鍬と魔法のスペースオペラ 第九章 その7
7・困惑する教授連
講義が中途半端に終わったせいもあってか、ウィリアムが抜けた後も、受講者達の興奮は冷めやらず、講義終了後30分経っても、トイレ中座以外で講堂から出る者はいない。
講堂のあちこちに小グループができていて、白熱した議論を展開しているし、机に向かって講義の内容を纏めている者も多い。
最前列中央に陣取っている工学部学部長ベンジャミン・フーシェも後者の一人だ。
複数のパーソナルモニターを駆使し、講義の内容を纏めつつ、自分の見解を書き加えている。
極めて精力的に。
ベンジャミン・フーシェ。
御年152歳。人類。
ただし外見年齢は実年齢マイナス100歳といったところなのは、アンチエイジング技術のおかげなのだが、最近のもっぱらの悩みは、額の前線が後退しつつある事らしい。
毛髪の色は薄い茶なのだが、それが地毛なのか、そうでないかについて、学生の間でしばしば議論になっている。
ちなみにHDを入れると160歳になる。
専門はメインエネルギー伝導管の最適配置。
客員教授以外の教授は、慣習として宇大卒業生で固められているが、彼もまた宇大OBだ。当然のように首席で卒業し、そのまま院に進んだ後、講師、助教、正教授と進み、現在の地位まできた。
20代以降、宇大星系から三つ以上離れた星系に行っていないというのが自慢だというのだから、典型的な宇大教授サラブレッドだ。
だが、平民出身の彼が王国閥の重鎮として君臨するには、相応に苦労があった筈。
もちろん宇大は建て前として、学生にせよ教授にせよ、その身分を問う事はない、
でも政治にせよ研究にせよ、活動するのに後ろ盾があった方が有利なのはいつの時代でも変わらないものだ。
一見地味な研究テーマなのに、どうして彼は成功できたのか、というと、その地味な研究のおかげだったりする。
メインエネルギー伝導管とは、メインジェネレーターとメインエンジンを結ぶ動力伝達管の事で、船の安全のため、両者を適度に離しつつ、伝達の減衰を防ぐ事はもちろん、緊急時における負荷の上限を決める、大事なパーツだ。
単に伝導効率だけを求めるものではない。耐久性、コスト、使用するエネルギーの種類やエンジンの種別によっても最適な伝導管は変わってくる。
裏を返せば、何を動力源にしようと、どんな推進システムであろうと、メインエネルギー伝導管そのものは必要なのだ。
100年前に一世を風靡した『マイクロブラックホール式ジェネレーター』は、エネルギー変換効率を上げるのが難しく、結局現行の『反物質式ジェネレーター』に主流の座を譲った。
メインエンジンも、反動推進と大きな括りは変わらなかったが、限界速度まで単純放射する方式から、パルス放射推進に主流が変わっている。これはエンジンへの負担軽減と、冷却システムの合理化のためで、推進力自体はむしろ向上している。
そんなわけで、メインジェネレーターにしても、メインエンジンにしても、方式が変われば、研究者の面子も変わる。
だが、フーシェは、実に100年以上、第一線の研究者であり続けた。
あり続けることができた。
宇大の、いわゆる『華の工学部』の学部長になれたのも、そんな彼が評価されたから。
でないと、いわゆる『研究バカ』で、平民ゆえに政治力にも乏しい彼が、学部長になれるわけがない。
自儘に好きな研究に打ち込める立場を、見事勝ち取ったフーシェだったが……今は必死だ。
なにしろ、彼のテーマはあくまで、反動推進エンジンを前提としたものだから。
タルシュカットの戦艦群は、反動推進式からの改装ゆえ、艦内の基本レイアウトは従来と大差ないが、将来はどうなるか分からない。
「……ていうか、慣性誘導方式をメイン推進にする事が、どうして可能なんじゃよぅ」
フーシェは口ではぼやきつつも、両目は爛々と輝き、三つのパーソナルモニターが唸る。
モニターが三つなのは、一つはレイアウト閥用、一つは伝導管閥用、最後の一つは個人用と使い分けているからだ。
彼は政治的には王国閥に属し(というか、大幹部)ているが、研究派閥としてレイアウト閥と伝導管閥という、二つの派閥にも属しており、その両派閥は、政治的には王国、帝国、その他の垣根はない。
実際、ほとんど母国に帰る事もない彼ら研究者にとっては、母国などパトロンが多くいる星間国家、という程度の認識だったりする。
つまり、実は外部から思われているほど、王国閥と帝国閥との対立構造はなかった。
もっとも、個人の対立の大義名分に使われる事はままあったのだが。
幸い、学部長フーシェ(王国閥)と、副学部長ゴドフリート(帝国閥)との関係は、まぁ、良好の範囲になる。実際、フーシェが今日の講義に興味を持ったのは、ゴドフリートの熱弁の結果だったりする。
実は当初、フーシェはウィリアムの論文をまったく評価していなかった。まぁそれは他の多くの学者達も同様であったのだが。
むしろ5歳の子供の学術論文と聞いて、マトモに対応する方が異常といえた。
何らかの不正があるか、脳内インプラントによる強制早熟であると考えるのが普通であり、幼児に脳内インプラント手術を施すのは、医学的必要に迫られた場合を除いて、モラルに反するというのが、学者の良識であった。
もっとも、ウィリアムは何も不正はしていないし、脳内インプラントどころか、医療ナノマシンや薬類も受け付けない『体質』であったのだが、その事実を知る者はタルシュカット領外では極少数であったのだから、仕方がないといえよう。
それは兎も角、フーシェは半ば嫌々[レパルス]での講義を見せられ、魅せられた。
学部長室で、フーシェは文字通り、ひっくり返ったのである。
フーシェがひっくり返ったのは、タルシュカットの改装駆逐艦の3D図面を見たから。
エネルギー伝導管配置の第一人者である彼は、それを理解する事ができなかった。いや、彼が超一流の専門家だからこそ、理解できなかったのだ。
これが素人であったなら、かえって混乱する事はなかっただろう。帝国閥で驚愕した教授は多かったが、ひっくり返った者はいない。
もっとも、フーシェにとっては何の慰めにもならなかったが。
頭を抱えまくったせいで、大事な大事な頭髪が、何本も抜けてしまった。
これが図面だけ、つまり机上の空論であったなら、そこまで悩む事はなかっただろう。
だが、実物がタルシュカットに存在し、現在は更に改良が加えられているというのだから、否定のしようがない。
また、彼が狭量であったなら、気に入らない現実を無視して、最悪ウィリアムを排除しようとしたかもしれなかったが、生憎狭量な人間に宇大の学部長は務まらない。
むしろフーシェはまだ見ぬウィリアムを心から尊敬しさえした。
彼もウィリアムを『サー』と呼ぶようになったが、それは彼が平民で、ウィリアムが高家貴族だから、ではない。
実際、宇大には王国帝国問わず、貴族はたくさんいるが、フーシェが『サー』と呼ぶ貴族はウィリアムただ一人だけと決めた(もっとも、その時点でフーシェはまだウィリアムに会ってすらいないのだが)。
反動推進エンジンの使用は限定し、主推進力は、慣性誘導によって行う。
それ自体は、理論としては実はそう珍しくはない。あくまで研究者レベルにとっては、だが。
だが、フーシェの専門である、エネルギー伝導管のレイアウトに関する限り、ウィリアムの図面上では、伝導管はその役割を果たせない筈だった。
すでに膨大な運動エネルギーを得ていれば、重力子の利用は簡単だ。
物体が高速になればなるほど、その質量は増大する。
増大した質量に、重力子は引きつけられる。
強力な重力子は、それこそ慣性誘導により艦内のGを低減させたり、艦そのものの質量を低減させたり、普通に艦内重力としても利用できる。
また、静止した状態でも、少量であれば重力子の利用は可能だ。
たとえばウィリアムの靴のギミックのように。
だが、艦を動かす、それも高速でとなると、それこそ膨大な重力子を必要とする。
メインジェネレーターは、フーシェが見る限り、反物質ジェネレーターを改造したもの。
だが、少々改造したくらいでは、とても必要なエネルギーは得られないし、仮に得たとしても、メインエンジンで重力子を、それも艦を動かすのに必要なだけ得られるだけの量
をぶち込むとなると、図面の伝導管如きでは普通に破損、下手したらジェネレーターとエンジンを道連れに爆発四散する。
(やはり、サーに直接訊いてみるしかないのぅ)
フーシェは一念発起し、久しぶりに試験前の詰め込み勉強をした。そして念願の講堂最前列席をもぎ取った。
だが、通しの講義の後、質疑応答の時間で質問しようと思っていたところ、突然講義が中断してしまい、質問できなかったのだ。
(宇大防衛隊の要請……これが大した用件でなかったら、ただでは済まさぬ……まぁ、それはそうと)
フーシェは自分で纏めたメモや、再び教材として使われた、タルシュカットの第一次改装駆逐艦の図面と、そこに書かれた当時のスペックを再び見る。
「どうして『慣性誘導方式』如きで、こんなにスピード出せるんじゃ?
というか、どうして思いつけた?いや、どうして実現できたのじゃ?」
唸りつつ、自分の頭をガシガシと叩く。
「その辺にしときなさいよ糞じじい。植毛するのも手間でしょ?」
隣の席についている美女が、顔に似合わぬ毒舌を吐いたが、フーシェの勢いは止まらない。
「やかましいわ女狐。これは地毛じゃ!」
「あーそうでしょうよ。『じげ』ね。うん、誰がどう見ても『じげ』よね。じじいの毛の略という意味で」
「どう略すればそうなるんじゃ。って、そういう問題じゃないぞエレオノーラよ。
この設計は、あり得ぬ」
「あり得ぬって、実際あるんだから仕方ないじゃない。それとも自分が理解できない設計は認めないわけ?じじいらしくもない」
「ふん。理学部学部長サマには分からんよ。この設計の異常さが」
フーシェはパーソナルモニターのモードを変更し、映像を空中に投影する。
理学部学部長エレオノーラ・ロマーノはそれをうっとりと眺めた。
「おっしゃる通り、異常さは分からないわね」
エレオノーラ・ロマーノ。専門は亜空間全般。
外見年齢30代、実年齢不肖の美女、というか女傑。
一応人類の筈だが、彼女を知る半数はそれを信じていない。やや癖っ毛気味の黒髪をポニーテールにしているのは、実験の邪魔になるからだが、研究者の心意気の象徴でもある白衣の着方も含めて、妙に艶めかしいのだ。
抜群なスタイルが、白衣を別のモノに見させてしまう。魅させてしまう。
ついた渾名が『理学部のサキュバス』。
それでいて、具体的に浮いた話は皆無である。それどころか日常が仮説構築、実験、検証のエンドレスワルツ。まったくもって色気のない話なのだが、当人がいたって色気たっぷりなのがギャップという奴なのだろう。
オマケに、一定以上に親しい相手に対して限定だが、口が極めて悪い。
他学部ではあるが、学部長であるフーシェを平気でじじい呼ばわりしているくらい。
もっとも、それは気安さを求めた演技だとフーシェは思っている。
「……本当に美しいわ。もちろん、工学的な意味なんかじゃないわよ?これほど理にかなった設計は、ちょっと思いつけないわね。
もっとも、あくまで改装なのが勿体ないけれど……サーは高家におなりになったのだから、これからが本当に楽しみね」
エレオノーラもまた、平民出身の王国人だが、実は貴族の血を引いているという噂はある。もっとも、彼女もウィリアムに敬意をもって『サー』と呼ぶのは、血筋によるものではなく、彼女の美学に基づく敬意による。
ちなみに、彼女のいう美とは、あくまでシンプルな公式などに見られるような、数学的整然さの事であり、美術的観点とはちょっと異なる。
「なーにが理にかなったじゃ。この伝導管の謎配置……というか、そもそもこの構造で艦を動かす事などできん筈なのじゃ……なのに、現実には動いておるらしい……あるいはこれは欠陥品で、それゆえ更なる改装を必要としたものであり、この図はあえて我々の実力を試そうと……いや、わざわざ講義をしてくださったサーの性格では、その線はないか」
フーシェが唸ると、エレオノーラは首をこてっと傾け、細い人差し指を顎に軽く当てた。
「……動かない?なんで?」
「……齢を考えろ。そのポーズで『あざと可愛い』を狙うのは、ちと無理があろう」
「余計なお世話よ……というか、理論上、動かないわけないんだけど……というか、貴方、何か勘違いしてない?」
「勘違いじゃと?」
フーシェの表情がよほど面白かったのだろう、エレオノーラはくすくす笑った。
「だって、この伝導管……重力子しか運んでないでしょ?だったらこのくらいで充分……いや、もっと細くても上等の筈」
「「「「!」」」」
フーシェだけではない。周囲で聞き耳を立てていた教授達も表情をこわばらせた。
「つまり、メインエンジンで重力子を副次的に生み出す……いや、むしろ重力子が欲しいのか……しかし、そのメインエンジンに重力子が送られ、メインエンジンはその調整に過ぎない……いやいや、反物質ジェネレーターに、大量の重力子を生み出す事などできん。あれはパワーしか産まんからな。
そうだ。リヴィングストンなら当然来ておるじゃろ?」
「知らないわよ。というか、どうして断言できるの?あの肉達磨が来てるって」
エレオノーラの疑問に、フーシェはニヤリと笑う。
「あのパワー至上主義者が、同級航宙艦のワンランク上を叩き出す新方式に、興味を覚えぬわけがなかろう。というか、あのガタイで目立たぬわけが……」
フーシェが周囲を見渡すと、助教の何人かが一方を指差しているのに気付いた。そしてその指先を辿っていくと……
「リ、リヴィングストン?」
身長2メートルを超え、全身を筋肉の鎧で覆った30代の偉丈夫が、膝を抱えて椅子の上で器用に体育座りをし、俯いて何やらぶつぶつ呟いている。
普段はいかにも『ふははは、力こそパワー!』と、頭の悪い事を叫びそうな男が、である。
ターガン・リヴィングストン。52歳。工学部正教授。
専門は反物質エンジン基本設計。
反物質ジェネレーターは、理論的にはその出力は無限という、凄まじすぎる夢の動力源だが、材料工学的な制約により、さすがに無限とはいかない。
なにしろ、反物質は通常物質と触れると対消滅し、莫大なエネルギーだけでなく、猛烈な中性子を周囲にばら撒いてしまうのだ。ゆえに真空の反物質プール内で安定させる必要があり、その出力は、反物質プールの限界性能と、収容される反物質の文字通りの質により決まる。
リヴィングストンは、反物質ジェネレーターのパワーそのものに魅せられ、人生を捧げてきたと言ってよい。まぁ、パワーを手にするためにと、身体まで鍛えまくったのには、他人の理解を得られなかったが。
ところが……
「あんなものが、はんぶっしつじぇねれーたーだなんて、認めんぞ。認めはせんぞ……」
小声で呟いていたのを、周囲にいた講師達が何とか聞き出して、フーシェに報告するのがやっとの事だった。
「反物質ジェネレーターじゃ、ない?」
報告を耳にしたフーシェは首を捻る。
反物質ジェネレーターは、駆逐艦以上の大型艦において、現在最も使われている動力源である。だからフーシェ達は、設計図に『メインジェネレーター』と描かれたそれを、反物質ジェネレーターだと最初から思っていたし、ジェネレーターの基本構成も、反物質ジェネレーターのそれととても似ていたから、専門家以外は特に疑問に思わなかったというのもある。
「じゃあ、アレは何だというのだ?」
フーシェは再び周囲を見渡す。
周囲は一部を除いて(つまりウィリアムに招待された102号教室組など)、全員が何らかの専門家である。それも第一線の。
それならば、いかなる謎ジェネレーターであろうと、多少なりとも引っかかる専門家がいる筈だった。
そして案の定、手を上げる者がいた。見るからに自信なさげに、遠目でも分かるくらい、震えてはいたが。
「あ……あの、間違ってたら申し訳ないのですが……」
若手の研究者だった。
「君は、確か講師のパターソン君だったの」
「は、はい学部長せんしぇい」
パターソンは直立不動になった。そして噛んだ。
ボギー・パターソン。工学部講師。25歳(HDを入れると26歳)。
専門はHDドライブの軽量・効率化。
いつも眠そうな目をしたやせぎすの小男で、焦げ茶色の髪に学生達から賜った渾名は『ダブルボギー』。
これは彼の研究発表のペースがとても遅い事、彼の講義は必修科目ではないものの、採点が辛く、なかなか単位がとれない事によるらしい……
つまり、あまり人気がない講師である。
「で?何か気付いたのかのぅ?」
「ひゃい!じ、自分の見立てでは、反物質プールの代わりに、付いてるそ、装置が、あの、HDジェネレーターに、よく似てるなぁ、と、そう思ったわけでございまして、ハイ」
「HDジェネレーター?艦内に?」
「ご、ごめんなさぁいっ!ただ何となくそう見えたものでして」
フーシェは単純に疑問に思っただけだったが、パターソンはひたすら恐縮していた。
「た、確かにHDジェネレーターは、か、艦外に設置するのがふ、普通、というか、そうしなきゃなんですが、僕の目には、アレはHDジェネレーターをより簡略化したもののように、見えたのでありまして」
「ふむ。まさに君の研究テーマじゃの」
「は、はいぃ。も、もっとも、だからこそ、そう見えただけかもしれましぇんが」
HDジェネレーターは、艦を設定したHD空間に導き、流れに乗せるための装置で、パターソンの言う通り、艦の外側に設置されるのが普通だ。
というのも、電磁シールドやディフレクター・シールドの影響下から、一時的にでも逃れないと、HD空間に艦をジャンプさせる事ができないからだ。
HDジェネレーターを艦が複数装備しているのは、ジャンプする瞬間、HDジェネレーターがまったく無防備になってしまうから、というのが本来の理由だ。
もちろん、敵の攻撃の最中にジャンプするなど、通常運用ではありえない話だが、戦闘艦である以上、あり得ないと斬り捨てる事はできないし、デブリに衝突する危険もあるゆえ、HDジェネレーターを守る最低限の防御策は、考えられてはいる。
まぁ、一番有効なのは、HD空間に入る前に、周辺警戒を怠らない事だろう。
「これが第三のHDジェネレーターだとして、ではなぜ艦内の、それもメインジェネレーターと想定される設備内にある?」
周囲は沈黙に包まれた。
それを破ったのは、パターソンより、更に若い声。
「これって、亜空間フィールドジェネレーターじゃないっスか?」