルがあったとしても、本格的に採掘できる環境ではない。
これらを総合した評価はF。開発する価値はないとされた。もっとも、こういった恒星系は広い宇宙では、珍しくもない。
だが、宇大星系にもっとも近い、というだけで価値を求めた者達はいた。
宇大には多くの天文サークルが存在するが、その一つ[タウラスの夕べ]は、メンバー数300人ほどの中堅サークルだ。将来相応の専門家になる事を見据えた、正規クラブ活動とは違い、あくまで趣味の団体であった。
だが、趣味だからこそ、突っ走る事もある。
今から30年ほど前、[航宙研]に協力してもらい、これら二つの星系に、超空間通信器を搭載した観測衛星を送り出した。
[航宙研]もまた学生サークルだが、[タウラスの夕べ]とは歴史も登録メンバーの数も資金力もまるで次元が違う。
なにしろ宇大の創立直後に結成された、宇大でもっとも古いサークルだ。『部』に昇格しないのは、あくまで伝統を重んじたからでしかない。ただしサークルであるため、大学から配分される予算は最低限度に過ぎない。
それでも正規のクラブより経済力があるのは、OBやOGからのカンパという名の膨大な資金提供があるからだ。中には航宙船の重要パーツをそのまま寄贈してくれる剛の者までいる。
そんな金持ちチートサークル[航宙研]が小型の無人航宙船に寄贈された小型のHDジェネレーターを取り付け、人工衛星をオルベシウス星系に送り込む事となったのだ。
計画のきっかけは、合コン時の馬鹿話に過ぎなかったのだが、幸い翌日にその事を覚えていた者が多かった事、誰もが自分自身では本気にしていなかったが、周りは本気だと勘違いしてしまった事などが重なり、実現してしまったのだ。
それから30年。
超空間通信機能を有した無人観測衛星[スバル]は後輩に委ねられてきた。
大学サークルレベルで、恒星系間観測衛星を持つ事は異例で、後輩達にとって誇りではあったが、保守管理には限界があった。
予算配分の問題はあったが、それ以上に衛星整備のための航宙船の手配が追いつかない。
というわけで、現在[スバル]は光学センサーを始め、約3割程度、観測用機材にかぎっては約8割のセンサーが停止している状態だ。衛星としての存続を重視してきたためだが、観測衛星としては、半ば死んだ状態に等しい。
だが、今回活躍したのは、残りの2割。特に質量観測器が殊勲賞ものだった。
それによると、岩石小惑星帯と氷小惑星帯の両方で、大幅な質量減少が認められた。
小惑星は大小様々なので、何個の小惑星が消えたのかは分からない。
だが、質量計から換算するに、タルシュカットが持ち込んだ例の自称移動式資源衛星なら、数百万個分はあるだろう。氷、岩石合わせてだが。
ディフレクター・シールドを張り、質量ミサイルとして運用するならば、氷か岩石かはあまり関係はない。
「タルシュカットに採られたのか?」
司令部の誰かが呟く。
盗られた、ではなく、あくまで採られたというのは、オルベシウス星系は別に宇大の領土ではなく、小惑星に関する権利もないからだ。
「タルシュカットが小惑星を手に入れたとなると、ヤツらの狙いは、やはり質量ミサイル……」
「質量ミサイルが数万倍に増えたと?はは、悪い冗談だ」
「冗談だったら、どれだけ良かったか」
「オゥンドールの御曹司は、ジョークだって言ってただろう?」
「それが本当なら、どれだけ良かったか。もう洒落にならん所まで来ている」
防衛隊幹部達の視線が泳いでいる。中には脱力してしまったか、膝が落ちる者までいた。
いや、本来なら、たかが質量ミサイル。
数百万発食らおうが、宇大の惑星やコロニーを守り通す事は、むしろたやすい類に入る。
惑星が供給するエネルギーレベルの差というヤツだ。
だが、ウィリアムが提供した艦隊のデータや、懇意にしている工学部(帝国閥)の教授の話が、タルシュカット領軍の技術力評価を、大いに上方修正させていた。
(これはもしかしなくても、宇大より遙かに進んでいるのではないか?だとしたら、惑星規模のディフレクター・シールドでも危ない)
なにしろ、質量ミサイルは、ただの小惑星落としではない。動力を持ち、推進力だけでなく、自前のディフレクター・シールドも装備している。
タルシュカットがゲートを潜らせた300ほどの自称資源衛星だけなら、それでもどうという事はないという分析だったが、合計質量がその数万倍になったというのはいただけない。
オフセットゲートの直径は50キロメートル。だから自称資源衛星の大きさは30キロメートル程度と予測できる。
その大きさなら、質量ミサイルとして運用しても、大した破壊力はない。
だが、移動に必要な推力源、HDジェネレーター、ディフレクター・シールドの装備を、より巨大な小惑星に移植したら?
高い技術力を持つタルシュカットなら、惑星級ディフレクター・シールドを抜く質量ミサイルを作れるかもしれない。
そしてそれを盾に、要求してくる。
息子を返せ、と。
究極のモンスターペアレント。宇大にとって、これほどの屈辱はない。
なにより、名将と噂の高い『殲滅伯』が、何の手も講じず、惑星に艦隊で挑むような無謀な真似をする筈がないではないか。
つまり、今どこかに隠れているタルシュカット艦隊が再び姿を現すのは、彼らが勝利を確信した時……!
「探しなさい!宇大星系だけでなく、オルベシウス、ナベリウスもくまなくです!彼らが準備を整える前に!」
マイモンの叫びが司令部に響いた。
だが。
宇大宇宙艦隊の必死の捜索にも関わらず、タルシュカット艦隊は見つからない。念のため、恒星系間にある大空間もスキャンしたが反応はなく、もっぱら三つの星系内を、それこそ航続距離の短い、恒星系内船まで動員した。
ちなみに広さで言えば、恒星系内より外の方が圧倒的に広いわけだが、星間物質が極端に減り、エネルギーの移動もほとんどないため、艦隊を隠すには相応しい場所とはいえない。
そのまま3日経ち、一週間経った。
それでも見つからない。
もう決戦の時まで見つからないかもしれない。
防衛隊の面々に、絶望の色が広がっていく。
「まさか連中、HD空間に隠れてるんじゃないだろうな」
HD空間のエネルギーの流れは千差万別。
中にはほとんどスピードの出ない亜空間も存在する。
普通なら、利用する意味はないし、利用できない。
あまりに長期間HD空間にいると、HDジェネレーターだけでなく、船体各所が限界を超え、艦は崩壊してしまうからだ。
だが相手はタルシュカット。HD中の航路変更などの離れ業を、さも当然のように易々とやってのける集団だ。常識は通用しない。
だが、領軍艦隊がHD空間に隠れているとすると、防衛隊としては、もう探しようがない。
彼らは知らなかったのだ。
ウィリアムなら、[ミカン]を使って、タルシュカット領軍艦隊を探す事は不可能ではないことを。[ミカン]はその精度に問題はあるが、ウィリアムは誰よりもタルシュカットの艦艇に詳しい。総合的な意味においては、各部門の専門整備士より詳しいくらいだ。
だから、希望はあったのだが、無知故にその選択肢を選ばなかった。
そう。
かつてフェアリーゼ星間王国近衛艦隊が選んだように、
『ウィリアムに全部丸投げする』
という選択肢を。
タルシュカット領軍艦隊が消えてから、10日目。
千隻を超える宇大宇宙艦隊は既に探索を半ば諦める形で、惑星宙域に展開していた。
現在広域探索をしているのは、数百万程度の無人のプローブのみだ。
宇大宙域だけでなく、隣接した二つの恒星系、特にオルベシウス星系は念入りに捜索しているが、手がかりらしいものは得られていない。
宇大3と宇大4の二つの有人惑星は警戒態勢。避難などの対応は未だにしていないが、ディフレクター・シールドはいつでも最大にできるようにしており、軌道上の各校舎コロニーも母星からエネルギー供給を受け、同じ処置をとっている。
恒星系防衛としては、むしろそちらが本命だろう。
あくまで話し合おうという計画は破棄こそされていないものの、防衛隊としては、タルシュカットがどこまでも本気、かつ万全の態勢で攻撃してくると覚悟し、対抗しなければならない。
ちなみに学長自ら、タルシュカット領やフェアリーゼ星間王国王室に和平を呼びかけているとの事だったが、これまでまったく成果はあがっていないらしい。
宇大の学長は理事長も兼任し、宇大を独立国家とすると、まさしく国家元首であり、大学創立者一族による世襲で今日まで続いてきた。
学長の名は、ヤング・A・スタンフォード。ヤングという名だが、年齢は不詳。見た目は20代から30代くらいだが、絶対にそんな事はない。
淡いグレーの髪に、赤みがかった金色の目。見た目は人類だが、異星人の血も混じっているのかもしれない。知的なイケメン男性で痩せ型。背は190センチは越えているだろう。
顔立ちこそ学内では広く知られているものの、何かと秘密の多い御仁で、経歴、趣味、その他プロフィールの大半が不明。独身なのか、妻帯しているのかすら分からない。
学長経験は長く、もう30年は勤めているだろう。従って人脈もそれなりに広い。
ただ、今回に関しては、その人脈も活かせていないようで、防衛隊の面々は内心失望していた。
自分達で何とかしなきゃ、と団結をより確かなものにした点では、学長の体たらくは、役に立った、と言えるかもしれない。皮肉をこめて。
頼りになる艦隊の任務は、タルシュカット艦隊に対する遅延攻撃。つまり嫌がらせによる時間稼ぎだ。その間に惑星とコロニーは準備を整え、場合によっては惑星の戦力でタルシュカット艦隊を殲滅する。
宇大には大勢の民間人、学生がいる。
彼らの安全のために、防衛隊としては最終決断をためらう事はない。
どれだけタルシュカットの航宙艦が優秀だろうと関係ない。
惑星と艦隊が戦うという事は、そういう事だ。
タルシュカット殲滅伯は、宇大が息子を舐めプした事に激怒したようだが、タルシュカット伯こそ、宇大を舐めている。
防衛隊の幹部達は、隊長教授であるマイモンも含めて、正直そう思っていた。
むしろ関心事は、傷心のウィリアム少年に宇大に留まってもらうために、どうやって伯爵をなだめようか、という事だった。
タルシュカット伯に100%非があろうと、彼らに手をかけてしまったら、ウィリアム少年が宇大に留まる可能性は、そのままではほぼないだろう、というのが、宇大の戦略AIの結論だ。
そこで説得要員として、ウィリアム少年本人にも待機してもらう事にした。
そのうえで、圧倒的な戦力を見せつけ、事態の沈静化を図る。
もっとも、そこまでやる必要はないと、マイモンは思っている。
殲滅伯は、バカではない筈だ。
実際は本気で攻めてくるわけではなく、サー・ウィリアムの待遇改善が目的なのだろう。
だからゴドフリート副学部長に啖呵を切った段階で、目的はほぼ達成された筈だ。
そして現実のウィリアム少年への待遇だが、これ以上はないくらいの好待遇だとマイモンは聞いている。
それが伯爵への説得材料となる。
いや、サー・ウィリアム本人が、とうに伯爵へ日々の報告をしている筈だから、伯爵とサー・ウィリアムの面子が立てば、思いの外あっさりと解決してしまうかもしれない。
そして宇大のこの大袈裟な対応も、宇大がタルシュカットを重視している証でもあった。
「それにしても、この待機はいつまで続くのでしょう?」
幹部の一人の呟きは、誰に向けられたものでもなかった。
決まっている。タルシュカット艦隊が来るまで、何日でも、何週間でも変わらない。
戦闘部隊を長時間、ただ待機させるのはいかにも不経済だが、事情が事情なだけに、仕方がない。
もっとも、数ヶ月なんて事にはならない事は、全員が分かっていた。
何故なら、新学期が始まるからだ。
当然新入生も新生活が始まり、その既成事実をもって、ウィリアム少年を宇大が手放す事はなくなる寸法だ。
つまり時間制限は、むしろタルシュカット側にあるわけだ。
動き始めは、唐突だった。
『重力波に異常。HD解除の予兆と思われます!』
観測班から緊急通信が入った。
「場所は?」
『集結した艦隊の前方、150万キロメートル。重力波増大中。これは……大きい!』
マイモンは思わず立ち上がった。椅子が後ろに転がるがどうでもよかった。
「全艦、戦闘準備。戦闘衛星警戒態勢から臨戦態勢へ。
相手は巨大質量ミサイルで先制する気なのかもしれない。
実戦慣れした相手だ。寡勢だろうが油断するな」
『『『『アイアイ・マム』』』』
「戦闘衛星、臨戦態勢に入りました。ディフレクター・シールド最大展開」
「艦隊、移動を開始します」
次々と報告が入り、マイモンは口元がほころぶのを意識して引き締めた。
「さて。噂に高い『殲滅伯』は良き演習相手になってくれるのかしら?」
司令部は程よい緊張感に包まれているが、かなり余裕があった。
艦隊は5倍以上。多少武装が施されていても、相手の半数は工作艦など、本来非戦闘艦だ。しかも後詰めには単独でも二等戦艦の5倍は戦闘能力のある戦闘衛星(母港機能がないだけで、実質要塞)が100基以上と、防御力に特化しているが、それだけに対光学兵器、対実弾兵器、対爆性能に優れ、盾としても優秀な各校舎コロニー、そして航宙艦の数万倍のエネルギーを自由に使える有人惑星が二つ。
どう考えても、負ける要素がない。
宇宙艦隊など、脅威ではない。
小惑星にディフレクター・シールドを施したところで、防ぐ方法はいくらでもある。
だからこの時点で自軍の勝利を確信していても、誰からも責められないだろう。
だが、彼らに余裕があったのは、あと数秒の事でしかなかった。
「出現します――って、何だぁ?」
『『『ぬぉわぁああああ!』』』
『『『ひぃいいい!』』』
各方面から、悲鳴が聞こえた。それはつい先日、ウィリアムの講堂で響いたのと同じだった。
艦隊の前方に現れたのは、小惑星の質量ミサイルなどではなかった。
――そこには、惑星があった。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
それは、普通に惑星。それもテラフォーミング済みの居住可能な惑星にしか見えなかった。白茶けた大陸と、どこまでも蒼い海。大気があり、雲があり、山があり、平野がある。極地と思える両端には氷らしき真っ白な地域もある。
だが、同時に、自然にできた星でない事も明白だった。
太陽の光を受けてない半分は闇の筈だが、海が光っていた。
そう。太陽。
宇大星系の恒星ではない。
惑星の周囲を、小さな太陽が回っている。
「明らかに恒星型人工衛星です。惑星との距離は、約20万キロメートル。直径1500キロメートル。あんなもの、どうやって造ったのやら……」
防科部長教授が現実逃避していた。
「それより、惑星本体の方も人工物なのは明らかでしょう。惑星はHDなどしません」
マイモンが指摘してやると、防科部長は真っ赤な顔をして手元のデータを見直す。
「出現した惑星は、直径、約8000キロメートル。見た目こそ岩石型ですが、調査中」
8000キロメートル。地球型惑星としては小さいが、人工物としては非常識なまでに大きい。
「スペクトル分析によると、大気成分は窒素、酸素、二酸化炭素、アルゴン……呼吸可能のようです」
「それはそうでしょうよ。わざわざあんなものを造って、大気が毒でしたはないでしょう。それより、あれがオルベシウスの小惑星の成れの果てと考えて良いのかしら?
それにしては、少々大きすぎる気がするけれど」
小さな資源衛星300個と、その数万倍程度の小惑星。氷小惑星を使って海を造ったとしても、直径8000キロメートルの物体は造れない筈だ。
「それなんですが……どうやらあの星は、中が空洞、外殻だけのようです。そして中心部には、もう一つの人工太陽があり、夜の部分の海が光っているのは、内部から光が漏れているのでしょう。
つまり、あれは小規模の『ダイソン球殻』と思われます」
「ダイソン球殻!」
ダイソン球殻。
それは母なる地球のみを人類の生存圏としていた時代。
天体物理学者のフリーマン・ダイソンが唱えた文明発展概念における、発展度の一つだ。
恒星系の文明が発展すると、恒星のエネルギーをより効率的に使う目的で、恒星の周囲を人工の惑星群で囲むようになる。
すると人工惑星群に光が遮られ、遠方からその恒星系を観察しても、恒星の光が減少して見えるとされる。
そこから多くの作家が想像力を刺激され、中には恒星系をまるごと外殻で覆ってしまうというアイデアが生まれた。
それがダイソン球殻だ。
外殻部分に人類が住む事になるが、そこでは恒星のエネルギーを無駄なく使う事ができるとされていた。
ダイソン自身は、そんな物は物理的にあり得ないと否定したものだが、物理的障害の多くは、科学技術の発展によって覆されてきたというのが人類の歴史である。
実際、多くの星間国家において、ダイソン球殻は研究開発されてきた。
だが、技術的なハードルは多く、悉く失敗に終わったようだ。
それはタルシュカットを含む、フェアリーゼ星間王国や、宇宙大学も含んでの話。
つまり、今目の前にあるのは、史上初めて、実用化に成功したダイソン球殻であり、しかもそれは一つの巨大航宙艦であり、HDすら可能ときている。
もっとも、すべてがハッタリ、ペテンの類ではないと仮定しての話だが、これがトリックだとしたら、それはそれで驚異的な技術力の産物であろう。
そして、本当にタルシュカットが独自にダイソン球殻を造ってしまったとしたら……
「あの人工天体のエネルギーは?どれだけエネルギーを彼らは使えるの?」
マイモンが前のめりで叫ぶと、絶望が返ってきた。
「……最低でも、我々が使用できるエネルギーの、4倍以上となります。既にアレはディフレクター・シールドに包まれておりますが、我々のあらゆる兵器でも、突破不可能です」
「ああ……」
マイモンは腰砕けになり、両膝を床に付けてしまった。
『ふはははは。お気に召したかね?我々の[ニューブリテン]は』
突然通信回線が開き、モニターに男性の姿が映し出された。
「タ、タルシュカット伯……?そのお姿は?」
マイモンの声が震える。
何故なら、狂気の光を目に宿した男性は、データにある『殲滅伯』ことロード・ヘンリー・H・オゥンドールその人の特徴を多く残してはいるが――
『さぁ!ウィルを返してもらおうか!我々の30年の苦節が、とうとう報われる日がきたのだ!ふはははっ、抵抗しても良いが、無意味なのはもう分かっているだろう?』
――明らかに、老けていた。