女子会
「太郎君は本当にお可愛らしくいらっしゃいますね」
文室邸の東の対。雛菊の前に座った女性は白く細い、大切に育てられたのだろう事が一目でわかる華奢な指で、抱いている赤子の頬をつんとつつく。
「冬子様に似て肌も白くて」
「ふふ、有難う存じますわ。ですが眉や目元は成友様に似ておりますの、それが本当に愛おしくて」
言葉の通り冬子は愛おしげに指の背で赤子の額をゆるりと撫でる。子供だけではない、その向こうに愛する夫の顔を思い出しているのだろうことが容易に想像がつく表情だ。
「本当に冬子さまは藤原少将がお好きなのね」
誰が見てもわかるほどにその気持ちを隠さずにいられる素直な冬子に、雛菊は心底感心していた。貴族の婚姻なんて家同士の為の政略的なものばかりだと思っていたから、自分の夫が変わり者なのは仕方ないにせよその友人まで常識外れであったとは。
しかし冬子はちょいちょいとたおやかな指先で雛菊を側に呼び、内緒話をするようにその耳元へ小さく囁いた。
「本当は私、十八の年まで結婚をしなかったら尼になるつもりでおりましたのよ」
「えっ」
雛菊は驚いて冬子を見る。
「それは……父親に言われて?」
「いいえ、まさか! 私がそう望みましたの。むしろもっと早くに出家したくてたまりませんでしたのよ」
早まらなくて良かったと相変わらず赤子をあやしながらそんなことをまるでなんでもないことのようにさらりと微笑みながら言う冬子を、雛菊はぼんやりと見つめることしかできずにいた。
「……雛菊様も、私の頭がおかしいとお思いになられました?」
「あっ、いえ……いえ……少しだけ」
「うふふ、正直な方ですわね」
構いませんのよ、と言いながら、少しぐずりだした子供を背後に控えていた乳母に引き渡す。雛菊よりも少し歳が上なのだろうその乳母は赤子を抱き、よたよたと付いて歩く自分の子供を連れて廂の方へ出ていく。きっと乳をやるのだろう。背を見送ったままの視線で冬子は相変わらずふうわりとした声で続ける。
「私、母を幼いころに亡くしておりますの」
その言葉に雛菊はぴくり、と無意識に袖の端を握りしめる。
「元々身体のか弱い方だったと聞いております。私を産んだ時に抱えた病でそのまま……袴着だけは出来る限り早めたお陰でお見せすることができたようですが、ふふ、代わりに私が何も覚えておりませんわ。雛菊様は袴着の儀のこと、覚えておいでですの?」
貴族の祝い事を当然のように目の前の相手も通ってきたと疑いもしない、良家の姫君。雛菊が刑部卿の妻であるのだからそう思われるのも仕方がないだろうが、少し前まで白拍子をしていたと話したこともあるのに、とんと理解をしていない様子にさてどうしたものか、と思案する。
「ええ、まあ……一応は。少しだけ。たくさんの大人たちの視線が恐ろしかったことばかりですけれど」
そうして無難な答えを返す。ちら、と見れば冬子はそれで満足したらしい、そうでしょうとも、と微笑んで頷いている。
「ともあれその為に、母の供養の為に幾度となく父や宮の母様にお寺様へ連れて行って頂いて、その内に長谷詣が趣味になって……皆様お優しくて、母のために随分と読経も頂き、私にも寂しくないようにと良くして頂きましたわ」
そりゃあ中務卿の姫君だ、先々帝の弟宮の姫君を、いくら俗世と別離したところで丁寧にもてなさねばどんな目に合うかもわからない。そんなことすら知らないまま。
「なんと素敵なところかと思いましたの。御坊様の説法も厳しくも暖かく、浄土のいかに素晴らしいかも胸を打ちましたわ。そんなところへ、私、行きたくて行きたくて、仕方がございませんでしたのよ」
箱入り娘とはまさにこの事だ。呑気な冬子は、雛菊の引きつる笑みに気付いてもいないようだ。雛菊からしてみればこんな甘ったるい思考でよくもまあ今まで生きてきたものだ、と思わずにはいられないが、貴族の姫なんて皆そんなものなのかもしれない、とも一方で思う。
(わたしだって、もしかしたら)
同じように、あったかもしれないと考える。貴族の父と母がいて。何の困ることもない屋敷で蝶よ花よと育てられていたならば。
「冬子様は、本当にお幸せでいらっしゃる」
ぽつり、呟いた言葉の意図を勝手によいように受け止めるのも姫君の特権だ。
「ええ、お約束の時が来るよりも先に成友様に出会うことができて、想像していたようなことよりずっとずっと、今が幸せですわ!」