気付く
それから三日、清明は尽くせる手を尽くした。少ない家人のほぼ全てと、友人の成友にも頭を下げて(そんな大げさに頼まれるとかえって恥ずかしい、と笑っていたが)彼の使える伝手も使いきった。
「見つけたぞ」
雛丸と最後に顔を合わせてから実に九日、成友の乳兄弟が大学寮に勤める友人を訪ねた帰りに見つけた――というより、拾った、らしい。身なりは左大臣邸を出た時のまま、一見して少年のその姿はさほど荒れたようでもなく、意識が混濁していた風でもない、ただぼんやりと道の端で座り込んでいた様子に違和感を覚え、見れば特徴を聞いていた雛丸であったと。
「君の乳兄弟には十分な礼をすると伝えておいてくれ」
女房達に雛丸の身を清めさせている間、落ち着かない様子の清明を見張る役目を買って出た成友は、そんな友人の言葉に「なあに」と軽く答える。
「気にするな、たまたま通りすがっただけのこと。運が良かったんだ」
「それでも今の私には……御仏の遣いにも等しい」
腹の底から絞り出すような弱気な言葉に、成友は大きな口で笑う。
「お前、本当にその白拍子が好きなんだなあ」
好き。その言葉に清明はぼんやりと顔を上げて友人を見つめる。この男は何を言っているのだろう。
「おい何だその顔は。まさかおい、ここまで動いておいて自覚してなかったとかねえだろうな」
「いや、……そうだな。好き……陳腐で分かりやすい言葉にするとそうなのだろう……が、彼女はきっと私を憐れんでいるだけだ。そして私は久しぶりに触れた女人の肌に夢中になってしまっただけかもしれない」
「でもその相手は、彼女でなけりゃあだめなんだろう?」
なおも食い下がる成友に少し清明の顔が可笑しそうに歪む。しつこいな、と口の中で呟く。
「恋人の居たこともない君がわかったように言うものだな」
「うるさい、妻くらい居たわ。すぐ離縁したけどよ」
「ふっ」
互いに女っ気はない。そのはずだったのに。
「……そうだな。雛菊でなければいけない。彼女は嫌がりながらも私の相手をしてくれた。文に返事をくれたことはないが、その代わりに自分で私の元に来てくれる。いくらでも左大臣を盾に断ることもできたろうに」
思い出せるのはつんと涼やかな目元でどこか遠くを見つめる雛丸の姿ばかりで、そういえば笑いかけてもらえたことは一度もないなとぼんやり思う。いつか笑顔を見ることが出来るのだろうか。きっと美しく笑うのだろう。そこまで考えて口の端が歪む。ああ、本当に。見ないように、向き合わないようにしていたのに。
(私は雛菊を愛しているんだ)
男女の機微に疎い成友ですらそう指摘するのだ、周りの者は皆きっと清明が自覚するより、見ぬ振りを決めるよりも前に気付いていたに違いない。
「私はこんな姿になってから恋人も妻も諦めていたのに、今更こんな感情が生まれてもね。辛いばかりなのに、君はどうしてわざわざ掘り起こす」
「そりゃああんたは俺の友人で、普通は友人に幸せになって欲しいもんだろ」
成友は遠慮もなくどっかりと清明の隣に座り直す。
「あんたも今言ったろ、いくらでもあんたから逃げる術はあっただろう、白拍子なら逃げる先なんてきっといくらでも確保できる。聞いてる限りはその女人、頭もいいんだろう、そんな相手があんたにひと月以上付き合ってくれてたってことは脈がないわけでもなかろうさ」
成友は大きな身体を清明に預けてまるで酔っ払いが管を巻くように絡んでくる。あくまでも善意の慰めなのだろう、期待をすればするほど辛いのに、この悪意のない友人は清明の心臓の底を笑顔のままで抉ってくれる。
「さあ、どうだろうな。どちらにせよ私と彼女では立場が違う」
「そんなもん、今更。どうせ帝から見放されたお情けの刑部卿がその姿形を理由に後ろ盾のないどこの者とわからぬ女人を妻にしたところで誰も何も言わんだろ。まさか今から本格的に親王宣下を求めるわけでもなかろう」
あっさりと期待を上乗せしてくる成友に、清明は困ったように笑いながら答える。
「そうだな、そんなつもりはないが……彼女にどんなつもりがあるのかは、本人に聞かねばわからぬよ」
雛丸の身支度が整ったことを知らせに来た女房の松枝が、彼の視界にそっと入ってきた。