男子会
高良清明は一枚の紙を前に難しい顔で唸っていた。
「どうした、古傷でも痛むか」
「……成友。お前はまたそんなところから」
階を登らず、張り出した簀子から高欄を軽々飛び越えて入り込む友人の姿を認めると、清明は女房を呼びつけて適当な菓子を準備させる。
「俺はお使いの文使いかよ」
「そう言いながら食べるのだろう」
「当たり前だ、勿体無い」
これで子を持つ近衛府の少将だというのだから世も末だ。ようやく左京亮の地位から昇格したというのに仕事に行きたがらないのは相変わらずのようで、北の方が可哀想だ、と清明は心の中で同情する。
「で、なあに難しい顔してんだ」
出された唐菓子をバリバリと音を立てて噛み砕きながら簀子から大きな声で問う成友に、清明はああ、と中途半端な返事を返す。
「甥からの手紙でね」
その言葉に、成友の口から菓子の欠片が吹き出される。
「汚い」
「いやお前、甥って、帝からじゃねーかよ」
珍しい、と呼ばれもしないのに四つん這いで近寄る成友はまるで熊か犬のようだった。
「帝があんたに何の用で手紙なんか」
覗き込んだ陸奥紙にはそっけない文面がちらと書かれているだけだったが、その内容には成友もあー、と中途半端な唸りをあげることしかできなかった。
「何人目だっけ」
「五人目だな。皆家柄もよく見目も麗しい、教養も問題ないと聞いている。珍しく一様に欠点のない才女だらけの素晴らしい後宮だ」
「そりゃあ、まあ……怖ろしいわな」
男たちは顔を合わせて息を吐く。男として複数の女性と共にあることに全く憧れないわけでもなし、立場的にできないわけでもない彼らだが。
「愛する姫君が一人いれば十分、と言えない彼は少し可哀想だと思うよ」
「少しどころか、すげー同情するわ」
バリン、と成友が唐菓子を砕く音と共に甘い匂いが清明の鼻をくすぐる。桂心だ。このニッキの香りが雛丸の好物な事を思い出し、知らず清明の口元が緩む。
「まあ、それでも好いた女が中にいるといないでは大違いなのだろうけれど」
「んあ、今上帝は偏った寵愛のない方と聞くが、そうじゃないのか」
まだ男児のいない後宮において、一身に寵愛を受ける后がいるならばもっと泥々とした噂も流れてこようが、政から離れているとはいえ主権に近い藤原の血筋にある成友にすら聞こえてこないその話に、自然興味が湧く。
「彼、根は真面目だから。無為な争いを避けるために努めているのだろう」
根が真面目な人間がお前をそんな姿にするまで追い詰めるかよ。喉まで出かかった言葉を菓子と共に飲み下し、成友は清明の言葉の先を待つ。
「とはいえやはり最初に入内した藤壺の方を慕う姿は見るものが見ればわかること。彼自身も私が妻を取ってからようやく泣き言を吐き出したよ」
きっと中宮自身にも気付かせていないのだろうその恋心を、やはりそっけない陸奥紙に書きしたためてよこしたのは半年ほど前。簡素な謝罪と祝いの言葉。そして今の叔父上にならばわかるだろうかと誰にも言えない秘密の恋心が並ぶ少し癖のある文字に、清明は甥の寂しさを思って切なくなった。
「藤壺中宮に男子がお産まれになればいいのだけれど、懐妊の兆しが一度とないままだから……難しいのかもしれないね」
そろそろ男児をとの声も大きくなってきた。梨壺の女御が最初に産んだ女東宮こそいるが、男御子を望む声が多いのは当然のことだ。
「かわいそうな子だよ」
清明はそっと手紙を丁寧に折りたたみ、文箱へしまう。螺鈿細工の蝶がきらりと濡れたような光を反射した。
次でおしまいです。