鍬と魔法のスペースオペラ 閑話その4
閑話 ラグロン社最高幹部会
ガイスト帝国の唐突な発表は、帝国はもちろん、王国の航宙艦メーカー各社にも大きな衝撃となって伝わった。
ほとんどの企業にとっては、『ウィル式推進法』など、今まで聞いた事もなく、資料も持っていない。
それどころか、下請けや孫請け企業レベルでは、その『ウィル式推進法』という名すらこの段階では知らないくらいだった。
それでもニューヴィッカースやヨツバ重工、ウェブリー・インダストリー、エリオット、ハリコフ、マハー・カーラ、そしてラグロンといった大手メーカーは、王国宇宙艦隊との強力なパイプにより、少なくとも『ウィル式推進法』の概要程度は把握できていた。
大手四社の中で、一番『ウィル式推進法』に接するチャンスが多かったのは、[レパルス]を売り込んだウェブリー・インダストリーだろう。
売り込みのため、タルシュカット星系までセクター営業部の幹部が赴いていたのだから。
裏を返せば、一番チャンスを活かさなかったともいえる。
営業チームは、タルシュカット領軍の見学をしなかった。
ただ、公表された艦種と編成をデータで確認しただけである。まさかその艦艇のことごとくが魔改装されたものだとは、想定していなかった。
また通信営業での感触が良好であった――良すぎた事も大きかった。
タルシュカット星系は王国でも特に辺境――ど田舎の、オメガセクターにある。つまりここのセクターの営業領域は他セクターの比ではないほど広大で、尚且つ人員は少ない。だから可能な限りさっさと[レパルス]を売って、さっさと引き揚げたかった。
おかげでオメガセクター営業部長は、本社から理不尽な大叱責を受ける羽目になったのだが、実のところ、彼らが[レパルス]を売った当時、オゥンドール家が領軍宇宙艦隊の見学を許したかは疑問だ。
オゥンドール家も領軍も、ウィリアムの自由意志をとことん優先している節があるが、彼に気付かれないよう気を配りつつ、その身の安全を確保する事には、過剰なまでに神経質だ。そしてその状況は、かの『忠賊貴族討伐事件』まで続くのだ。
もちろん、かの事件がなくても、宇大受験の旅に出た時点で、ウィリアムと『ウィル式推進法』が世間の表舞台に立つ事は、タルシュカット領の全員が覚悟していたから、結果は変わらなかっただろう。
つまりウェブリー・インダストリーは単に間が悪かったといえよう。
次点で『ウィル式推進法』に触れるチャンスがあったのが、ニューヴィッカース。
タルシュカット領軍の駆逐艦以上の艦艇の七割ほどが、ニューヴィッカース製だから、縁はウェブリー・インダストリーよりあるわけで、その強みを活かさなかったと、この社のセクター営業部長も、やはり本社から理不尽な叱責を受けたものだ。
しかしこの二社は、まだマシだったのだ。
ウィリアムが表舞台に立ち、『ウィル式推進法』が注目されてからなら、オゥンドール家の態度は急に軟化し、取引の深い二社の問い合わせにも親身に答えたのだから。
ウェブリー・インダストリーは[レパルス]の改装草案データを、ニューヴィッカースはアレキサンダー級駆逐艦、ブレイブ級二等戦艦、プリンス級重巡航艦の第一次改装データを、それぞれ受け取る事ができた。むろん有償ではあったが。
ちなみに艦隊旗艦であるロイヤルサブリン級一等戦艦[ロンディニウム]もニューヴィッカース製だが、この艦の詳細データの引き渡しはなかった。
ウィリアムはこれらの艦艇の改装を、新鋭艦である[レパルス]を除けば、最低3回はしているので、タルシュカット領軍にとっては第一次改装など、別に知られてもどうという事はなかったのだが、[ロンディニウム]の改装は他とは違う趣向があったため、見送られた。
というのも、この艦だけは外観がまったく改装前と変わっていなかったからだ。
これは艦隊旗艦はタルシュカット伯ヘンリー卿が首都星に赴く時の座乗艦となるから、敢えて外観を弄らないことで、この艦への世間の注目が集まる事を避けたのだ。
つまりこの艦にはメインスラスターが存在するし、一応噴射もできる。一等戦艦は巨大なため、こうしたダミー装備を搭載する余裕があった事も大きい。
ちなみにヘンリー卿は息子の叙爵式に参加するため、この艦を利用した。
知らせを受けて、タルシュカットから首都星まで、普通、HDを使っても2週間はかかる。それがたったの8時間で[ロンディニウム]が首都星系に到達した事に、王だけでなく、多くの高官が驚愕したといわれている。
エリオット、ハリコフ、マハー・カーラ各社も自社の駆逐艦をタルシュカット領軍に納品しており、それぞれ第一次改装データを有償で受け取る事ができた。
ただ一社。ラグロンだけは、データを購入する事ができなかった。
というのは、ラグロンはオメガセクターに営業所をそもそも開いておらず、タルシュカットに営業をかけた実績が、一度もなかったからだ。
当然領軍にラグロン製の航宙艦は一隻もない。
ベースとなる艦のデータがないのだから、他社の艦の改装後データを見ても意味がないだろう、というのがタルシュカットの言い分であった。
これは道理としては正しい。
確かに各社とも艦を量産しているため、他社の艦でも基本スペックを把握するのは簡単だ。要は一隻買えば済む。
ただし、それは民間船に限る。
領軍でも王国宇宙艦隊でもそうだが、軍艦というものは、使用者のオーダーに応じる形で、受注生産されるものであり、その際、顧客の要望に応えるため、かなり弄られるものだ。
ジェネレーターの数や配置、基本ウェポンのハードポイントと、搭載可能武装のグレード、そして艦の基本サイズはあまり変わらないが、外装を含め、オーダーできる項目は多く、それはコルベットより駆逐艦、駆逐艦より巡航艦の方が融通が利く範囲が大きくなる傾向にある。戦艦に至っては、同メーカーの同クラスの艦でも、とてもそうは思えないほど違っていたりする。
だからタルシュカットにおける運用実績のないラグロンにデータ提供がないのも当然だが、『田舎だからと散々無視しておいて、今更何言ってやがる』というのが、領軍の本音だろう。門前払いを食っても、致し方あるまい。
『筆頭常務、これから如何なさる御所存か』
『このままでは、進退問題に発展しますぞ』
『航宙艦の推進法が大きく変わろうとしている時に、我が社だけが乗り遅れるなど、ありえないでしょう。これもオメガセクターを軽視してきた報いですな常務?』
王国各地から立体映像で会議に参加している幹部達から、筆頭常務であるユージン・グレゴリーは責められたが、彼らを地方に飛ばしたのが他ならぬグレゴリーであったため、これは意趣返しの嫌味に過ぎない。
「確かに私の判断は甘かったかもしれないが、『ウィル式推進法』の基本原理は公表されているから、社にとって致命傷とはいえない。
あまりに革命的な変化となれば、他社とて手探りにならざるを得ぬだろうさ。それに従来の生産ラインの管理や、取引先との連携もある。
今日明日でどうこう変わるわけもないし、場合によっては、多少尖った艦がいくらか開発されるに留まり、大勢に影響はないかもしれない。
それより、そう簡単にうろたえるものではないぞ。
諸君は伝統あるラグロンの幹部なのだ」
グレゴリーは余裕たっぷりに言い返す。たしかに大企業の幹部として、軽々にうろたえるのはみっともないと、地方幹部達は赤面し、押し黙った。
もちろん、グレゴリーはそれを狙って指摘したのだ。プライドが高く、思考が硬直化した相手にはその手に限る、と自画自賛したものだが、実はこの面子で一番焦っていたのは、他ならぬグレゴリー自身であった。
その原因の一つ、いや、一人がコールもなく入室してきた。
歳にして40前の、痩せ型の男だ。一流のスーツをちょいと着崩して、ちょいワル気分を演出している、いかにも軽薄そうな二枚目で、明るい茶髪を短めにし、偏光自動調節機能付きの伊達眼鏡をかけている。
「ほらグレゴリー、ぼくが言った通りになっただろう?だから5年前、ウィリアム君の論文を真面目に評価すべきだと言ったんだ。うりうり」
軽薄男は陽気に入室するや、数多の幹部達を尻目にグレゴリーのテーブルに腰掛けると、キャップの付いたままのペンを持って、グレゴリーの頬を突いて遊びだす。
「しゃ、社長。お戯れを」
グレゴリーの頬が引きつる。
そう。
この軽薄男こそ、ラグロン社代表取締役社長にして社主、ジャン・ジャック・ラグロンその人である。
苗字から分かるように、創業者一族の一人であり、血の濃さでいえば、一番直系に近く、それゆえに社長になれたというのが、世間一般からの評価であり、当人のこれまでの行動は完全にそれを裏付けてきた。
いわゆる典型的な放蕩息子であり、それは父親になった今でも変わらない。
普段から遊び回っており、時折気まぐれに役員会に乱入しては、場をかき回して笑う。
株主総会で影武者を使う。
ただ設計スキルがないため、突拍子もない新型機を設計してごり押しする、という事はなかった。というか、経営にほとんど関わってきていない。
「いやぁ、ウィリアム君がようやく世間で正しく評価されるようになって、ぼくも嬉しいよ。ウィリアム君は天才。ぼくも天才。ウィリアム君は三男。ぼくは四男だから、ぼくの方が、上に這い上がるのに彼よりちょっとだけ苦労している。
ほら、ぼくらは似たもの同士なんだ。だから分かっていたのさ。分からなかったのはグレゴリーの方」
貴様のどこが天才なのだと、グレゴリーは言ってやりたくなったが、相手は仮にもオーナー社長である。雇われ役員に過ぎないグレゴリーとは身分が違う。
とても言えるものではなかった。
それに、偶然であろうが、ジャン社長の言っている事は間違いではない。
たしかに5年前、ジェフリー・アーカイブから、ウィリアムの論文を見つけ出したのは、ジャンだ。
もっとも彼は中身を一行だって読んではいない筈だ。
読んだ所でジャンの知能で理解できるわけもない、というのは、5年後の今ならはっきり言える。
ただ5歳児が航宙船の新式推進法を提唱した、という一点に着目したに過ぎないとグレゴリーは聞かされている。
そしてグレゴリーに読んでみろよ、とパーソナルモニターにデータを転送してきたのだ。
きっと笑えるから、と念押しした上で。
それならばと、グレゴリーは概論を読んでみた。山ほど急ぎの案件を抱えているとはいえ、これでも社長直々の業務命令とあっては無下にできなかったからだ。
確かに概論は笑えるものだった。
メインスラスターを使わず、慣性誘導のみで推進する。
理屈は分かるが、机上の空論に過ぎず、実現は難しいばかりか、実際の性能向上にはさほど繋がらないと、グレゴリーは断じた。
それどころか、実際に論文を書いたのはウィリアムではなく、息子に箔をつけたい貴族がゴーストライターを用意して、そいつに書かせたものだろうと決めつけた。
本来、画期的な発明、発見であれば、自身の名を残したく思い、ゴーストライターなどにはならない筈だが、この推進法はあまりに突飛で、下手に発表すると物笑いの種となり、かえってキャリアに傷がつく危険がある。
大貴族の子弟の名を出せば、少なくとも嘲笑の対象にはならないだろう。
裏を返せば、ゴーストライターを使って書かせる論文など、たかが知れている事になる。
つまり、論文を5歳児が書こうが、ゴーストライターが書こうが、評価に値する訳がない道理となる。
というわけで、グレゴリーは、後に珠玉とされる論文の本文を、読みもしないままパーソナルモニターのゴミ箱にフォルダごと放り込んでしまい、本人の記憶諸共消去した。
当時としては最善の行動であったものの、グレゴリーとしては痛恨の判断ミスである。
「……はい。社長の仰る通りです。私の不明のせいで、社に損害を与えてしまいました。処分はいかようにも」
「ハンッ、相変わらずつまらない奴だなグレゴリーは。お前達執行役員の首なんか貰ったって、面白くも何ともない。それよりウィリアム君だよ。
聞いた?彼、今、宇大受験の真っ最中なんだってさ!」
ジャンは陽気に笑って、グレゴリーの頭頂部をペシペシ叩く。
「はぁ、聞いております」
「笑えるよね!5歳で全宇宙を震わせる論文を書いたと思ったら、10歳で宇大受験だよ?宇大本星に向かったという事は、後は3次試験と面接って事だ。
1次と2次に通ったってだけでも、人類の快挙だ。うん、笑える!
という事は、この笑えるウィリアム君を、どうしても我がラグロンが迎え入れなきゃいけないわけだね!これほど笑える逸材を、貴族なんかにしておくのは勿体ない!
彼なら、宇宙一の芸人になれる!ぼくには分かる!」
「げ、芸人ですか?」
さすがのグレゴリーも目を剥いた。
「そう、芸人!航宙船を開発?50を越える大宙賊を壊滅させた?いやいや、それだけで終わるような彼じゃないよ?もっとぼくを笑わせてくれる筈さ!
それを芸人と言わずして、何という?」
ジャンは自分で言った台詞に腹を抱えて笑うが、ふと笑いを収める。
「というわけで、マリーに連絡しておいてくれないか?一応世間的には秀才とされ、現役宇大生ではあるからね」
「マリー様に、ウィリアム少年とのパイプ役になれと命じるのですか?」
「まさか。役者不足もいいところだよ。あの真面目だけが取り柄のつまらん娘に、そんな芸当ができる訳がない。ぼくが命じるのは、マリーの船の乗員名目で、相応の人間を送り込むから、それを受け入れるように、という事だけさ。
さーって、誰を送り込もうかなぁ〜」
ジャンは再びペシペシとグレゴリーの頭を叩くと、机から降りて役員室から出て行ってしまう。
残された役員達はため息をついた。
「筆頭常務――」
先ほどまでグレゴリーを責めていた役員達の目は同情的だ。
グレゴリーは軽く首を振る。横に。
「諸君の言いたい事は分かる。あの御方は我々の希望の星。アレの血が流れているなどとても信じられん御方だ。こんな事であの御方の経歴に傷をつける訳にはいかない」
「しかし、業務命令が――」
「ふん。確かに私は業務命令を受けた。だが、あの御方は別にラグロンの社員ではない。株主ではあるがね。だから社長には命令権はないのだ」
「はぁ――」
役員達は首を捻る。グレゴリーの言っている意味がよく分かってない様子だ。
グレゴリーはニヤリと笑ってみせた。悪役顔がよく似合う。
「だからだ。わたしがあの御方に工作員受け入れを要請したところで、あの御方がそれに従う義務などない」
「しかし、それではあの御方にご迷惑がかかる事には変わりはないですよね!」
「ふん。あの御方を過小評価しているのは、あのアホだけじゃないわけか」
グレゴリーは鼻で嗤う。
マリー様を舐めてもらっては困る。
あの御方こそ真の天才。この状況を利用し、更なる高みに登られるのは必定。
さて、そのウィリアムなる小僧が、あの御方にとって良き道具になればよいのだが――
低く笑うラグロン筆頭常務を見て、役員達は顔を見合わせるのだった。