婚約解消は私から
「あー、アリッサ姫の相手をするのも肩が凝るよ」
長い戦争が終わり、和平が結ばれたことを記念し、久しぶりに行われたジータ王国王宮でのパーティー。
ファーストダンスを踊った後、私、この国の王女アリッサはそのダンスの相手、婚約者であるダドリー侯爵令息グルド様に断りを入れ、王族専用の扉から控え室に戻り、次に備え着替え直し、身支度を整えた。
再度広間に戻る途中の紳士方の休憩室、カードルームで、グルド様の声がした。ご友人たちの上品な笑い声も私の耳に届く。
「まあアリッサ王女はワガママ言わない分いいじゃないか」
「そうそう、御し易い」
「リリーのようにかわいい女のワガママならいくらでも聞いていたいところだよ。でもアリッサ姫は可愛げがないんだよ。普通王女ってもっと小さくて愛らしいものじゃないの?婚約者として一応食事に誘えば公務だとか不在だとか言って侍従に断られるしさ。さっきのダンスも見ただろ?四角四面でつまらない」
彼の言葉に特に驚きもしない。直接聞くのは初めてだけれど、態度の端々に私をバカにしている様子が見てとれたもの。ただ私の通る可能性のある場所でこのような話のできる迂闊さにはビックリしたけれど。18歳の私よりも四歳も年上なのに。
「今日この後、武功を上げた軍人の表彰もあるのだろう?確か若い奴もいたはずだ。彼らに褒賞として王女、下げ渡せばいいのにな。王女様と結婚して男爵位拝領とか、平民兵士なら泣いて喜ぶだろう?」
「全くだ。そいつらに代わってほしいよ。そしたらあの可愛らしいリリーを娶るのに」
「でもアリッサ姫と結婚しなければ侯爵家の商売に〈王室御用達〉の看板使えないぞ?」
「まあ上手くやるさ。ちょっと煽てりゃ姫とは円満に過ごせる。その実、愛し合うのはリリー!ははは!」
「おい、リリーは俺のことを愛してると……」
「馬鹿、本命は私だってさ!私の贈った花の似合う事と言ったら……」
「いや、リリーは私の首飾りを……」
私は王位継承権を持つものの、上に兄王子が二人いて、長兄である王太子には既に二人の王子が生まれている。私が権利を使うことはない。
普通王女は他国の同等の王族に嫁ぐのが慣例であり平和を保つ責務であるが、私が生まれた年を含めた数年は何故かぽっかりどこの王族も子どもがいなかった。故に政略相手がいなかったのだ。
ならばと国内で有力な貴族であるダドリー侯爵家のグルド様との婚約に至ったわけだが、彼はなかなかのハンサムで、財もあり、彼からすれば、役立たずの王女など気を使うだけで面倒以外のなんでもない。
私が美麗な父や兄に似て絶世の美女であればよかったのだが、母に似て女にしては大柄で顔も平凡。かろうじて銀髪直毛の髪だけが王族である事を示している。まあその平凡顔を親兄弟は可愛い可愛いと言ってくれるのだが……年の離れた末娘の特権だろう。
その王族皆から愛されている私を、つまらないと人前で言ってしまったグルド様。ご愁傷様です。
まあしかし、わかっていたこととはいえ……傷ついた。グルド様もその友人たちも、表では穏やかに私と談笑しておきながら、裏ではこのように陰口を叩いていたのだ。中には学生時代の友人もいた。良好な友人関係を築いていたと思っていたのに。まあ、あの頃から戦争が激化してあまり学校に行くことはできなかったけれど。
ついぼんやりしてしまった。気がつくと私の優秀な二人の従者のうちの一人、優しいレネが消えていた。おそらく父王に報告に行ったのだ。仕事が早い。やれやれ。
「愚か者め」
もう一人の従者、レネの双子の弟で真っ直ぐな気性のライリーが吐き捨てるように言った。二人は伯爵家の長女と三男。揃って金髪に焦げ茶の温もりのある瞳。上に我が王家同様、男が二人もいるので、幼い頃、私の側仕えに来てくれた。一つ年上の二人とひっつきあって育った。今も大抵の場所には付いてきてくれる。
ライリーを侯爵家相手に不遜だと窘めるべきだったが、もはやその元気もない。ふぅと息を吐いた。
「ねえ、リリーという娘、最近マルカ男爵が養女にした令嬢かしら?そんなに愛らしいの?」
「お忙しい姫とずっと行動を共にしている私が知るわけないじゃないですか。でも王女の婚約者に絡むとか……馬鹿かクズでしょ?」
「ライリーったら口が悪いわね。はあ……きっと可憐な娘なのでしょうね。仕方ないわよ。殿方は誰でも守ってあげたくなる花を所望するもの。誰だって夢を持つ権利はある」
「高位に立つものはその見返りとして責務を持ちます。おおっぴらに夢を語って良いのはせいぜい初等教育学校まで。子供染みた自分本位の夢を叶えたくば立場を返上すればいい」
「あら、私だって夢、この年でも語れるわよ?」
「へえ、聞いたことないね。姫の夢とは?」
「そうね、戦争も終わったことだし、ノンビリひっそり花でも育てて過ごしたいわ。……柄じゃないけどね」
そう言って手のひらを眺める。傷だらけの、何度も爪の剥げた歪な手。ポケットから白い手袋を取り出してはめる。
「……姫に似合う花もたくさんあるよ」
ライリーが苦しげに、昔の口調でそう言った。幼馴染とはいくつになっても甘い。
◇◇◇
「それでは、この度の戦争の功労者を国王自ら表彰いたします。まず勲一等プラチナ章、ギザ戦にて二万の兵を国境まで追い戻したカーター将軍、そして、チルットの丘で三千の敵と対峙しつつ最上級エリア回復を発動、死者を出さずに三日間で勝利を手にしたジータ大佐。皆、拍手でお迎えください!」
司会の合図に歓声が沸き起こる。大広間の正面扉が開く。
将軍専用の真紅の軍服を着た、大柄な、黒髪に白髪の混じる国一番の武人カーター将軍、そして、紺の軍服に連隊長の腕章をした腰に届く銀髪の軍人……である私が、黒の長靴でカツカツと音を響かせ入場する。
「お、アリッサ、どうした浮かない顔して。せっかくのベッピンが台無しだぞ?」
カーター将軍がニヤリと笑って私の頰を突っついてきた。国王夫妻を前にして自由だなあ。
「もう、将軍ってば……」
私は将軍の脇腹をつねる。将軍はやはり将軍だった王妃の一番弟子。そして私に武術と軍の規範を叩き込んだ私の師。
「……銀髪?」
「は?アリッサ?」
場内がざわつく。
「ジータ大佐?……アリッサ・ジータ……王女!!!」
誰かが大声で叫んだ。
「……はあ、姫もひと昔前の王妃殿下同様、顔も名も隠さず国のため働いてきたというのに、姫が軍務についている事を知らん奴がまだいるのか?ここにいるのは高位貴族だろ?情けねえ。軍人は一人残らず姫様に回復で救われ拝んでいるってのに。さっきのドレス姿もこの軍服姿も最高にキレイなのになあ!」
カーター将軍の声は戦場慣れしていて良く通る。私ははぁとため息を付き、
「お世辞はけっこうですよ。可愛くないのは百も承知。先程身に染みたばかりです」
先程まで結い上げていた銀髪を右手でかき上げながら、伏し目がちにそう言うと、私のその声も思いのほか通った。バリンっと何かが割れる音がしてそちらを見ると、王太子である長兄が鬼の形相で手にあったワイングラスを握り潰していた。これはちょっと……イカンな。
将軍と私、ざわめきの中、玉座、父王の元にたどり着き跪く。
「二人とも、長きに渡る戦、ご苦労であった。英雄に最大級の感謝を」
王はそう言うと、将軍と私を立ち上がらせて胸に勲章をつけた。父の美しい顔をチラリと見ると、微笑んでいるのに……目は笑っていない。これもイカン。その冷ややかな笑顔を見て私はブルっと震えたが、とりあえず、一礼し一歩後ろに下がった。
「さて、将軍、そしていつも最前線に立ち国民を守ってくれている、愛しの娘よ。褒美は何が良いか?なんなりと申せ」
「陛下!ラルクウイスキーの25年もの、樽で!」
カーター将軍のおねだりに、ドッと場が沸く。王が頷く。
「ジータ大佐、お前は?」
「恐れながら……ダドリー侯爵令息グルド様との婚約をなかったことに。南の脅威がなくなった今、少々早いですが第一線からも社交からも離れ隠居したく思います」
グルド様の先程の言葉を聞いてしまった以上、もはや尊敬することなどできない。
愛はなくとも、尊重しあい、支え合えれば……と思っていたけれど。
立場的に彼からは断れなかった。彼にとってもこの申し出、願ったりだろう。
広間が大騒ぎとなった!
「は?お待ちください!我らが英雄、アリッサ王女様!何故!」
グルド様の父であるダドリー侯爵が慌てふためき息子を探す。すると当の息子はピンク色の髪をしたいかにも庇護欲を誘う、可愛らしい女性の腰に手を回し、眉間にシワを寄せていた。
彼女がリリー嬢かしら?どうぞお幸せにと、二人に向けて微笑んでみた。上手く笑えていたらいいけれど。
王が低い声で宣言した。
「了解した。アリッサ、くだらぬ男をつけて悪かった」
ここに婚約解消が成った。これでいい。
「王よ待たれよ!グルド!こちらへ来い!」
父親に呼ばれ、早足で側に来たグルド様は、事態がまるっきり飲み込めていないようだ。
「グルドはね、アリッサの相手は肩が凝るそうだ。そして可愛げがなくつまらぬと。長らく戦地に入っていたためディナーの誘いを断ったことも気に障ったと。グルド、許せ、王族は可愛げよりも民を守ることを優先するのだ」
次兄である第二王子が一歩前に出て、繊細な美しい顔を歪ませ憎々しげにグルド様にそう言い放つ。
お兄様はグルド様と同級生でグルド様を買っていた。先程のグルド様の取り巻きの皆様のほとんどがお兄様のご学友だった。お兄様は拳を震わせグルド様を睨みつけている。……ますますイカンかも。
「この宮殿の中で、我が妹を悪し様に言うなど……お前らは馬鹿なのか?持病がある私の代わりに、戦地に赴き知力体力の限りをもって奮闘してくれたアリッサを……アリッサよりも貢献したものがおれば前に出よ!」
本来王家は長子が王として政務をまとめ、次子が軍務をまとめる。次兄は幼い頃から寝込みがちで、私が次兄の職務を担ってきた。
そのかわり、次兄が私がやるべき、家族内の気配り、貴族との付き合い、父と母と王太子のサポートを一手に引き受けてきたのだ。
ダドリー侯爵がゆっくりと息子に向き直る。
「お、お前は、アリッサ王女にそのような無礼な事を言ったのか!何故!何故だ!アリッサ王女という王族が本当に先頭に立ってくださることでこの戦、士気が保たれ勝てたのだぞ!グルド!」
「で、ですが、私は王女が兵士として戦場に立っていたなど夢にも……」
「お前は何をこれまで見てきたのだ!出陣式では王女殿下自ら剣を高く掲げ、王と王妃に宣誓したではないか!半年前右腕を折り、痛々しい姿で一時帰還されたのを忘れたか⁉︎治療が済むとすぐさま前線に戻られ……夢を見てるのはお前だ!」
「あれは……ダンスが苦手ゆえにかすり傷を大げさに……」
まさかグルド様が私が兵士として戦地に赴いていたことすら知らなかったとは驚いた。骨折をダンスを断る言い訳と思われてたってこと?勘弁してほしい。
まあでもそれは大した問題ではない。兵士であろうとなかろうと私がリリー嬢のように可愛らしい女性でないこと、グルド様の好みではないことに違いはないのだから。
突如、リリー嬢が声を上げた。
「みんな、みんな争うのはやめてぇ!私が、私が悪いの!だって、グルド様が寂しそうだったから!支えて差し上げたくて!恋愛に身分は関係ないでしょう?みんな仲良くしてえええ!」
その場にいた全員の口がポカンと開いた。
「あれ?」
◇◇◇
チン……
金属が擦れる小さな音が鳴った。
ああ……タイムアップだ。大広間の温度が一気に下がった。
かつて、この国の戦女神と恐れられ尊ばれ、現在軍事大臣を兼ねる……王妃が瞬時に剣を抜き、ひな壇よりトンっと銀のドレス姿のまま跳躍したと思えば、グルド様の首にその剣を当てていた。
「ひゃっ!」
王妃は王の愛する平凡な顔でゆるりと微笑んだ。
「ふふっ、今すぐ……消えて?」
◇◇◇
ちょっぴり殺伐とした王宮から離れ、馬で二日はかかる高原の離宮にて、私は傷を癒しながらゆっくりと休息を取らせて頂いている。
この離宮の周囲の土地含め、将来的に女公爵となる私のものになるのだが、それを公にすると、その地位や財産目当ての愚か者が押し寄せると過保護な家族が言う。だから今のところ秘密である。
「姫、ネモフィラの絨毯だ」
「姫、ヤマボウシの花が咲きましたわ」
「ライリーが植えてくれたの?ありがとう。レネ、花瓶に生けるために枝を切らないでいいわ。ここから眺めるだけで十分。ああ……ピンクとブルーが優しい……癒されるわ……」
私は友である従者二人と素朴な花々を眺めながら何年かぶりに緩々と過ごす。
穏やかな日差しの降り注ぐ四阿で、レネが香り高いお茶を淹れてくれる。さやさやと木の葉の音が心地よい。静かだ。風を感じようと目を閉じる……。
この時、離宮の外には『国を守ったあなたを敬愛している!』『あなたの強さに惚れた!』『強いあなたに踏み潰されたい!』『あんなバカ貴族と結婚させてなるものか!』という脳筋連中が国内外から数百人、列をなして私に求婚に来ていたが、ライリーに返り討ちにされていることを私は知らない。
やがて、『頑張り屋で我慢ばっかりしてるアリッサが大好きだ!』とひまわりをたくさん抱えたライリーに告白され、顔を真っ赤にすることになることも私は知らない。
ライリーが私との結婚をかけて無敵の王妃とデスマッチを繰り広げることも、血まみれになりながらも私を抱き上げ雄叫びをあげ、家族中に祝福されることも、まだ全然知らない。もう少し先の話。
レネとライリーは暴れん坊な将軍の御庭番をイメージ……成敗!