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徒花に成る実〈こい〉  作者: 里見ヤスタカ
徒花に成る実
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そして、夜

 今夜は刑部卿の屋敷に泊まるといい。確か左府義康はそう言っていた。が、同時にこれは別に仕事ではないよとも付け加えていた。彼の腹を探っても何も面白くはないからな、と本当に面白くなさそうに言うものだから、そんなものかと雛丸はすっかりと油断していた。それだというのに。


「これは一体どういった状況なのでしょうか」


 塗篭の隅で身を固くする雛丸に対し、刑部卿である高良清明はすっかり寛いだ格好で寝転がっている。


「君ほど教養のある女性がこの状況を理解できないとも思えないけれど?」


 なんということだ。雛丸は自分を守るように両腕で己の身を抱いた。初めて会ったその夜に、この男に抱かれるのは勇気がいるだろうと思った、その二度目の夜にこんなことになるなんて!


「菊花の君……お気は確かでおいでですか? わたくしの仕事を知った上で……こんな可愛げのない女を抱きたいと? 結構なご趣味でいらっしゃいますね」


 噛み付くように嘲ると、清明はやはり口元を歪ませて心底可笑しそうに喉の奥で笑うのだ。


「だからだよ、雛菊」


 その声は低く、雛丸の腹の底をぞわりと撫でる。


「ご覧のように私は醜い。おかげで未だに妻のひとりも娶ることが出来ずにいる。……まあそのつもりもそもそもないがね。しかし恋人のひとりもいないというのはさすがに沽券に関わるし……男としては色々と不便でね」


 保つ面目などあるのかと言いたげな雛丸の瞳を受けながら、のんびりと身体を起こして彼女の方へ歩み寄る。可哀想な雛鳥は、壁を背にしてこれ以上逃げられない。

 とん、と雛丸の頭上の壁に左手をつく。見下ろした少女は酷く狼狽している。まさかこんな反応をされるとは、自分の見目はそれほどに酷いのかと自嘲めいた笑いがこぼれる。


「経験の豊富な君ならばと、少しだけ期待したのだがね、望まぬ夜を過ごしたことも少なくないだろう君にすら拒絶されるとは。なかなか辛いものがあるね」


 その言葉にかっと頬を怒りで赤くした雛丸が視線を上げて睨みつけてくる。酷い侮蔑を充分に込めたのだからこれくらいの反応は返してもらわなければ。清明は眉を小さく上げて雛丸の愛らしい口から罵りの言葉が紡がれるのを待つ。

 しかしついぞその期待は叶わず、代わりに彼の耳に入ってきたのは、押し殺した嗚咽だった。


「……雛菊?」


 さすがにこの事態は想定していなかった。清明は慌てて雛丸の目尻に浮かぶ涙を指でついと拭う。


「すまない雛丸、今の言葉はお前の矜持を随分傷付けた。そんなつもりがなかったとは言えないが……泣かせたいわけではなかったのだ」


 そう言い訳がましく言葉を並べながらもう一方の手でそっと雛丸の背を抱き寄せる。一瞬少女の全身が乙女のように強ばるのを感じたが、のろのろと体重を清明の方へ預けてくれた。その重さに少しほっと息を吐き、改めて両手で雛丸を抱き締める。雛丸は震えるでもなく拒絶するでもなく、ただ清明の腕の中でじっと動かずに何かを考えているようだった。


 しばらくそのまま雛丸の背を根気よく撫でている間に夜が開けてしまうのではないかとさえ思えたが、まだ空が白む前に腕の中の少女はようやく身じろいだ。


「……申し訳ありません、刑部卿」


 消え入りそうな謝罪の声に清明は半歩分身を離して俯いたままの雛丸を見下ろした。


「とても、その、……失礼な態度でした。ええ、本当に……わたくしのような立場のものが高良卿の……その……」

「醜い顔に嫌悪したか」


 清明の自嘲するでもない穏やかな物言いに、雛丸は一瞬視線を上げ、しかしすぐに小さく頷きそのまま下を向く。


「泣くほどにかい」


 その言葉にはふるりと豊かな黒髪が横に揺れる。否定。


「それは……高良卿も仰られました、矜持を傷付けられましたから……けれどわたくしのような者に傷付く矜持などある筈がございません。ですから……」


 大丈夫です、と震える声で清明をそっと押しやると、自らの帯紐を解きはじめる。男の納得いかないような不審気な視線を受けながら、手馴れた早さでじきに単一枚の姿になると、今度は清明の襟元から細く頼りなげな指先を滑り込ませて単を肌蹴させた。


「早く済ませてしまいましょう」


 その情念など欠片も必要ないとばかりに素っ気ない言い方に、風情がないなと清明は少しばかり乱暴に雛丸を抱え上げて畳に放り込む。


「随分とご無沙汰だからな、朝まで付き合ってもらうよ」


 風情がないのはお互い様だ。雑に扱われて睨みつけてくる雛丸に噛み付くような口付けをして単を脱がせながら押し倒す。


 案外と朝はまだ遠いようだった。


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