二人目 エルフさん1
……夢ではなかった。
机の上に置いてある袋の中を見て、私はため息をつく。中にはゴロゴロとくず石のように高価な宝石が入っていて、昨日のできごとが現実なのだと訴えてくる。もしもあれが夢なら、ダイヤモンドやらサファイヤやらエメラルドやらと、私のような貧乏人には一生縁のない宝石が机の上にある理由が強盗にでも入ったぐらいしか思いつかない。
昨日の記憶も忘れたいぐらい衝撃的なものだったけれど、夢遊病で宝石強盗をして豚箱行きになりましたなんていう現実も絶対嫌だ。
「はぁぁぁ。グノーさんが用意してくれた見合い相手ってどんな方なんだろう」
普通なら、年はいくつで、どんな性格かとか、どんな趣味なのかとか、お酒は飲むのかとか、仕事は何かなどが気になるはず。しかし私が一番気になる点はどれだけ人間に近い姿をした種族かだ。その次が年齢差だろうか……下手をすれば百年単位で違うだろう。
昨日、早急に伴侶を見つけなければ危ないといったグノーさんは、ひたすら竜押しだった。一応既婚者は除外してくれるし、百五十歳差ぐらいの比較的若い竜をあげてくれたが、前提が竜。……私には無理だ。丁重にお断りさせてもらった。気がついたら竜の花嫁とか色々無理だ。稼ぎが良くても、竜目線でイケメンでも、それはない。
夫婦喧嘩をした日には、私の命は風前の灯火だろう。たとえ怪我負わせようとする悪意がなくても、寝ぼけてぷちっと潰されて大怪我をするとかありそうだ。
昨日作った魔石は全てグノーさんがお買い上げしてくれたし、これからもお願いしたいと言って下さったので、とてもありがたい商売相手だ。しかし私の為とはいえ、結婚相手を探されるのは色々辛いところである。私の魔力が無属性である事を隠しておけばいいだけの話な気はするが、既にグノーさんは素晴らしい魔石を食べたことを友人たちにペラペラ自慢してしまい、かなり私の存在は注目を浴びているらしい。
グノーさんの鱗を持っていれば、早々悪さをする奴もいないそうだが、悪い奴というのは何処の種族にもいるそうで安心はできないそうだ。
深いため息をついていると、ゴンゴンと扉を鳴らされた。
「はい。今開けます」
お見合い話をどうにかなかったことにできないだろうかと考えながら扉へ向かったせいで、特に何も覚悟をしないまま開けてしまった。
「ひいっ」
「……昨日も言いましたが、人の顔を見て悲鳴を上げられるのは気分のいいものではないのですが」
「あっ、その。すみません」
扉の向こうには、輝くような美貌のエルフがいた。太陽の下で見るエルフの髪色は、晴天の空のような水色だ。瞳の色の方が髪色よりも濃く、海のような深い青をしている。昨日よりもずっと良く見える美貌は、正直心臓に悪い。
「まあ、グノーに魔石を貰ってしまいましたし、頼まれたことはやりましょう」
「は? 頼まれたことですか?」
昨日結構納品したが、また魔石の注文だろうか? 石さえもらえれば、別に構わないが……。
「貴方の護衛ですよ。今日は何処に行くんです?」
「ご、護衛って?」
「人間の言葉はここ百年は特に変わっていないと聞いたのですが……。別の言葉で表すなら、貴方を警備するという事です。私のベッドはいりません。人間とは違い、私はそれほど睡眠を必要としませんし、水のボールの上で寝ますから。食事は人間と同じものを食べます。ただし魔素からも補っているので、毎日は必要としません」
……言っている言葉は理解できるはずなのに、意味を理解したくない。しかし確認しなければ、いざその状況になった時にぶっ倒れそうだ。
「まさか一緒に住むという事ですか?!」
「ああ。私は女性に不自由はしていませんから、安心して下さい」
ええ。貴方が私を襲うなんて、これっぽっちも考えていません。それでも、毎日この顔を拝むという事だ。しかも、護衛という事は……。
「それに護衛という事は、仕事場にまでくるんですか?!」
「そうしなければ護衛の意味がないでしょ」
「いや、でも、大丈夫です。そんな大それたことしなくていいです。仕事場まで近いですし。え、エルフさんにもご迷惑でしょうし」
私が必死に断ると、エルフは不機嫌そうな顔をした。美形が機嫌悪そうな顔をすると、十倍ぐらいの威力があって心臓に悪い。
「種族名で呼ぶのはやめて下さい、人間さん。私の名前はアクアです。それと、今までは大丈夫だったかもしれませんが、グノーが昨日話した通り、貴方のことはかなりの噂になっています。だからこそ、私が呼ばれたのです」
「えっと……はい。すみません」
「何故謝るんですか? 噂を広めたのはグノーなのですから、グノーが対策を練るのは当然です。むしろ貴方の立場は、巻き込まれた憐れな人間にすぎません」
「はあ。ですが、そのアクアさんは人間が嫌いなのに、護衛を頼まれてしまったのが申し訳ないと言いますか……」
グノーさんとアクアさんがどれぐらいの仲なのか分からないが、昨日見たかぎりはそれなりに親しそうだった。だからいやいやでもグノーさんの尻拭いをする事にしたのだろう。この町ではエルフも目立つが、竜よりはマシだ。
とはいえ、竜よりも人間嫌いの多いエルフ族だ。そもそも下に見ている人間の護衛などやりたくないだろう。
「私も言い方が悪かったですね。私もなにがなんでも人間と関わりたくないぐらいに嫌いというわけではありません。少々ずる賢い人間に煩わされたことがあったので、好きではないと言っただけで、様々な人間がいるのは分かっています。それに仕事と割り切れば、好き嫌いなど些細な問題です。それで貴方の名前は何ですか?」
「へ?」
「人間さん、人間さんと呼ぶのも嫌でしょうし、人間だらけの場所では誰のことを言っているのか分からないでしょう?」
「あー……私の名前はコハル・ワタヌキです。コハルでも、ワタヌキでもどちらで呼んで下さっても大丈夫です」
親しい人以外から名前で呼ばれる事はないが、アクアさんは名字を名乗らなかったので、名字で呼び合う習慣がないかもしれない。なのであえてどちらでもと伝えておく。
「ではコハル、まずは貴方の仕事場に連れて行きなさい」
ためらうことなく名前の方で呼ばれたのは、まあそうだろうなと思っていたのでいいが、職場に連れて行けというのは、色々躊躇う。
この目がくらむような美貌の持ち主と行動を共にしたらどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。絶対周りから注目される。私の様な平凡な黒髪に茶色の瞳、更にのっぺりとした平たい顔の女には荷が重すぎる。どんな関係かと聞かれても、何と答えていいのか分からない。
「あの。職場は安全だと思うので、部屋で待っていて――ひぃ」
ギロリと睨まれ私は小さく悲鳴を上げた。氷のような美貌の持ち主に睨まれても大丈夫な心臓を持っていない私は、ただただ固まるしかない。
「安全かどうかは私が見て判断します」
そう言われれば頷くしかない。
今までそんな護衛を必要とするような身の危険を感じたことがないが、グノーさん達の様子を見る限り、無属性というのは相当価値があるらしい。そもそも、魔石を食べるという発想も人間にはないので、人外の人達との認識の差は大きそうだ。ここは素直に従った方が良いだろう。しばらくして、特に何もなければ、護衛は外れるはずだ。
「分かりました。職場はそれほど離れていませんが、そろそろ家を出る時間なのでお願いします」
時計を見た私は、アクアさんを説得するのは諦め荷物を手提げかばんの中に詰める。よいしょと持ち上げると、ぐいっと荷物が引っ張られた。
「貸しなさい」
「えっ。あの」
「男が手ぶらなのに、女が荷物を持っているなんて私に恥をかかせるつもりですか?」
ぐわっと睨まれた為、手の力を抜けばそのまま担がれてしまった。……そういえば、エルフの世界は、レディーファーストという言葉があったなと思い出す。人間でも上流階級ではそんな言葉があると聞くが、私は生まれてこのかた関係のない言葉だった。なので彼にとっては常識的な行動だろうが、少々気恥ずかしい。
でもそんなことよりも……。
「それでどちらに向かえばいいのですか?」
マジかぁ。この人の隣を歩くのか……。
並び立てば、元々身長が頭一つ分違うのもあるが、足の長さからして違った。……色々居たたまれない。
「えっと、こっちです」
かといってこの場で押し問答をやっていれば、仕事の時間になってしまうので、諦めて案内をする。道を歩けば頭上を絨毯通勤の人や箒通勤の人が飛び、影が横切っていく。
「人間の国は、こんなに絨毯で移動する人が多いのですね……」
「エルフの国は違うんですか?」
「近場ならば歩きますし、遠い場所なら転移魔法を使いますから、あまり乗り物は主流ではありません。趣味で乗っている者はいますが」
そういえば、昨日もアクアさんは転移魔法で私を連れて行ってくれた事を思い出す。
しかし転移魔法など、普通の人間は使わないし、使えない。魔力の消費量が高過ぎるのだ。それに高度な魔法となるので、もしも人間でできるとなれば魔術師ぐらいだ。
「凄いですね。人間の魔力では転移魔法は大きすぎますから、私も昨日初めて体験しました。絨毯も箒も基本の動力は魔石です。そこに少しだけ自分の魔力を流す形になるので、皆道具を使うんです。最近は、ほら。魔力を一切使わない、自転車という乗り物を使ったりもします」
魔石を一切使わない、エコで素晴らしい乗り物である自転車に乗っている人がいたので指さし説明する。自転車は乗る為の練習が必要だが、慣れるとこれはこれで楽しい。しかし天然ゴムで作られたホワイトウォールタイヤは耐久性が低い為、すぐ亀裂が入るからまだまだ微妙な乗り物扱いになっていた。
「自転車というのですか。私の国では見かけない道具です」
アクアさんは物珍しそうに町の中を見渡した。きっとエルフとしては何故こんなものを必要としているか分からないものが沢山あるのだろう。エルフはエルフの国からほぼ出ないので、珍しいに違いない。
横から見た顔はあまり変化のないポーカーフェイスだったが、瞳は子供のようにキラキラしているようにみえる。あまりに綺麗すぎる為、色々と身構えてしまうが、こういう姿は少しだけ可愛い。
出来るだけ早急にこの状況を打破しなければならないが、悪い人ではなさそうなので、短い期間なら何とかなりそうだと思う。……周りからの視線がなければだが。
アクアさんは気にしていないようだが、周りから感じる視線はいつもの倍だ。ただし綺麗すぎるエルフに臆して、声をかけてくる人は誰もいない。きっと一人になったら知り合いから質問攻めにあうんだろうなと、後の事を考えて私は遠い目をした。