十五人目 ドラゴン夫妻と6
「コハルッ!!」
妖精の粉を追って、順番にコハルがたどった道を移動して、ようやくたどり着いた私は、感極まり彼女の名前を呼んだ。しかし彼女から返って来たのは、何だか微妙な表情だった。……やはり、私に不甲斐なさを怒っているのだろうか。
「うーん。そこは、『私、アクア。今貴方の後ろにいます』の方が、様式美的にいい気がするけどなぁ」
「え? 私、前にいますよね?」
コハルから何か咎めるような言葉が出ると覚悟はしていたが、まさかそこを咎められるとは思わず首を傾げた。前に立ったらいけなかっただろうか?
「ああ。ごめん。こっちの話だから。アクアさん、一体どうしたの?」
「一体、どうしたって。コハルが、家を出るから……私は……謝りたくて……帰ってきてほしくて」
心底不思議そうにしているけれど、コハルにとって私との同居はその程度だったのだろうか。人間とエルフ族ではもしかしたら結婚した後の概念が違うのかもしれない。でも私はコハルと一緒に居たいのだ。もしも周りがそれを邪魔するというのなら、今回の妖精族のようにきっちり話を付ける。
「どうか、私とこれからも夫婦のままで居て下さい」
「へ? もちろん。私も突然離婚になったら困るけど……」
「コハルは別居でもいいのかもしれないですが、私は夫婦なら一緒に住むべきだと思うんです。というか、住みたいんです。一人にしないで下さい。私が悪い部分は直しますから」
コハルはまだ離婚までは考えていなかったようだけれど、夫婦なら一緒に住むのがエルフ族の常識だ。離婚しないなら別居は認めたくない。コハルのいない生活は嫌なのだ。
「いや。え? そもそも別居もするつもりもないけど」
「でも、コハルは家を出て行ってしまって……」
「一週間ぐらい友人と旅行をしたかったんだけど、エルフ族的にはもしかして駄目だったとか? ごめん。人間は時折友達同士で羽を伸ばすとかするから、エルフ族も勝手にありだと思ってて」
旅行? 一週間?
私は聞き覚えのない言葉に首を傾げる。
「家出じゃないんですか? 手紙を見てそう思ったんですけど」
「あれ? 上手く伝わらなかったのか。ごめん。アクアさんに教わったエルフ語で手紙を書いてびっくりさせようと思ったんだけど、分からない単語が結構あって……」
……なるほど。違う意味でびっくりさせられた。確かにエルフ語の会話は上達していたが、書く方はまだまだだったことを思い出す。
「でもコハルが出ていったわけではなくて良かった……。すみません。私の所為で嫌な思いをしたんですよね。妖精族とは和解をしたので、もうコハルに変な事を言ってくることはありません」
「へ? ああ。そう言えば、そういう理由だったけ。シルフィさんが凄い絶景ポイントに連れて行ってくれたから、すっかり忘れてた……。変な誤解させてごめんね。アクアさんが悪いわけじゃないって分かってるよ。私がアクアさんを独り占めするから、周りが良く思わないなんて最初から分かっていた事だし」
諦めたように笑うコハルに胸を締め付けられる。私が独り占めされたいのに、コハルが良く思われないなんて間違っている。これは妖精族以外もコハルにちょっかいを出しているのだろう。……きっちり、語り合う必要があるかもしれない。肉体言語は得意だ。
「ん、んん、ん」
コハルと話をしていると、咳が聞こえた。そう言えば、ここは家ではなかった。
「ああ。すみません、シルフィ様。コハルをお守りいただきありがとうございます」
「いいのよ。特に守るような事もなかったし、友人として、私はコハルと旅行を楽しんでいただけだもの。ただ、あまり二人っきりの世界を作らないでね。やりにくいから」
顔を上げればシルフィ様と目が合った。どうやらこちらの様子を楽しんでおられるようだ。しかし度を超えれば、容赦ない攻撃が来るだろう。コハルはシルフィ様に懐いているので、できるなら彼女との対決は避けたい。
「以後気を付けます。そう言えば、もう一頭見知った竜がいるのですが? 彼は雄なので、できれば妻に近づけたくないのですが」
「まだ子供じゃない。そうピリピリしないでちょうだい。もしも不埒な事をしたら、私が直々に簀巻きにして貴方に上げるから」
「ひぃ。ばあちゃん!! 俺は絶対そういう横恋慕はしないから!! 無実だから!!」
シルフィ様の孫はそう言って、彼女の後ろに隠れた。……確かにまだ子竜で、番なんてまったく考えていない年齢だろう。何度か戦闘訓練をつけてやったこともある。
子供をいじめると、コハルに嫌われそうなので、これぐらいにしておく。もしも本気で横恋慕した時は容赦はしないけれど。
それに竜王候補となっている子竜だ。コハルが仲良くしておいて損な相手でもない。
「分かりました。さあ、コハル、帰りましょう? またコハルに何かおかしなことを吹き込む者が現れたら遠慮なく言って下さい。ちゃんと、話し合いをしますし、必要なら物理的に排除しますから」
「いやいやいや。そこまでしなくていいから。あと、もしも許されるなら一週間はバカンスを続けたいなぁと思ってるんだけど。手紙にも私の事を探さずにアクアさんは仕事を頑張ってと書いたよね?」
「あの、探さないではそういう意味でしたか。だったら、私もバカンスします」
思えば、コハルと新婚旅行も行っていなかった。この際、一週間と言わず、もっと長期間旅行に行ってもいいのではないだろうか。
「駄目だよ。アクアさんは仕事があるよね? 勝手に休んだら周りが迷惑するから」
「大丈夫です。美術館の警備は他にも人がいますから。代わってもらいます」
「勤務を代わった人が休めないじゃない。もっと事前に申請したならいいだろうけど、絶対迷惑だって」
「休むのを認められないなら辞めるだけです」
「はあ?! 何言ってるの?! そんな無責任な事したら駄目に決まってるじゃん!!」
私が辞めると言った瞬間、コハルが眉を吊り上げた。日頃、ほとんど怒る事がないので、私は怯んだ。何が逆鱗だったのか。
「アクアさん、正座」
「えっ。あの……」
「正座」
「はい」
私が正座すると、コハルもその前で正座した。
「いい? 仕事を突然辞められたら、休むよりも、もっと迷惑なの。アクアさんの為に警備の時間とか優遇してくれているんでしょ? だったら、ちゃんとその恩に応えるだけのことはしないといけないと思うんだけど」
「……そうですね」
「アクアさんが辞めるだの休むだの言っている事は、恩に応える事?」
「いえ。違います」
「勿論アクアさんが、その仕事を辞めたいというのなら私は何も言わないよ? でも最低限の迷惑で済ませて辞めるのが筋じゃない?」
コハルの言葉に逆らえず、私はYESのみの答えしか言えられない。元々コハルは魔石職人の時から、彼女なりのこだわりを持って仕事をしていたのを思い出す。
「それで、アクアさんは明日はどうするの?」
「……仕事に行きます」
そういうと、コハルはニコリと満面の笑みを向けてくれた。嬉しいけど、嬉しくない。
「で、ですが。仕事が終わったら、コハルのいるところに帰ってもいいですか? ちゃんと次の日も仕事に行くので。このままではコハル不足で辛いし、それに心配なんです。コハルは最近体調が悪いですよね。もしもコハルに何かあったらと思うと……」
「もちろんいいよ。私もアクアさんといっしょの方が楽しいし。後、体調が悪いのは精神的なものだと思うからそんなに心配しなくても大丈夫だよ。それを治すためのリフレッシュでもあるのだし」
私はコハルの言葉にほっとするが、同時に不安になる。コハルはどうやら体調不良を精神的なものだと思っているようだ。しかし先輩の言葉を思い返すと、そうではなさそうだ。
「先輩が病院に行くようにと言ってました。たぶん精神的なものだけではないと思います。バカンスは全然かまわないし、コハルは働き過ぎなので、いっそ一年ぐらいリフレッシュしてもいいと思いますが、病院には行って下さい」
「大げさだなぁ。ちょっとだるくて食欲が落ちてるだけなのに」
コハルは苦笑いするが、私は全然大袈裟だとは思わない。コハルは比較的人間の中では丈夫だけれど、それでも無理をしていいわけではないのだ。彼女とより長く一緒にいる為には、普段から健康に気を使った方が良い。
「ねえ、コハル。思ったのだけど……」
「なんですか?」
「だるくて食欲がないって……まさか、妊娠しているわけじゃないわよね?」
……ん?
……んんん?
妊娠?
「「妊娠?!」」
シルフィ様の爆弾発言に私とコハルは一緒に叫んだ。
そしてお互い顔を見合わせる。妊娠しているか分からないけれど、否定できない夫婦の営みはしていた。
「い、今すぐ、医者に行きましょう」
「いや。それこそ迷惑だから。妊娠なら、病気じゃないから、ちゃんと予約しないと。その前に市販薬で調べた方がいいかな。無駄足になってもアレだし」
どうしようと慌てる私とは違い、コハルはとても冷静だった。
「とにかく家に帰りましょう」
「ええっ。今家に帰っても仕方ないって。折角だから観光しよう?」
「妊娠ですよ?!」
「妊娠だよね?」
……何だろう。凄く意識に差がある気がしてならない。
「人間はエルフ族と違って、妊娠も出産もよくある事だからね。アクア達エルフ族は、妊娠出産なんてよっぽどないから、それが起こると、凄いお祭り騒ぎになるんだよ」
「そうなんですか。まあ人間でも生まれればおめでたい事ではあるんですけど」
どうやら長寿種と短命種の認識の差は大きいようだ。シルフィ様はエルフよりの考え方なので、苦笑いしてくれているが、それでも私ほど焦らないのは女性と男性の違いかもしれない。
「今日はもう日も暮れるし、一杯移動して疲れているだろうから、竜の国に泊まるように。それから明日、コハルは病院に予約してきなさい。病院が終わってからまた遊びにきたらいいわ」
「分かりました」
そう言われてしまえば、そわそわはしてしまうが、私も従うしかない。
「……流石、最強の人間だ」
孫が呆然と呟いていたが、確かに私もコハルの動じなさを見ると【最強】の奥深さを感じる。まあ、コハルを敬ってくれるならいいだろう。
その後妊娠が発覚し、コハルを安静にしたい派VS妊娠は病気じゃないんだからね派として、私とコハルは喧嘩をしてしまうがそれはまた別の話だ。
その時孫が「離すな危険!!」と叫び、それが週刊誌に載った事でいつしか世界の常識になるけれど、その頃には喧嘩も収まり、私とコハル、そしてもう一つの新しい命と一緒に新しい生活が始まっていた。
別の意味で忙しい日々が始まったわけだが、コハルへの外野からの苦情は減り、とりあえず私の世界は平和で幸せだ。




