鍬と魔法のスペースオペラ 第一章 旅立ち その1 ホテル・ボタニー・ベイサイドホテルにて
第一章 旅立ち
1・ホテル・ボタニー・ベイサイドホテルにて
おかしな夢だったな。
前半は童話みたいな、剣と魔法の世界で、後半は暗闇で妙な声と、変な会話する夢。
しかも肝心な所で起きちゃったし、夢の詳細は覚えていない。
まぁ、夢だからね。
剣と魔法とか、まるで子供の夢だけど、それは仕方ない。
だって僕は10歳の子供なのだから。
ベッドから起きると、窓の遮蔽スクリーンの明度を上げた。
「わぁあ」
思わず声が出てしまう。
丁度宇宙港から一隻の大型輸送船が離陸した所だったからだ。
ホテルのシールドが完璧だから音はまったく聞こえてこないが、外だったら相当うるさいと思う。
ずんぐりむっくりした銀色の船体が浮き上がり、ゆっくりと上昇していく様は迫力満点で、男の子なら誰しも夢中になる光景だろう。
アルカイン軍港は観光宇宙港じゃないし、そもそもこの星は辺境の田舎惑星。周辺は倉庫や無骨な軍事施設ばっかりで、優雅じゃないけど、これはこれで良い。
もっと酷い星だと、荒野ばかりで、宇宙港なんて名前だけ、なんて事も珍しくないらしいし。まぁ、この星にも緑なんかまったくないんだけどね。
衛生上の問題と効率重視の考え方から、テラフォーミングに植物を使う時代じゃない、と言ってしまえばそれまでなんだけど。
それでも宇宙のどこかには、今でも緑豊かな星もあるかもしれない。
今日、僕も宇宙へ旅立つ。
いや別に、植物を求めての旅じゃないよ。もっと夢のない旅だ。
ともあれぐずぐずしていられない。
着替えながら、簡易メディカルチェックを行う。
空中に青みがかった銀髪、翠色の瞳の少年の姿が浮かび上がる。
ウィリアム・C・オゥンドール 10歳 HD加算肉体年齢11歳
つまり、僕だ。その脇に文字が浮き上がり、諸情報が続く。
健康状態は極めて良好。というより、昨日と特に変化なし。遺憾ながら背も伸びていない。同年代の連中と比べても、僕は背が低い方で、実年齢に輪をかけて童顔、というか、時折女の子に間違われる。失礼な。
というか、こんな、襟や袖口にちょこっとレースをあしらったシャツなんか着るから、女の子っぽく見えるのだと思う。父様や母様達の要望だから今は我慢だ。
宇宙に出たら、まずはデザインを一新しよう。
でもこのシャツも、半ズボンも、シャツの上に着る、襟付きのベスト(さすがにこれにはレースはない。でも草花をあしらった刺繍がちょっと派手)も、耐熱、耐冷、耐火、防水、耐暴風、防汚に優れた特殊繊維製だから、性能自体は申し分ない。
ベストに至っては、グレード1のハンディブラスターの直撃すら無効化する。
グレード1は、王国正規軍の一般装備だから、相当なものだけど、噂だと冒険者はもちろん、宙賊(宇宙海賊)ですら、それ以上(グレード0)の装備を持つヤツがいるそうだから、過信はできないけどね。
最後に、お気に入りの膝近くまであるブーツを履く。
このブーツはちょっと優れもので、脚力、瞬発力増加のアシスト機能に加え、重力子を発生させる事ができるため、無重力下でも重宝するけれど、外見からはただのブーツにしか見えない。
次に、洗面台に備え付けられた使い捨ての歯ブラシのパッケージを破り、歯ブラシをそのまま口に放り込む。
後は勝手に歯ブラシが口の中を動いて磨いてくれて、歯垢の類は歯ブラシが吸収し、サッパリとしてくれるんだけど、人によっては『虫を口に入れるみたいで気持ち悪い』と、昔ながらの柄付きの歯ブラシを使うそうだ。
そういう人って、どうせ虫なんか見た事もないくせに、文句だけは言うよね。
今時虫なんて、開発途上の惑星ですら、なかなか見られないというのに。
歯ブラシが仕事を終えて停止したので、洗面台に備え付けられた小さなダストボックスの蓋を開けて吐き出す。蓋を閉めると同時に歯ブラシは分解・除菌される仕組みだ。
こうして使い回しできないようにするのは、一流ホテルならではの配慮で、場末の安ホテルとかだとそうはいかないそうだ。まぁ、そういう所では使い捨ての歯ブラシなんか置いてないのだろう。
もちろん、この部屋は、僕がチェックアウトした後、僕の指紋はもちろん、DNAの一欠片も残さず完全清掃され、メディカルチェックのデータも完全廃棄される。前に泊まった人の痕跡が残っているのを嫌がる人は多いからね。その辺りは徹底している。
一通り準備ができたので、ホテル内の指定レストランに行く。
このホテルは領軍の経営で、内装は質実剛健、といえば聞こえが良いけど、要は質素。
レストランもまるで兵舎の食堂のようだ、と昨日ホレイショ兄様がぼやいていたっけ。
一方ジョージ兄様は、食事が気に入ったようで、猛烈な勢いで掻き込んでいたら母様達に怒られた。ジョージ兄様。王国軍では大丈夫なんだろうか?
食堂、もといレストランには皆が揃っていた。
父様とヴァイオレット母様にエリー母様。兄様二人に執事のローレンスにメイドのアンナ。
「おはようございます、皆様」
「おはよう、というか、珍しく朝寝坊したなウィル。興奮して昨晩はよく寝られなかったのかな?」
全員でテーブルに付いたあと、そう言って口の端を上げた、口ひげがダンディな美中年が、僕の父様。ロード・ヘンリー・H・オゥンドール・タルシュカット伯爵。
そう。僕の父様は貴族、それも大貴族だったりする。
王国の貴族制度は、王族の親族しかなれず、実質名誉爵である大公、続いて公爵、侯爵、辺境伯、伯爵(父様はココ)、子爵、男爵、準男爵、騎士爵の9つ。
法衣貴族以外で、伯爵以上の貴族は大貴族で、惑星以上の領地を持ち、サーではなく君主と呼ばれ、名前の最後に領地名が付く。
準男爵と騎士爵は一代限りの建前だけど、実際はその跡継ぎが叙爵され、事実上の世襲となっているね。
王都星から遠い辺境とはいえ、ここタルシュカット星系には一つの恒星、5つの惑星(うち2つの惑星はテラフォーム済みで、宇宙服なしでの居住が可能)と、数万の資源開発小惑星があるけど、その全てが父様の持ち物だ。
フェアリーゼ星間王国の貴族院議員でもあるけど、あまり王都星には行かず、この星系の開発と運営に専念しており、そのおかげでこの恒星系は潤っていて、民の生活は豊かで、治安も大変宜しいそうだ。
つまり父様は民から慕われる名君というヤツらしい。
長男ホレイショ兄様(26歳)は父様の政務補佐をしており、後継者として経験を積んでいるし、次男のジョージ兄様(22歳)は王都星の士官学校を卒業した後、現在王国宇宙艦隊の若き大尉だ。今日の僕の出発に合わせて休暇を取ってくれて、久々に会えたのは嬉しかった。
二人とも10歳の僕とは結構年が離れているけど、だからこそか、よく可愛がってくれる。自慢の兄様達だ。僕は第二夫人のエリー母様から生まれたから、二人とは半分しか血が繋がってないけど関係ないらしい。
まぁ、三男の僕が伯爵家の跡継ぎになる可能性はほぼない、というのもあるかもだけど。
貴族の子弟で、貴族の身分が維持されるのは、跡継ぎだけだ。一応その兄弟姉妹は、一代限りで『見做し貴族』とされ、貴族と同等の権利を持つけれど、跡継ぎが決定した時その権利を国に返上するのが、『貴族の倣い』とされる。
貴族は矜持こそが全てだからね。『見做し』なんて格好悪い真似ができるかって訳さ。
僕の将来?
領主となるホレイショ兄様を助ける官僚を目指すか、ジョージ兄様のように軍を目指すか。あるいは独立して商売でも始めるか。
案外冒険者というのもアリかもしれない。
「よし、みんな食べよう。飯を食わねば何も始まらん」
父様の号令で家族全員が食べ始める。
うちの家族は可能な限り、全員で食事をするしきたりだ。
ローレンスは父様の背後に立ち、アンナは配膳、給仕をする。メイドロボではなく、人間のメイドさんを使うのは、貴族くらいだと聞いた事がある。もっともメイドロボを使う貴族も珍しくはないし、そもそも人間型である必要すらないと、屋敷を全自動化してしまう場合すらあるそうだ。
うちの場合は、古風に複数の人間のメイドや執事を雇っているし、彼らも基本世襲だ。
ローレンスに至っては、400年も前、うちの先祖がこの恒星系に入植した時には、既にうちに仕えていた超古参の家系だというのだから凄い。
まぁそれはそれとして。
僕の前に置かれたのは、バターらしきものがたっぷり塗られた、厚切りのトーストらしきものと、ポテトサラダらしきもの、魚らしきもののパテ状の塊、ヨーグルトらしきもの、半熟玉子らしきもの、そしてフルーツジュースらしきものだ。
全部『らしきもの』と付くのは、これらはフードコアを加工し、料理を再現したものだからだ。
フードコアとは、化学的に合成された総合食材で、自動調理器にセットするだけで、あらゆる料理を作る事ができ、紛い物ではあるけど、メディカルチェックのデータから分析し、必要な栄養素は全て含まれている。
ぶっちゃけ、料理の形をしている必要すらないんだけど、それじゃあ味気ないからね。
小さなスプーンで半熟玉子らしきものを食べる。ちょっとだけ塩味がする、濃厚な黄身の味が口の中を駆け巡り、スッと消える。
とても凝っていると思うけど、そもそも僕は本物の玉子を食べた事がないから、どの程度の再現と言われても困る。
本物って、どんな味がするんだろう?まぁ、同じなんだろうけどさ。
生き物を殺して食べる――まぁ、玉子の場合は必ずしもそうとは言えないけど――に忌避感を持つ人も多いだろう。フードコアの中身が生物由来じゃないのには、そうした理由もあるかららしい。
そのせいで、多くの宗教では食のタブーが有名無実化したと、歴史の本には載っていた。
その一方で、フードコアを完全否定している宗教もある、というか、できたというのだから、人間社会って難しいよね。
フードコアを否定した人達は、完全栄養食サプリメントに頼っているわけだから、馬鹿な教義だ、と以前ジョージ兄様があざ笑っていたのを思い出す。
「しかし、ウィルのお陰で、我が一族からついに宇大生が出るのか」
食後のコーヒーらしきものを楽しみながら、父様が呟く。
「いえ、まだそうと決まった訳ではありません。これから3次試験を受けにいくわけですから」
慌てて訂正する。まったく気が早い。息子のハードルをわざわざ上げてどうする。
だいたい宇大こと、宇宙大学の入試は超難関だというのは、世間の常識だろう。
宇宙大学自体、独立性が強く――というか、それ自体が一つの独立国家であり、他国の干渉を一切受け付けない。
だから僕がフェアリーゼ星間王国の大貴族の息子だからといって、一切手心は加えられないんだ。
2次試験までは地元で受けられるが、最終の3次試験と面接は現地に行く必要がある。
そのための、今回の旅だ。
「でもウィル。2次試験が免除になったのは、1次試験の成績が良かったからじゃないか。これはもう、余程の事がない限り、合格したも同然だろう?」
巨大なフライドチキンらしきものを素手で掴み、がっつきながらジョージ兄様が笑う。
「いえ。2次試験が免除になった理由は僕にも分かりませんし、ひょっとしたら、今年度は2次試験そのものが、何らかのトラブルで中止になっただけかもしれませんよ?」
まぁ、そんなトラブルなんて、ほぼありえない話だけどね。だから2次試験が免除になった理由は、本当に分からない。
でも本当に受かったも同然なら、わざわざ3次試験や面接をやる必要はないし、そもそも入試とは落とすための試験なのだから、油断はできない。
1次試験が簡単過ぎたのも、何やら罠くさいし。
「簡単ねぇ……俺も後で問題を見させて貰ったが、ありゃ異常なレベルだ。
特に貨物過積載状態のロックタートル級輸送船のHD(ハイパードライブ。亜空間航法の一種で、擬似的に光速を越える事が可能)中の航路再設定問題なんか、とても学生相手とは思えん――というか、俺でも分からん」
ジョージ兄様……王国宇宙艦隊の、航海科の士官様が、それじゃ困るでしょうに。
もっとも、あの問題はあくまで机上の計算であって、実際の所はどうなるかは分かったものではないけれど。
だいたい、HD中に過積載が発覚するなんて、どういうトラブルだよっつーの。
僕がその船の船長だったら、貨物担当甲板員は総取っ替えだな。
生きて帰れればの話だけど。
HD解除したら恒星の中でした、なーんてオチになりかねないトラブルだからねぇ。
もっと可能性が高い危険として、HD中に航路を変更するという事は、船が今いるHD空間から、無限の位相の彼方にある、別のHD空間に跳躍する事を意味するから、船体が耐えられず、爆発四散するケースが挙げられる。
我が家の領軍では対処法が確立され、訓練も積んでいるが、所詮は民間の輸送船に過ぎないロックタートル級では荷が重い話だ。
一応回答欄には、ロックタートル級でもできる対処法を列記しておいたけれど、多分、現実に同様の事故が起きた場合、実行はできないだろう。
だから航路再設定なんかしても無駄なんだよね。実際は。
「ともあれ無事に帰ってきてくれたら、それだけで私としては言う事はない。
試験は水物というからね。合否などは気にせず、いっそ宇宙旅行を楽しむくらいで良いんじゃないかな?
そもそも単なる腕試しのつもりで1次試験を受けたくらいなのだからね」
ホレイショ兄様が苦笑する。
そういえば、確かに最初は単なる腕試しといった、軽い気持ちで受けたんだった。
僕専属の家庭教師に唆された結果、ともいう。
「まぁ、私はウィルなら、普通に実力さえ出せれば、合格すると信じているがね。まったく、兄としてもウィルの頭の構造がどうなっているのか、知りたいものだよ。
人工副脳どころか、医療用ナノマシンすら受け付けない、文字通りの生身の身体で、それだけ優秀なんだからね。
これで合格したら、間違いなく人間としては史上最年少の合格者になるのだろうし」
「本当、特異体質だというから、ウィルが小さい頃はよく心配したものだわね」
ヴァイオレット母様が微笑む。いつもご心配をおかけします。
もっとも僕は、怪我の治りも妙に早いし病気もした事がないから、医療用ナノマシンの世話になった事はない。予防用に入れた事はあるけれど、いつの間にか消滅しちゃったし。
薬学的な予防接種すら必要ないというか、各ウィルスに最初から耐性がある、文字通りの特異体質だったりする。
まぁ、僕の体質を究明するために、父様はこの恒星系の医療体制には特に力をいれていて、そのおかげで本恒星系の医療レベルは王都星に匹敵するにまで発達した。
領民はもちろん、近隣恒星系からも頼りにされていて、父様の評判を押し上げているから、良い事なのだろう。結局、僕の体質の謎は謎のままなのだけれどね。
実害はないから、特に気にした事はないけれど。
「まさか、大学はウィルをモルモットにするつもりなんじゃないでしょうね!」
エリー母様がハッとした様子で立ち上がる。
「それこそ『まさか』だ。確かに宇宙大学は教育機関というより研究機関としての側面が強いが、学生の権利は最大限に守られ、余計な詮索はしないという伝統がある。
そうでないと、優秀な学生が集まりにくくなってしまうからな。
だが、もしウィルに危害を加えようというなら、全面戦争だ」
そう断言する父様のテンションは至って普通。聞いていた家族も、眉一つ動かさず、ただ頷くのみだ。
うん。ガチでマジだね。実際に宇大に対して『戦争』できるかどうかはともかく、この家族、ありがたいけど、ちょっと怖い時がある。
これが貴族のデフォなのだろうか?
「さて、全員どうやら食べ終わったようだし、そろそろ宇宙港に行こうか。ウィルが『あの艦』をどう仕立て直したのか、早く見たい。
まったくドックの連中は、誰がこの星の主かを忘れているのではないか?」
父様のぼやきに、みんな苦笑するしかなかった。でも改装中の戦闘艦を視察するのは危険……というか、うん、ちょっと色々やりすぎた感はある。反省はしていないが。
「反省、しないのか」
父様が額に手を当てて呆れ声をあげた。あれ?また心の声が口に出てた?
「ウィルのその癖だけは何とかしないとな。試験の時は注意しろよ?」
「そうだね。ウィルが不合格になるとしたら、間違いなく、その癖が原因になるだろう。何なら、事情を話して個室で試験を受けさせて貰えば良いんじゃないかな?
確か、インパスやテレパス能力者には、便宜を図る制度があった筈だ。ウィルのも似たようなものだと主張すれば、何とかなるかもしれない」
ジョージ兄様が注意すると、ホレイショ兄様が対策を練ってくれた……って、その対策はさすがに恥ずかし過ぎるって。
「相手が身内じゃない限り、内心を吐露する事なんかありませんよ!僕の悪い癖は、心を許した相手限定です!」
両手を振って抗議すると、兄様達はニパァと笑って、頭をガシガシと撫でてきた。
「こういう、素直にムキになる所は、普通の子供なのになぁ。まぁ、可愛いから許す」
「そうだね。私達の弟は宇宙一可愛いのだから、宇大が目を付けるのも当然かもしれないね」
僕らの様子を見ていたエリー母様が、両手を頬に当てる。
「まっ、大学はウィルの可愛さに目を付けたのね!」
「違うから!みんなは家族補正がかかっているだけだから!」
父様と母様が超絶美形だから、僕だって平均以上の顔立ちはしていると思う。でもだからといって、宇宙一は言い過ぎもいい所だろう。
「超絶美形だなんて、そんな……」
エリー母様が悶えている。あれ?
「ウィル。やっぱその癖は早く直しておいた方が良いと思うぞ」
ジョージ兄様がため息をついた。