鍬と魔法のスペースオペラ 第九章 その5 パパ来襲
大変遅くなり、申し訳ありませんでした。
5・パパ来襲
例年にない大波乱となった宇大3次試験と面接が終了し、3日経った。
ほんの一部の例外を除いて、合否の結果はまだ出ていない。
しかし発表は全宇宙に向けて発信されるので、特に宇大星系に張り付いている必要はないから、一旦帰国する受験生も多い。
そしてその多くは、戻ってくる事はない。
近くの星系出身者以外は、宇大が用意した、人工ワームホールを利用する。
例年、王国方面と帝国方面の、二つのオフセットゲートが用意され、その周辺では順番待ちの航宙船が大渋滞を起こしていた。それは試験後3日経った現在でも解消されていない。
それは例年の風物詩でもあったから、誰も気にしていない。
退屈しているであろう受験生のために、記念品やお土産を売りつけている商魂たくましい航宙船は、商学部所属の学生がレンタルしたのか、或いは学生所有船か。
また、列の近く(といっても、肉眼で視認できるほどではないが)で、試作艦のデモンストレーションをやっているのは、工学部の学生達。
人文学部は特別番組を放送している。
理学部と医学部は特に受験生向けの動きは見せていないが、彼らは独自のネットワークを持っている。
学閥という奴だ。
理系宇大閥は学会での発言権が強く、その世界で生きていくには良い看板だし、医学部の医療ネットワークも侮れない。どれだけ僻地にいても、最新医療に触れられるメリットは大きい。なにしろ宇宙は広いから。
という訳で、そっち方面に野心のある学生が多いから、この二つの学部は特に目立つ広報活動をする必要がない。
もっとも、それ以外の学部も、半ばお祭り感覚で広報しているに過ぎないのだが。
そして、今年珍しく起動した、第三ゲート。
起動しているくせに、一般学生には開放しておらず、ワームホールの出口座標も公開していない。
ゆえに第三ゲート付近に近づく受験生の艦はいなかった。
もっとも、このゲートは星系中心部から一番遠い場所に設置されており、方向もまるで違うから、時折巡検する防衛隊のパトロール船くらいしか、近づく艦などいないのだが。
ただ、受験生でも、一個小艦隊だけこのゲートを通過したが、その艦隊の主がまだ帰る積もりはない事を、第三ゲート管理責任者である、グロリアス・ゴドフリート正教授は知っていた。
当人からの通信で聞かされたからだ。
なんでも、合格したので拠点を築くべく、現在待機しているらしい。
この通信内容に、ゴドフリートは首を捻った。
合格したというのは、分かる。
本来それは奇妙な話だが。
合格発表の日まではまだあるし、3次試験で大きなトラブルがあったのは知っていたが、その詳細は彼の所までは届いていなかったからだ。
しかしゴドフリートは、通信相手こと、ウィリアムの直弟子を名乗る男である。
その実力を疑っていなかったし、もし銀河衝突規模のトラブルがあり、ウィリアムが不合格して故郷に帰るなら、宇大を退職し、ウィリアムの研究室の門を叩くつもりだった。
その研究室が無ければ、建てようとすら思っていた。
同じ事を考えている帝国閥の教授は多く、もしウィリアムが落ちてしまったら、宇大工学部は機能不全に陥っていたかもしれない。
ともあれ、最悪の危機は回避されたわけだ。
経緯こそ説明されなかったものの、合格の報告をされたのは、ゴドフリートとしては素直に嬉しかったし、報告してきた理由を聞かされて、緊張もした。
王国から、ウィリアムの父親が来るから、ゲートを利用させて欲しい。
受験期間中は、人工ワームホールの外部利用は、受験生本人が乗った船に限られている。
護衛のための随伴艦隊は認められているが、それはあくまで例外的な処置だ。
だから、受験生の父兄のみが乗った艦隊、というのは前例がない。
これは王国の王族や、帝国の皇族でも同じで、宇大側が拒否した、という前例ならいくらでもある。
ウィリアムに失望されたくないゴドフリートは、額の汗を拭いつつ、弁明をしたが、ウィリアムはニッコリ笑い、
『大丈夫ですよ。僕はもう、受験生じゃありませんから』
あっさりと言ってのけた。
なるほど、それもそうかとゴドフリートは納得し、ゲートの使用を認めたものだ。
なにしろ元々ウィリアム一人のために、巨大なオフセットゲート施設を起動し、提出されたフライトプランを大幅に遅れても、ゲートを開きづづけていたのだ。
つまり宇大上層部は、それだけウィリアムのために便宜を図る事を躊躇わないわけで、今更父親の艦隊が来るくらいで目くじらを立てる必要はない、と判断した。
というわけで、3日目。
提出されたフライトプランでは、そろそろ父親艦隊が、ゲートの先でHD解除する頃合いだ。
もっとも、大幅に遅れたウィリアムの父親だ。
数日遅れたとしても、ゴドフリートは驚かないだろう。
というより、そもそも日付の単位がおかしい。
タルシュカットの艦は、[レパルス]は特にそうだが、速すぎるのだ。
タルシュカットから、宇大の出口ゲートまで、王国や帝国、そして宇大防衛隊の高速戦艦のHDでは、最短でも2週間はかかる。HD空間内では数ヶ月だ。
それより速いHD空間を選ぼうとすると、船体が耐えられない。
今回のフライトプランでは、父親の座乗艦は王都星から、随伴艦隊はタルシュカットからHDを使い、ゲートの目の前で合流するそうだ。
ゆえに、多少のタイムラグは容赦して欲しい、との連絡があった。
「きっと、本当に、『多少のタイムラグ』なんだろうさ」
「教授?」
「いや、なんでもない」
オペレーター席に着いている助教が振り向くと、ゴドフリートは肩をすくめてみせた。
(思った事を口に出す癖は、師一人だけで充分である)
ちょっと恥ずかしかったゴドフリートだが、気分が高揚しているのは、別の理由もあった。
ゴドフリートは、工学部の正教授であり、副学部長でもある。
彼が師と仰ぐウィリアムの父親の艦や、随伴艦にとても興味があった。
「重力場に乱れ。HD解除する艦があります。反応大。大型艦です」
「来たか!」
ゴドフリートの目が輝く。
そしてモニターの先の宇宙空間に、突然一隻の戦艦が出現した。
フェアリーゼ星間王国タルシュカット領軍宇宙艦隊旗艦[ロンディニウム]。
全長2000メートルのロイヤルサブリン級一等戦艦で、何回かのモデルチェンジを経てはいるが、長年ニューヴィッカース社の文字通りのフラグシップモデルであり続けている。
だが、ゴドフリートは、失望の色を隠せなかった。
あまりにも、普通だったからだ。
なにしろ、ウィリアムの座乗艦[レパルス]だけでなく、彼女の随伴艦であった駆逐艦3隻にも、メインスラスターがないという、もの凄い特徴があったのだが、[ロンディニウム]には、普通にメインスラスターがあった。
というか、まるでニューヴィッカースのカタログに出てきてもおかしくないほど、あまりに普通過ぎた。
艦首主砲、死角がないように各所に配置された副砲群など、手堅くはあるが、オーソドックスなレイアウト。
これは普通であると同時に、珍しくもある。
貴族の一等戦艦ともなれば、大抵は領軍旗艦になる。
普通は、何らかの独自色を持たせるものだ。
武装を強化するとか、逆に防御力を高めるとか。
ウィリアムが改装するなら、HDジェネレーターを一基増やして、三基にするのも良いだろう。実際[レパルス]のHDジェネレーターは三基ある。
『ふふふ。どうです[ロンディニウム]は。あまりに普通なので、逆に吃驚しましたか?』
突然メインモニターが反応し、美中年を映し出した。
『失礼しました。いくら待っても、コールサインがなかったので、こちらから呼びかけました。フェアリーゼ星間王国タルシュカット領主、ロード・ヘンリー・H・オゥンドール・タルシュカット伯爵です。
ゲートの通過許可願います』
伯爵とは思えない、腰の低さと丁寧さに、ゴドフリートは瞬いた。
そして、ハッとする。
「こちらこそ失礼しました。
宇宙大学へようこそ伯爵閣下。
非公式ながら、ご子息の首席合格、おめでとうございます。
それがし……私はグロリアス・ゴドフリートと申します。宇大工学部で、正教授を務めております」
『ありがとう。こちらこそよろしく副学部長。あなたの事は、息子から聞いておりますよ?』
画面の中の伯爵は柔らかく笑う。
ああ、親子だな、とゴドフリートは当たり前の感想を抱いた。
『なんでも、航宙艦の設計には並々ならぬ造詣と情熱をお持ちとか。どうです[ロンディニウム]は、あなたの目から見てどうですか?』
にこやかなヘンリー卿の言葉に、ゴドフリートは詰まるが、その様子が面白かったのか、大貴族は口の端を上げ、右手を少し上げ、人差し指を軽く振る。
戦艦は停止状態から、少し動き、再び止まる。
ゴドフリートは目を見開く。
『おお、やはり気付かれましたね?』
ヘンリー卿の笑顔は、仕掛けた悪戯がバレた時の少年のようだ。
『はい。この艦も実はウィル式推進法を使っております。[ロンディニウム]のテーマは、外観を変更せずに、如何に新機軸を盛り込むか、だそうでして、他にも色々仕込んでおりますよ?ええ、色々と』
「そ、それは!その、中を見せて頂く事は」
『残念ながら』
「ですよね」
ヘンリー卿は、笑顔を崩さずに、きっぱりと拒絶する。
そうなのだ。
本来軍艦の内部は治外法権。とりわけ貴族当主が乗艦している場合は、臨検も簡単ではない。貴族本人が認めたとしても、下手しないでも外交問題にまで発展する可能性が高い。
ウィリアムの時は、教授達が押しかけた時点では、彼は貴族の三男に過ぎず、高家男爵家の当主ではなかったから実現しただけの事だ。
これでは密輸し放題になるが、貴族家当主ともあろう者が、そんな些細な犯罪をする事もなかろう(多少は目こぼししてやろうという事も言えるが)という建前と、たかが航宙艦ごときが何を仕込もうが、惑星や要塞の鉄壁な防御力を抜けるとは思えないという現実が、実現させた慣習だった。
『しかしながら、外からじっくりと観察する分には構いませんよ?幸い、随伴艦の到着まで、今少しかかると思われますので……見たいですか?』
「見たいです」
即答した。ゴドフリートの周囲も工学部の講師や助教だ。反対する者はいない。
『ではどうぞ、存分に』
ヘンリー卿の合図で、[ロンディニウム]は動き出し、丁度オフセットゲート施設を半分潜ったポイントで停止する。
丁度艦の前方半分が宇大側、後ろ半分が王国側に存在する事となる。
その、ワームホールならではの矛盾を抱えたまま、ご丁寧に重力アンカーまで使って、施設と戦艦は繋がる。
おかげでゴドフリート達はじっくりと戦艦を観察できるが、逆にいえば、戦艦もまた施設を観察できるわけだ。
しかし。
「特にスキャニングされてはいないようです。もっとも、未知のスキャナーを使用しているかもしれませんが」
「オゥンドール師が開発したのなら、充分それもあり得るな」
ゴドフリートは苦笑する。もっともオフセットゲート施設を観察する事は、むしろ大学は推奨している。
まるで大学も、誰かにその秘密を解き明かして欲しいかのように。
さて、至福の時がどれだけ続いた頃合いか、再びヘンリー卿の画像が映し出された。
『来たようです』
ゴドフリートが画面を切り替えさせると、丁度艦艇がHDを解除し、通常空間に現れる所だった。
[レパルス]の護衛を務めていたのと同型の駆逐艦が次々と出現する。
それら艦艇は、そのままゲートを通過していく。
駆逐艦だけでなく、巡航艦の姿もある。
ヘンリー卿は、新たな艦種が現れる度に、ゴドフリートに説明する。
まるでお気に入りの玩具を、友達に自慢するかのように。
いや、実際自慢だったのだろう。それらは全て、彼の愛する息子が手がけた作品なのだから。
ゴドフリートは、そんな父親の様子を、微笑みながら、かつ興味深く見ていたものだが、やがてその微笑みは凍り付いていく。
(あまりにも、出てくる艦が多すぎるのではないか?)
既にゲートを通過した艦は、30隻を越えている。
いかに大貴族の座乗艦の随伴とはいえ、多すぎる。
「あの、閣下?少し、その、護衛にしても、随伴する艦が少々多いようですが」
『いやいや。できるだけ多くの艦種を見てもらおうと思いましてね。まだまだ前座ですよ』
ヘンリー卿の言う通りだった。
ブレイブ級二等戦艦、プリンス級巡航艦、アークロイヤル級航宙母艦が、護衛の駆逐艦群と編成を組み、[ロンディニウム]の脇を抜けていく。
しかも同級艦もいるのだから、単に艦種の多さを自慢したいわけではないのが明らかだ。
そして疑惑が確信に至ったのは、しれっと続いてきた巨大な塊の数々。
「あれは、小惑星じゃないですか!」
『移動式資源衛星ですよ。小惑星にディフレクター・シールドとHDジェネレーターを装備し、ウィル式推進にて航行します。HDを使う事で、近隣の未開発星系からも資源が容易に調達できるようになりました。ちなみに無人で、随伴する駆逐艦などで制御します』
「ほう!それは画期的ですな――って、違いますぞ!
なぜそのようなモノを、宇大星系に持ち込まれるのです?」
ゴドフリートの目には、それら小惑星が、質量ミサイルにしか見えなかった。
「これ以上の艦艇は必要ないでしょう!今でも多すぎるくらいです。特にその小惑星の通過はとても認められませんぞ!」
『そんな事言っても、もう通過しちゃいましたが。
いやぁ、ウィルから施設のサイズを聞いておいて良かったです。小惑星といっても、大きさは様々ですからなぁ』
ヘンリー卿は白々しい笑みを浮かべたままだ。
『驚くのはまだ早いですよ?』
「まだ何かあるのか!」
もうゴドフリートは敬語を使う事も止めていた。宇大本部に向けて、非常事態を告げるコールサインを送る。もちろん超空間通信で。
たしかに、まだあった。いや、まだまだあった。
移動式資源衛星とやらだけでも、300以上。
淡々とゲートを通過していく。
続くのは、巨大な補給艦。これも100隻以上。
大型の工作艦や、兵員輸送艦も多数続く。
当然ゴドフリートは猛抗議したが、ヘンリー卿には暖簾に腕押し。のらりくらりとかわされているうちに、次々と通過を許してしまう。
それならゲートを停止させれば良さそうなものだが、[ロンディニウム]が居座っているため、安全装置が働いて、機能停止できなかった。
結局、戦闘艦艇は駆逐艦以上の大型艦だけでも100隻以上、輸送艦や工作艦もほぼ同数(ただし非武装艦は一隻もなし)、そして移動式資源衛星が300以上という、とんでもない数の大艦隊が、ゲートを通過し、王国から宇大星系に移動してしまった。
そしてその全ての艦は、ウィリアムが魔改装、、または新規建造(?)した代物であり、戦闘能力は同クラスと比べて一段以上高いとみて良いだろう。
とてもじゃないが、宇大防衛隊の艦隊では勝負にならない。それどころか、惑星クラスの防御力でも抜かれるかもしれない。
確かに惑星が使えるエネルギー量は破格だが、その全てを防御力に回すわけにはいかないのに対し、小惑星は戦闘に専念できる。
ディフレクター・シールドを強化させて大気圏突入させたら、無事では済まない。
そしてその小惑星は300もあるのだ。
惑星一つに対し、100割り当てれば、充分飽和攻撃が可能だろう。
そして、惑星や艦隊の援護を失った校舎コロニー群には、絶望しかない。
「ヘンリー卿……あんた、宇大を滅ぼすために来たのか?息子が入学したばかりだというのに……」
『これは異な事を。まだ入学していない筈です。ただ試験に合格したのみ。
そして宇大受験突破は、一族の悲願でした。そしてウィルがそれを叶えてくれました』「だったら、どうして!」
『どうして?』
ここで初めてヘンリー卿から笑みが消えた。
『3次試験の内容ですよ。宇大は三名のパワードスーツ兵をウィル達のいる教室に差し向け、制圧しようとしました。他の教室も同様に。
分かりますか?彼らはウィルに銃を向けたのですよ?
これが、何を意味するのか。あなた達は軽く見過ぎという事です。
高家男爵とか、帝国の名誉男爵とかは、この際どうでもいい。
彼らは、私達のウィルに銃を向けたのだ。
ならば自分達も銃を、砲を向けられる覚悟があって然るべきだろう?』
大貴族は、徐々に言葉遣いも荒くなっていく。こっちが地なのだろうか、とゴドフリートは不安に駆られる。
「お、お怒りはご尤も。某も、今度の試験は、やり過ぎだと思う」
『違う違う違う!そうじゃない!
あんたは分かっていない!まるで!
安全安心な星系で、研究なんぞに明け暮れていると、そう生っ白くなっちまうのか?
ああん?
いいか、俺達が言いたい事は、だ』
ここでヘンリー卿は大きく深呼吸する。
『たった三人のパワードスーツ兵ごときで、うちのウィルを屈服できると考える、貴様らのような甘ちゃん共に、可愛いウィルを預けていられるかってこった!
分かったか、この専門バカのとっちゃん坊や共めらが!
辺境を、タルシュカットを舐めるのも大概にしやがれ!
これよりウィルを迎えにいく。抵抗は大歓迎だが、相応の覚悟を、今度こそする事を薦める。タルシュカットの殲滅伯より、以上終わりッ』
大声で啖呵を切ると、ヘンリー卿はまるで別人であるかのような獰猛な笑みを共に、姿を消した。
それと同時に、やっと[ロンディニウム]が移動し、自らの大艦隊と共にゲートから離れていった。
ゴドフリートは、半ば呆然と見送る事しかできない。
「えらい事になった……『タルシュカットの殲滅伯』って……どうして今まで誰もが忘れていたんだ?」
その答えは、ゴドフリート自身、よく分かっている。
ウィリアムの存在自体が目立ちすぎて、タルシュカットの名が、単に彼の出身星系としか認識できていなかったからだ。
だが、考えてみれば、広大なフェアリーゼ星間王国の、これまた広大な辺境にぽつんと存在する星系の名など、誰もが知っている事自体が異常なのだ。
なにしろ、辺境の星系で、有人のものだけでも数百はあるのだから。
タルシュカットは、治安の良さで知られている。
なぜ治安が良いのか。
簡単な話だ。
辺境宙域の治安を乱す最大要因である、宙賊やマフィアと戦い、殲滅してきたからだ。
徹底的に。執拗に。
時には大きな被害を出しながらでも。
近年こそ、ウィリアムの魔改装のおかげで、領軍のワンサイドゲームになっているが、以前は酷いものだった。
ヘンリー卿の伯父や、末の弟は、宙賊相手に戦死している。
その死は名目上、あくまで演習中の事故による殉職扱いではあったが。
そう。
宙賊は、ウィリアムが思っているような、無力で愚かな存在ではない。
宙賊と貴族の領軍との間でのガチの艦隊戦だって、実は普通に行われている。
もっとも、その戦闘が公式記録に残る事はない。
自領で宙賊が暴れている事を、貴族は認めない。
ウィリアムの史上初の艦隊戦も、あくまで『公式記録上』という意味での『史上初』である。
彼のケースは、圧倒的な数的不利を覆す、鮮やか過ぎた逆転勝利や、王女を守り抜いた騎士道精神が評価され、その実績を本人達より、むしろ周囲が公式記録に残したがったという、例外的事情があった。
ではなぜ貴族は宙賊との戦いを歴史に刻みたがらないのだろうか。
中にはウィリアムの功績に劣らぬような、劇的な戦いもあったに違いないのだが。
それには貴族独特の事情があった。
矜持の問題もあるし、領軍が苦戦しているとなると、外部から続々と宙賊が集まってきてしまう。
また、他家の貴族から舐められて、不当な交渉を持ちかけられるかもしれない。
むしろそちらの方が大問題であった。
辺境貴族は相身互い。
その格言はお題目に過ぎず、マトモに信じている貴族は極少数であった。
他家と抗争するくらいならと、宙賊と交渉し、妥協する貴族も結構いる。
中には、他家に破壊工作を依頼するため、裏で宙賊を援助している貴族家さえいた。
それでも、宙賊により滅ぼされた貴族家はいない。
どれだけ宙賊が戦力を整えようと、やはり惑星や巨大要塞を落とす事は事実上不可能だからだ。
しかし、逆に貴族が完全に宙賊を殲滅する事もまた難しい。
開発可能な、つまりテラフォーミング可能な惑星がない星系は、開発可能星系よりずっと多く、それらが宙賊のアジトになっているからだ。
宙賊はアステロイドベルトの小惑星を改造し、拠点を構え、艦隊戦力を整えていく。
そしておもむろに貴族の領地に侵入し、民間船を襲って、素早く引き揚げてしまう。
さすがに一等戦艦を所有しているような大宙賊はとても珍しいが、珍しいという事は、裏を返せばいるという事でもある。
もっとも、そんな大宙賊の背後には、貴族、それも大貴族がいるものだ。
そして宙賊を使って、裏の仕事をさせるのである(だからウィリアムの事件の時、国王や皇帝は貴族の反乱を疑った)。
いくら叩いても、いくらでも沸いてくる。
それが宙賊だ。
中には半ば傭兵と化して、他家の擁する宙賊と代理戦争をしている連中までいた。
だがタルシュカットのオゥンドール家は、一切宙賊と妥協する事はしない。
サーチアンドデストロイ。
殲滅あるのみ。
例え肉親が戦死しようと、その屍を乗り越えて戦い抜く。
それがオゥンドール家。それがタルシュカットの矜持。
そしていつしか付いた渾名が、『殲滅伯』。
これはヘンリー卿個人に付けられた渾名ではなく、数百年、代々続いた伝統の呼び名。
辺境宙域を代表する、武闘派中の武闘派である。
ウィリアムの魔改装により、殲滅はより徹底的になり、領軍被害なしというパーフェクトゲームも珍しくない。
だから領軍兵士は、ウィリアムを『サー』と呼ぶ。
命の恩人、勝利を約束する者への敬意を込めて。
もっとも、ウィリアム当人は、そんな事情はまったく知らない。
何故なら彼は、彼が改装した艦隊しか知らないからだ。
本気で、宙賊なんか大した事はなく、彼らとの戦闘は、駆除、掃討作業にしか過ぎないと思っていた。
ウィリアム自身も、何度となく宙賊を殲滅してきた。
辺境貴族に生まれた身の宿命として。
圧倒的な戦力と、指揮能力を駆使したためか、それは彼にとっては艦隊戦とは呼べず、あくまで駆除作業であったのだが。
領軍兵士達は、そんな『サー』を愛している。
タルシュカット領軍旗艦[ロンディニウム]のブリッジで、ヘンリー卿は威風堂々と立つ。そんな姿は、息子達、とりわけ末の息子には見せた事がない。
「さて諸君。諸君が愛する『サー』を取り戻しに行こうじゃないか。全軍出撃」
『イエス、マイロード!』
『サンキュー・マイロード!』
数百隻の大艦隊が、宇大宙域を征く。