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花の香りのする酒とともに

 にぎやかな音。

 夜の静寂(しじま)


 大陸の大半を支配する祥国の中にある一都市、水の都として名高い衛陽(えいよう)。今座っている場所で感じるのは相反する二つだが、調和がとれている。

 虫が良く鳴く夏の夜半。蒸し暑さはたまらないが、夜空に浮かぶ満月はとても綺麗だった。


 この都はやはり住んでいて気持ちいいなと男は盃片手にそう追憶する。






 あのときとはなにもかも大違いだ。同じなのは空に浮かぶ満月だけ。それだけはいつでも変わらない。

 月を眺めながらそう感じてしまった。





 あれは十四年前の冬、標高が高いその場所でも珍しく大雪が降った日のことだった。


 今は亡きあの場所は今まさに、失われようとしていた。

 ほんの十年ほど前は平和だったはずの場所に、その面影はない。

 遠くから迫りくる敵の声が遠くから響いてくる。まもなくこの館も敵によって蹂躙される。だれしもがそう理解していた。


『この子を頼みますよ』


 髪を高く結い上げた女、敵国に人質になろうとしているときでさえも誇り高かった女はまだ生まれて間もない赤子を男の方に差し出した。いまだに耳に残っているその命令は一国の主の妻そのものだった。

 すでにこの女は腹を痛めた子どもを三人、この蹂躙によって亡くしているのに、哀しみを感じさせないぐらいに凛としている。


 迫りくる炎の風を頬に受けながら男は赤子を受け取った。


 いくら子育て経験のない武人だろうが、そんなこと関係ない。女主人の『赤子とともに生きろ』という命令には逆らえない。

 赤子をおぶった彼はそのまま国を出た。

 すでに彼の仲間のほとんどが命尽き果てており、命が残っていた者たちも彼と赤子の出奔に異を唱えるものはいなかった。

 別の国にとらわれていた主と、迫りくる国に捕まえられようとしていたその妻、そして(じぶん)の下で働き命を散らそうとしている者たち、彼ら全員の望みを果すためにも経験のないことに対して必死にならざるをえなかった。


 この国までの道なき道を十日十晩かけて歩き続け、満月になった夜にこの祥という国……――彼の故郷にたどり着いた。







 あのとき連れ出した赤子はたくましく成長した。今日は彼女(・・)の十四回目の誕生日。だからといって特別なことをしてやるわけでもない。普段と変わらない日常だった。


 街を走る水路のわきに並ぶ商店街の一角にある酒屋はその片隅に飲み屋を併設している。しかし、彼の父親が死んで以来、開かずの場所となっている。(とり)の刻に店じまいした男は一人、窓際に座り()と満月を(さかな)に酒盛りをする習慣がついている。


 それは今日も同じだったが、唯一違うこととしてその注いでいる酒は特別なものだった。


 毎年、彼女の誕生日には手に入れる、かつて彼が仕えていた国で作られる酒。希少なものでかなり値が張るが、香りや喉ごしが良い。昔はごく普通に飲めていたが、今では祝い酒としてしか飲めないもの。透きとおるその液体からは材料として使われてないのにもかかわらず、花の香りが良くしていた。

 一年前に飲んだものと変わらない酒の香りを嗅いだ彼は相変わらずいい匂いだなと持っている盃を空に向かって掲げ、今は亡きかつての主人とその妻に一年の感謝を捧げる。ここに来てから十四年間、彼が亡き主夫妻を忘れたことは一刻もない。感謝の祈りを捧げたあと、一口で盃の中身を飲み干した。


「ああ、うまい」


『お前は好きな女子(おなご)とかおらんのか?』


 山岳地方の人間ということだけあって、筋肉質だった主は事あるごとに彼にそう尋ねてきた。


『いませんよ。いたとしてもこんなワケあり(・・・・)の男なんて御免と言われるほかありませんよ』


 男の生真面目な返答にわかっていないなぁと呆れる隣で、主の妻も笑いながらそなたはとんだ阿呆よのう、とため息をついている。なんで主夫妻に結婚相手の世話をされなきゃなんねぇんだと彼は思ったが、そのときはまだ、三十手前で四十過ぎても結婚できないとは思ってなかった。


「でもまあ、いまさら結婚するつもりもないがな」


 そう彼の呟きはだれに聞かせるつもりもないものだ。

 彼にはすでに十四の()がいる。彼女は機転が利くし、見目もいい。彼女が継いでくれれば彼女目当てに客も途絶えんだろうとは思いつつも、べつに彼女がこの店を継いでくれなくてもそれはそれで構わないとも彼は考えている。本当ならば彼が継ぐ予定ではなく、彼の父親の代で潰すはずだった店なのだから、今更という思いもあったのだ。



 酒を飲みながらほんの少しだけ先のことを男が考えていると、人がやってくる気配を感じとった。彼がかつて戦場や寝所で敵に気付くために身につけた本能は、今では()にかかわることにしか使わない。


「まぁた眠れねぇのか」


 この数年、毎日の挨拶のような言葉を男は後ろの人物にかけた。すると彼の背後にいた人物はなんで見つかったのかという驚きを見せたが、これも毎日の就寝前の挨拶のようなもの。

 そうなのと少し震わせながら答える、少しあどけない声の持ち主はどうやらまだ眠くなさそうだった。彼女は男の返答を待たずに彼の隣に座る。



 一つ屋根の下に一組の男女、しかも夜半。

 たまたま窓辺に並んでいる姿を外から見られることもあり、そういう場合はたいがい夫婦、もしくはただならぬ関係なのではないのかと勘ぐってくる輩もいるが、そういう関係ではない。



幽花(ゆうか)も飲むか」


 (ゆうか)を見ながら尋ねる男から漂う色気は若々しいが、すでに齢は不惑を超えている。六尺五寸を超えるほどの大きな体躯をした男の蒼眼からは生気がみなぎっており、結ってある赤い髪にも艶もあるが、褐色の筋肉質の肌には今の生活からは考えられないほどの傷跡があった。

 男に尋ねられた彼女は小さく頷いた。

 彼女、幽花と呼ばれた()は五尺三寸程度であり、珠のような白い肌と対照的な黒い艶髪はふんわりと未婚の女性らしくまとめ上げてられている。どうやら髪を洗ったばかりのようで、艶がいつもよりもはっきりとしていた。

 彼女に同じ白い盃を渡した男は酒を少しだけ注いだ。初めて飲む酒にしては少し強いだろうという配慮によるものだった。

 その匂いを嗅いで驚いていた幽花にその酒の産地を男は明かす。


如寧(じょねい)国、いや今はグンドラ帝国のジョウゼフルだったな――そこの酒だ」


 その地名に、幽花は酒屋の看板娘として理解を示す。この酒の正式な名前は花香酒(かこうしゅ)といい、よく“如寧酒”とも呼ばれている。

 これはグンドラ帝国のジョウゼフルのみで作られる匂いも味も芳醇な酒であり、昔でさえも少量生産で、今ではほとんど作られていない。そのためグンドラ帝国からの輸入量もごくわずかしかなく、この国でも目に掛ける機会はほとんどない。ごく一部の特権階級しか手に入れられない酒であることから『皇帝の涙』とも呼ばれる超高級酒である。

 噂では聞いたこともあったが、おとぎ話だと思っていた幽花はどうやって手に入れたのか気になってしまった。



 娘の興味に気づいたが、あえて無視をした男はさて、今日も昔話をするかと笑いながら言って寝そべる。男の隣に彼女も寝転がり、話を聞く体勢になる。こうやって昔話を聞くのは幼いときからの習慣であり、ごく当たり前なことだった。

 彼がしてくれる話はたいてい物の起源や由来、国の興亡、果ては神々の話まで、他の人からはつまらないと言われるものだ。だが、幽花にとっては興味深いものらしく、昔語りを始めたのは四年前だけど、いつも話し終わったときには高いびきをしている、なんていうことはいまだにない。だから、彼も飽きずに毎日の習慣として語ることを続けていた。

 つい先日、彼女は大人の女性(・・・・・)になったうえ、今日は彼女の故郷では成人とされている日。それにもかかわらず、いつまで経っても無防備な彼女の姿に彼は苦笑しながらも話しはじめることにした。


「昔、如寧国と呼ばれる国があった。それは五百年ほど細々と続いた王国で、周りの国からしてみりゃそこは何の資源もない、ただのちっちぇ国だと思われていた。その国を取り囲むんは三つの国、レーウェン自治国とグンドラ帝国、そして(しょう)だ。三国とも如寧国を取るに足らねぇ土地、むしろお荷物になるだけの土地だと思っていたから、貢ぎもんを取ることもせず放置しておいた」


 本来ならば今日は成人になったと認められる日であるが、今はただの小さな酒屋の娘だ。だから盛大な祝いをすることはできない代わりに彼女に深くかかわる話をするべく、かつて彼が仕えていた国について話すことにしていたようだ。


「あるとき如寧国の東側に位置する祥のお貴族様が、かの国を訪れた際に立ち寄った村で遭難した。村人たちは気付け薬(・・・・)だと言って飲ませたのが、この酒、今でいう如寧酒だった。お前さんも驚いただろ? この酒の香りや味っていうもんはほかの酒とは違う。香りや味に感動したお貴族様は、時の皇帝陛下に献上すべくその『薬』を祥へと持ち帰った。案の定、皇帝陛下はいたく喜び、貴族のあいだでは皇帝陛下の喜ぶ顔見たさにそれを如寧国へ求めはじめた。もちろん、自分の足では稼がねぇ。命じられた商人たちによって次々と如寧国から酒が流出した。どうやら如寧国の王様は最初のうちは気づかんかったようで、気づいたときにゃあ遅かった。資源の少ない自国だけではうまく対処できず、祥と同等の資源――いや軍事力を持つ西のグンドラ帝国に支援を呼びかけ、かろうじて祥の商人たちを追い出した。しかし、今度その()に目を付けたのはグンドラ帝国だ」


 まぁ対価と言ってもいいだろう、祥を追っ払うのに帝国側に手伝ってもらってるんだからなと言う男を、幽花は真剣なまなざしで見つめている。


「グンドラ帝国は如寧国を我が物にしようと強行的に併合した。一方的な併合とはいうものの、かなり良い待遇だった。当時の如寧国の国王だった(さい)瑛羽(えいう)とその一族の命、それに名ばかりだが如寧国の太守という地位が保障されたからな。一方、祥は横取りしたグンドラ帝国に怒りを覚えるのは当然。如寧国民の保護を名目にグンドラ帝国に攻め入った。それに乗じて新興国である南のレーウェン自治国もグンドラ帝国と祥国の両方相手に漁夫の利を狙って立ち上がった。各国ともに甚大な被害が出たのだが、最もひどかったのは如寧国だった。国土の半分以上が焼かれ、国民の半分以上が兵士じゃないのにもかかわらず、そのほとんどが死亡ないしは行方不明になった」


 そこまで言って男は遠くの月を見た。

 これ以上、言っていいのだろうか。この段になってそんな迷いを生じてしまっていた。でも、まだ続きがあるんでしょ?という娘の視線に彼は覚悟を決めた。

 これは俺自身だけの昔話じゃない。幽花の生い立ちでもあるから、そう自分に言い聞かせて。

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