鍬と魔法のスペースオペラ 第九章 その4・総合自由科学
4・総合自由科学
ホワイトさんは、緊張した面持ちで、姿勢も正した。
「総合自由科学コースは、宇宙大学における、最難関コース。
文字通りの地獄と、学生のみならず、教授達からも恐れられています」
ごくりと、誰かが唾を飲み込む音がした――ああ、当然僕のだね。他の人が唾を飲み込む音が聞こえるわけがない。
「略して総自科(TFS)。簡単に言えば、宇宙大学にある、全ての学部、学科の単位を取る事ができるだけでなく、存在しない単位を作る事を、大学に要請、大学側もそれに応える義務を持ちます。
文字通り、学生が自由に学びたい事を学ぶコースと言えるでしょう。
そして総自科の学生が大学に作らせた新単位の学問を、他の学生も、所属学部学科に関係なく、受講する事は可能です。
あくまで総自科の学生が在籍している間だけですし、単位を取得できたとしても、自分の学部に反映されるわけではありませんが」
「へぇ……でも」
「それはなかなか……」
みんなも興味を持ちだしたようだ。
ホワイトさんは慌てて手を振る。
「学生にとって有利な事ばかりではありませんよ。
一番大変なのは、全学部の必修単位を全て取得しないと、卒業資格を得られない事です。一応選択必修科目は除外されますが、それでも過酷な条件です。
これは、そもそも総自科を作らせた学生に対する、大学側の最後の抵抗の結果です」
ホワイトさんは、先生をちらりと見る。
そうか、先生のせいか。
「総自科コースでの卒業生は、過去六人しかいません。在籍年数は、30年前後が多く、50年以上かかった人もいます」
え?
それじゃあ、先生はいつ総自科を作ったの?
今まで年齢を聞いた事なかったけど
「ウィル。女性に年齢を訊くものじゃない」
あ。また声に出てた?
「ちなみに総自科の言い出しっぺである、とある魔女は、卒業まで20年かかったそうです。これは総自科における最短記録でもあります」
ホワイトさん。あまり先生に嫌がらせをすると、後が怖いよ?
でも、先生は平然としている。取りあえずはセーフみたい。取りあえずは、ね?
「ウィルは私より優秀。だから10年もあれば卒業可能と試算する。
今ウィルは10歳。HDを入れても11歳に過ぎない。
20歳で卒業となれば、まったく問題はない」
「無茶な試算です!理学部や工学部、そして医学部は実習も多く、とても10年で必修単位を取れるとは思えません!
それに単に必修単位を網羅する事だけに総自科を選ぶのは、無謀を通り越してナンセンスです。もっとも?大学側としてはその方が楽ですけど?
一番厄介なのは、大学が想定していなかった、まったく新しい学問を提示され、いるかどうかも分からない専門家を探し出して招聘しなければならないパターンなのですから」
「当然それもやらせる。でも、ここはウィルのため、教師捜しに私も協力しよう」
「……はぁ。何を閣下に学ばせる気なのかは知りませんが、できるだけ校舎の破壊は謹んでくださいよ?」
「先生の悪名が高かったのは、タルシュカットだけじゃなかったのか……」
「閣下。あなたもです。この78校舎が破損したのは、閣下のせいばかりとは言えませんから不問にしますが、今後はそういう訳には参りませんからね?」
「イエス・マム!」
「そう怖い顔をするな。しかし、わざわざ念押ししてくるからには、要請は受領されたと考えてよいな?ウィルには総自科コースを選んでもらう。後で泣き言いうなよ?」
「先輩こそ、後で閣下から恨まれない事を祈りますよ。はいはい、確かに閣下は総自科コースを選択する事を、正式に受理しました」
みんな、大事な事を忘れてないかな?
誰も、僕の意見を聞いてないという事を。
……まぁ、これから学びたい事だらけだったから、渡りに船ではあるんだけどね。
というか、適当な学部を選んで、他の学部の授業に忍び込もうと考えていたんだ。
医学部を除けば、こうして友達もいるし、何とかなるんじゃね?と。
でも、総自科とやらなら、堂々とどんな授業も受けられる。
問題は、卒業までに時間がかかりそうだという事だけど、宇宙大学は授業料無料で、寄付金強要もない。
学生寮や学生向けアパートの類も、大学からの補助金のおかげで、格安もしくは無料だし、学生にも学業奨励金の名目でお小遣いが貰えるけど、何に使ったかを大学側に報告する必要はない。
つまり、遊びに使っても、まったく構わないわけだ。
おまけに、かなりお得なアルバイトを、大学は常に募集している。
バイトに精を出しすぎて、留年に留年を重ね、卒業までに15年もかかった学生が、気付いたらひと財産築いていた、なんて話もある。
でも大学で稼ぐといえば、その王道が研究と発表だ。
大学が認めれば、学生にも莫大な研究費が入るし、結果を発表すれば、大学当局はもちろん、王国や帝国、そして星間企業など、買い手は引く手数多――になる場合もある。
普通、教育機関である大学の研究発表など、企業研究所に比べたら遅れている、というのが世間での常識だけど、宇大は違う。
何しろ、教育機関であるという建前を、半ば宇大自身が忘れていると言われるほど、研究に貪欲だ。
企業研究所と違って、比較的短期に成果を出す必要もなく、研究のための研究が常態化している、困った研究室も少なくないらしい。
そんな調子で、よくもまぁ資金が続くなと思いきや、かなり儲けているそうだ。
逆にいえば、それだけ進んだ研究をしているという事。
元々は、一族の悲願とやらで、ちょっとした親孝行のつもりだったけど、これなら期待できそうだ。
このまま先生に連れていかれそうになったので、慌てて102号教室組のみんなのパーソナルモニター(手荷物預かり所で保管してあった)に、僕とのアクセス権を与えておく。
こうしておけば、連絡が取り合えるからね。
「拠点が決まったら連絡するからね!」
「ん?閣下は[レパルス]があるじゃねぇか」
「やっぱりデウスはバカニャ」
「あははは……いくらタルシュカットの艦が頑丈でも、ドックで整備しないと、いつかは壊れちゃうっスよ。というより、工学部の連中、[レパルス]を弄りたくてしょうがないでしょうから、厳重な警備をしないと、拙いっス。
艦の海兵のみなさんだけで、大丈夫っスかね」
あれ?ドミンゴ君の発言に、軍人のおじさんがピクリと反応したぞ?
「あの、置物のおじさん?」
「宇宙大学防衛隊の、アンソニー・クリプトマン主任教授だ――もっとも、これからは過去形になってしまうかもしれんがね」
さすがは軍人。口調はともかく、僕を責めるような目をしていないのは高評価できる。
きっと、自分を責めているんだろうね。僕らみたいな(マルコ氏は分からないけど)素人相手に後れを取ったのだから。
「それは困ります。ドミンゴ君の言う通りの状況になったら、[レパルス]や他の艦艇を守るには、宇大を誰よりも知っている、防衛のプロフェッショナルの力が必要なのは、誰の目にも明らかです。
クリプトマン主任教授に、その手配をお願いしたかったのですが」
「ほ、ほう?」
「というか、宇大に防衛関係の学部学科がないのは、不自然です。こうして防衛隊があって、教授までいるのにですよ?
主任教授の専門は、何でしょうか?」
「……宇宙艦隊運用論だ。宇宙艦隊戦がない以上、机上の空論と馬鹿にされているがね」
「あの、宇宙艦隊戦なら、先日やりましたけど」
「そうでしたそうでした!試験が終わったら、是非ともそのお話を伺いたかったのです!」
うわっ、軍人のおじさん改め、クリプトマンさんから滅茶苦茶熱い圧が!
しかもいきなり敬語に変わった?
でもまぁ、こういうノリの人への対処に慣れている人もいるんだよね。
ここに。
「……ウィルを慕う人間にいちいち付き合っていたら、きりがない。さっさとアドレス登録して、詳しい話はまた後日。
というか、この艦隊の人間なら、全員艦隊戦経験者。今なら宴会中で口も軽くなっている筈。後輩、この男への用事が終わったなら、解放してやるといい」
先生がホワイトさんに視線を移すと、彼女も頷いた。
「……そうですね。
閣下が主任教授に頼みたい事があるというなら、総自科の権限で、大学には便宜を図る必要が出てきます。よって、今次作戦失敗に伴う責任問題は、一旦棚上げとし、処分は今後の様子を見てから、という提案をします。
恐らく、教授会は受理するでしょう。
ぶっちゃけ、反対する輩には、『じゃあ、お前がやってみろよ』と言えば済む話ではあるのですから。
というわけで、クリプトマン主任教授。『置物の刑』は終了です。自由に退出して結構ですよ?」
「感謝します部長先生。あと高家男爵閣下。拠点がお決まりになりましたら、どうかご一報を。それまでに艦隊防衛案を纏めておきます。
それでは、サー!」
クリプトマンさんは、見事な敬礼をしてから、うちの連中へ猛然とダッシュしていった。
何というか、最後がもの凄く暑苦しくて、面接の間の印象がどっかに行っちゃったよ。
実は熱い人だったんだね。自分の専門に関わる事だから、教授なら当たり前かも。
いかん。まだ入学もしてないのに、さっそく宇大に毒されているみたいだ。
感染源は、帝国閥の教授連中に違いない。気をつけよう。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
僕のために用意されたパーティー会場とやらは、[レパルス]のオーナールームだった。
参加者は僕と先生、そしてティナの三人のみ。
二人未成年だし、先生もお酒は苦手らしい。
というわけで、取りあえずジュースで乾杯した。
「結局、魔法やスキルに関しての厳しい尋問はなかったね。というより、ホワイトさんはわざと触れないようにしていた節がある」
工学部副学部長のゴドフリート正教授は、オフセット式ゲートについて、使用電力以外、何も知らないようだったけどね。
「副学部長と、学部長では、持っている情報の質が違って当然」
「それにゴドフリートさんの専門は、航宙艦の構造設計だそうですわ。ワームホールについて、興味がないのかもしれませんわ」
「それはあるかも。宇大の教授って、自分の専門外の事には、まるで無頓着だからね。とりあえず知っている人達はみんな」
専門バカの集まり。
でも自分の専門分野が、他方面でも活かせる事に、まったく気付いていない人ばかりだ。
勿体ない。
「その『専門知識の壁』を取っ払ったのが、総合自由科学の強み。
だから学ぶジャンルを問わない。
一つの事象について、あらゆる方向から、同時に考察、分析できる。
ウィルのスキル【解析】のレベルアップにも繋がる。
なにより、元々多才なウィルを多方面で伸ばさないと、ウィルの言葉を借りるなら、『勿体ない』よね?」
なるほど。さすがは先生。説得力あるな。総自科の権威だけの事はある。
「宇宙大学は、文字通り、人類世界の最高学府。
恐らく、ウィルの【超理解】【黄金の記憶領域】【解析】をフル活用する必要があると思う。そしてフル活用すれば、多分それらのレベルも上がっていく。
実に便利」
「でも、それが逆に心配ですわ。実によく用意され過ぎていて、罠を疑ってしまいます。
その、張り紙、でしたか?
まるでウィリアム様に、【ライト】を会得させるためだけに用意されたみたいで、不気味ですわ」
「あれは、試験前に、オフセット式ゲートの秘密のヒントとして用意されたものじゃ……でも、そうだね。
確かにパワードスーツの兵士達を制圧するのには、【ライト改】は欠かせなかった。
でも、ただの【ライト】が【ライト改】に改造できたのは、偶然だと思う。
そもそも、魔法の才能がない僕が、勇者スキルで【ライト】を会得できた事自体、誰が予想できる?」
「「あ……」」
二人とも、目を見開いている。
「あれ?二人には、【ライト】を魔法じゃなくて、スキルとして会得した話は、したよね?」
「そこじゃないですわ!ウィリアム様は、勇者として覚醒なさったのですね!」
「勇者スキルの事は初耳」
「いやいやいや。勇者として覚醒、とか別にないから。【解析】さんの造語だよ。多分、この世界に似た職業がないから、『勇者』って職業を創造したんだと思う」
だって、もう一つの職業スキルは、『農家』だよ?
農民兼勇者だなんて、斬新すぎる。
さすがに農家スキルの事は、ティナの夢を完全破壊するのが確実なだけに、口に出せないけどね。
「でも、ウィリアム様の前世は大地の勇者なのですから、【解析】もそれを踏襲しているだけなのでは?」
「僕は、前世があるともないとも言えない。立証する証拠がないけど、否定する証拠もまたないし、今日計測できない事が、明日になれば計測できるようになる事もあるのが、科学の世界だからね」
先生が手を叩いて喜ぶ。
「それこそ総自科の考え方。総自科は、決して一つの考え方に囚われる事はない。
一見結論が出ているように見えていても、それは己に都合がよい、事象の一面。
だから総自科の心得がない人間同士では、己の結論がぶつかり合い、対立する。
総自科は、相手の考えも、真剣に考える。妥協でも、相手の考えに流されるでもなく。
そうすることで、まったく新しい、第三、第四の考えも思いついたりする。
それが楽しい」
先生も、専門の事になると多弁になるな。
「それで?僕に【ライト】を教えてくれた何者か……第一容疑者は学長だけど、何が狙いなんだろう?講義に対する謝礼?」
「或いは、ウィリアム様が本当にアルス様かどうか、確かめようとしたのかもしれませんわね」
それは君の願望だね?
「或いは、ヒントはやった。あとは自分で考えろ、とこちらの反応をただ確かめたかったのかもしれない。で、使えたなら、ウィルを利用する腹づもりで」
「ウィリアム様を利用?そんな事、許されませんわ!」
「……とまぁ、いくら総自科を使っても、考えの材料が少なすぎる。ここは最悪のケースを視野に入れて、行動すべき」
「最悪のケース?」
「毎年行われる宇大の入試。
そのイベントそのものが、実はウィルに対する罠。
もちろん、人工ワームホールも、罠の一環。
実家や国から引き離し、自分のテリトリーである宇大に引き込み、確実に倒すために」
「会ってもないのに、引き入れて倒す?
そんな大袈裟な。
だいたい、宇大入学が一族の悲願というのは、オゥンドール家が、たまたまそうだってだけで……しまった!」
「ウィル、どうした?」
「やはり罠でしたの?」
「合格した事、父様達に伝えなきゃ!」
僕はずっこけた二人を残して、特別通信室に走った。
こんな重要な報告、パーソナルモニターなんかで済ませるわけにはいかないからね!