三人目 フェンリルさん2
「おはようございます。コハル、何をしているんですか?」
「おはようございます。すみません。うるさかったですか? 久しぶりの休みなので一気に洗濯したくて」
早めに起きて溜まった洗濯をしていると、アクアさんが声をかけてきた。
服は3日ごとぐらいには洗濯機を回しているが、他のものは中々手が回らない。なので休みの日は早めに起きてシーツや枕カバーなどを洗濯するようにしていた。
「そうなのですね。別にうるさかったわけではなく、いつもの起床時間になったので起きただけですよ」
1回目の洗濯を終えて2回目を回し始めたので、確かにそれぐらいの時間だ。私は孤児院育ちなので誰かと一緒という生活には慣れているが、アクアさんは分からない。生活音がうるさく感じたら申し訳ないなと思っていたが、今の所アクアさんから何か言われたことはなかった。なのでたぶん上手く付き合えていると思う。
「これはいつもの干場に運べばいいですか?」
「あっ。大丈夫です。自分で運びます」
「私のタオルも洗って下さっているのだから、手伝うのは当然です」
洗った洗濯物のかごをアクアさんは持ち上げると先に行ってしまったので、私は慌てて追いかけた。
アクアさん自身の衣類は水の魔法で常に清潔に保つことが出来るそうだ。同じように風呂なども使う必要がない。
私にも同様の魔法をかけましょうかと最初に申し出て下さったが、流石にお断りした。護衛以外で頼るのが申し訳ないというのもあるが、期間限定の同居人であるアクアさんに慣れ過ぎると、いなくなった後の反動が大きそうで怖い。アクアさんなしでは生きられない体になりましたなんて笑えない冗談だ。
なので面倒見のいいアクアさんに甘えすぎない様、私は色々線引きするように心がけていた。
「干すのは私がやりますから、アクアさんは魔素を取り入れていて下さい」
「そうですか? 分かりました」
自分の下着も洗ってあるのだ。見られるのは仕方がないが、触られるのは流石に羞恥心がある。エルフにとっては私など女としてカウントしないだろうが、それとこれは話が別だ。
それにエルフはあまり食事をしない代わりに、大気中の魔素を体に直接取り入れる作業をする。これをしている時は瞑想している様な感じだ。寝ているのともまた違うそうなので、朝の家事の時間にいつも行ってもらっていた。
私はアクアさんの目線が外れた間にてきぱきと洗濯物を干していく。
「よう、小春。エルフと同棲しているって本当だったんだな」
「同棲じゃなくて、同居よ。しばらくの間、諸事情でシェアハウスする事になったの」
私が住んでいる長屋の垣根は低いので、洗濯物を干していると道路の方から中が丸見えだ。なのでさっきまでいたアクアさんを目撃したのだろう。知り合いの男が声をかけてきた。
「シェアハウスって、お前の家一人用だろ。……彼氏じゃないんだよな?」
「違う違う。そんな失礼な事アクアさんに言わないでよ? アクアさんはあんなに綺麗なエルフ族なんだから。チンチクリンな人間なんて相手にしないって」
最初は護衛だけという話だったのに、彼が面倒見がよいばかりに普段から色々サポートされてしまっているのだ。特にグノーさんとのやりとりは頼りっきりである。変な噂で、これ以上の迷惑はかけられない。
「コハル、彼は誰ですか?」
声が聞こえたのだろう。部屋の中に戻ったはずのアクアさんが背後から私を守るように抱き付く。
「えっと、同じ孤児院育ちの、龍宮寺蒼汰です。彼の双子の妹の龍宮寺夏鈴と友達なので、腐れ縁が続いています」
「初めまして、私はアクアといいます。リュウグウジくん」
「あっ。どうも――」
アクアさんの顔があまりに綺麗だからだろう。蒼汰の顔色が悪い。
でもそれは分からなくもない。今でこそ悲鳴を上げなくなったが、私も最初はアクアさんの顔になれなかった。綺麗すぎる顔というのは、どこかかしら恐怖を感じる。
「蒼汰、仕事の時間大丈夫?」
「あっ。やべっ。そろそろ行かないと。じゃあ、失礼します!」
「夏鈴によろしく」
「おうっ!」
私が辛いならさっさと逃げるように手を差し伸べれば、蒼汰は慌てて立ち去って行った。
「今の人間は恋人というわけではないのですよね?」
「それはないです。というか仕事場と家との往復だけで一日が終わって、たまの休みも家事や石拾いをする毎日だったので、恋人ができるはずもないんですよね……ははは」
出来る人はできるし、作る人はそれでも作ろうとするのは知っているが、私はそういう事に縁がない部類の人間だった。私の野望はいつか魔術師になることだ。その為にはお金がいるし、勉強する機会があるなら勉強に時間を当てたい。だから他人に合わせて行動というのは難しい。
「なら、良かったです。人間ではコハルさんを守るには心もとないですからね」
「ははは」
とはいえ、こんな恋とは縁の遠かった私が人外と見合いをしなければならない立場とか、乾いた笑い以外出てこない。人間でも誰かと合わせる気がなかったのに、見た目も生活も違う人外が相手とか、仕方がない状況とはいえ気が重い。アクアさんは私がどういった相手を選ぶのが一番いいと思っているのだろう。聞いてみたい気もするが、聞いたところで私が納得できなければ意味がない。
出来るなら、結婚以外で自分を守る方法があればいいのだけれど……。
「そういえば先ほどの彼は、私がコハルの恋人ではないかと勘違いしているようでしたね」
「アクアさんはお綺麗だし、あまり人間の国では見かけないエルフ族なので目立つんです。だから皆、アクアさんの事を詮索してまして……。どうも私と常に一緒にいる為に恋人ではないかと噂が立ってしまったようで。本当にすみません」
誰がどうみても恋人なんてあり得ないと普通は思うところだが、だったらどんな関係なのかと言われたら想像もつかないから、結局そういうデマが出来上がってしまうのだ。
「謝らなくても結構です。むしろその方が都合もいいですし」
「都合ですか?」
「護衛だと思われれば警戒されます。抑止力にはなるでしょうが、本気で攫う事を考えている人は、私が護衛だと考えて対策するはずです。ですがそうでないなら、油断しますから」
なるほど。流石アクアさんだ。そういわれると、確かにそうだと思う。
「ですので、あまり積極的に噂を消そうとしなくても大丈夫ですよ」
「わかりました。アクアさんがいいならそうします」
元々恋人はいないので、特に噂が流れても私が困る事はない。アクアさんが嫌な思いをするのではないかという懸念があっただけで、彼がいいというのなら問題ない。
「後は今まで仲の良かった方を疑うというのは気分が良くないと思いますが、油断せず警戒は常にして下さい。闇オークションを開く者達は人間を脅したり買収して、人拐いをするための手足にするということが多いので」
「そうなんですか?」
「はい。人間の国で一番自由に動けるのは、人間ですから」
アクアさんの言うとおりなのだろう。アクアさんを物珍しがって皆が注目するぐらい、この国の人外は少ない。そんな注目が集まる中で人を攫うというのは大変な作業だ。
しかし人間が人間を売るという話に、胸のあたりがざらりとする。今の所危険な目には合っていない。出来たらこれからもそうであって欲しいと思いながら、私は再び洗濯物を干し始めた。
◇◆◇◆◇◆
一通りの家事を終えた私は、今度は宝石を換金しに行く事にした。
今までにない大金を持ち歩くのでスリに会わないだろうかとドキドキしたが、そもそも宝石の入った鞄はアクアさんが持ってくれた。そしてアクアさんなら誰も近寄らないだろう安心感がある。今も周りからの視線は集めているが誰一人近寄らない。人混みへ行けば、きっとモーゼの海のように勝手に人が避けていきそうだ。
やっぱりこの神々しい顔は一種の凶器だ。
「あの、いつもすみません」
「エルフ族はこう見えて力があるんですよ」
そう言って袖をまくって見せてくれた腕は、程よく筋肉が発達していた。アクアさんは着やせするタイプかもしれない。エルフ族だから魔法が一番得意なのだと思っていたが、実は違うのだろうか?
「ところで石を売りに行く相手は信頼できる相手なのですか?」
「はい。私が住んでいた孤児院の先輩になります。孤児は大抵が魔石職人になるんですけど、先輩はとても記憶力が良かったので宝石商に気に入られて養子に入ったんです」
「そうなんですね」
「はい。後は朝会った蒼汰と双子の妹の夏鈴は、見目が良かったので執事と女中として、貴族の屋敷で働いているんですよ。三人は私達孤児の自慢なんです」
彼らは運がいいと妬む人もいるけれど、私は三人が三人とも努力をし続けているのを知っている。だから私は三人を尊敬していた。夏鈴は友達だし、蒼汰はその双子なので、少々扱いが雑になってしまうけれど。
「私はコハルが素晴らしいと思いますけどね」
「へ? 私はただの魔石職人ですよ?」
「ただのという事はないでしょう。それに素晴らしいのは、コハルの心根です」
てっきりレアな魔力だからそう言われたのかと思ったが、アクアさんは違う所を褒めてきた。
「努力家ですし、辛くても腐らずにいる。彼らはコハルと友人になれて幸せですね」
「い、いや。その……そうですかね?」
エルフ族には何気ない言葉かもしれないが、私は恥ずかしくなって顔を覆った。
孤児院育ちは大抵擦れているので、私の周りには面と向かって相手を褒めるような人間はいない。おかげでこういう反応は慣れていなかった。
「……エルフ、ヤバすぎる」
「はい?」
「いえ。あの、その。ありがとうございます」
アクアさんの純粋無垢なデレの威力が恐ろしすぎる。私のような人間は浄化して溶けて消えてしまいそうだ。
エルフ族の恐ろしさを目の当たりにしながら、私は冷汗をぬぐった。私でなければ口説かれているのかと勘違いしたに違いない。
エルフ族の新たな一面に驚きつつも道を進んだ所で、私は遠目に眼鏡をかけた男を見つけた。
「あっ、先輩!!」
宝石店の店の前にいた先輩に対して、私は大きな声で呼びかける。
どうやら店の前を箒で掃除しているようだ。私の声に気づいた先輩が顔を上げ、私に向かって手を振った。
先輩は孤児院で私を実の妹のように可愛がってくれた人だ。私も兄のように一番懐いていたと思う。そんな相手に久々に会えた嬉しさで、私は走り出した。
「コハル?!」
アクアさんが名前を呼んだのは、最初私が突然走り出したからだと思った。
しかし体がふわりと浮き、首のあたりがしまった事で、そうではないのだと数秒遅れて気が付く。
「えっ?」
気が付けば私は屋根の上で宙づり状態になっていた。下の方で悲鳴が聞こえる。
何が起こったのか分からないまま、私の体は屋根の上をものすごい速さで運ばれた。




