四人目 セイレーンさん3
セイレーン族との見合いの場所に選ばれたのは、岩場の多い海岸だった。確かに相手は足がなく、私は長時間泳ぐ方法を持ってない。ならば陸と海が交わる場所でとなるだろうけど……。
「ぶっちゃけ、既にロミジュリだよ。どうやって一緒に生活するんだろう……」
ザバーン!
私の呟きも波の音に打ち消される。海は平等だ。平等に試練をお与えになる。
「もう今回のお見合いも破談で良いじゃないですか。人間とセイレーンは本来交わらない種族なんですよ」
「ですよねーと同意したいところですが、一応会わないと相手側に失礼ですから。それにマーメイドとの結婚話がそこそこあるなら、陸と水中の差を埋める方法が何かあるのかもしれませんし」
足場の悪い岩場をアクアさんにエスコートされながら、私は目的の場所へ向かう。最初はアクアさんが転移魔法で会場まで連れていってくれる予定だったが、近場だったので申し訳なさから断った。しかし現状を見ると逆に迷惑をかけている気がする。
「でもまさかお見合い会場がこんなに足場の悪い所だなんて思わなくて……ご迷惑をおかけしてすみません」
アクアさんは私が転ばないよう手をつないで下さっているが、これでは介護されるお祖母ちゃんだ。年齢的には逆なのに。
私は変な意地を張るべきではなかったと反省していた。
「コハルとゆっくり散歩をするというのも楽しいからいいですよ。気にしないで下さい」
アクアさんは本当におおらかな人柄だ。時折怖い面もあるけれど、それは大抵私の為に怒ってくれる時だと思う。仕事とはいえ、人のためにこんなに親切になれるなんて……。
さっさと結婚相手を見つけなければいけないのは私の方だけど、アクアさんも早くいい相手と結ばれてほしいと思う。好きな人もみえるらしいので、応援したいところだ。
「地理でいくとこの辺りが指定の場所ですね」
アクアさんに言われた場所は、水面と陸地にあまり差がなさそうな場所だった。でも海を覗き見たかぎり底がみえないので、それなりに深い場所のようだ。
「そうよー。こっちこっち」
アクアさんの声に返事が返ってきたかと思うと、海の中から一人のセイレーンが上半身を出して手を振っていた。
顔は人間とよく似ていて、皮膚の色もそれほど変わらない。髪は茶色で耳のあたりがエラのようになっている。目の色も青色で、人間としてはあり得ない彩色ではない。首から下だが、海の中に浸かっている部分は見えないが、水上にある部分は青とも緑とも言えない鱗で覆われている。遠目からはまるで服を着ているかのように見えた。手の部分も水かきらしきものはあるが、さほど人間と違いはなさそうだ。
この間お会いしたフェンリル族に比べると、ずっと人間に近い姿にみえる。
「こんにちは。貴方がコハルちゃんでいいかしら?」
「あ、はい。初めまして。私は四月一日小春と言います。貴方は……」
「私が今日の貴方の見合い相手のガラノーよ。よろしくね。コハルちゃん」
ん?
差し出された手と握手をしながら内心首を傾げる。別に体温が低めだとか、思ったほど濡れていないなとか、そういう事に疑問を感じたわけではない。
不思議に感じたのは、少しだけ喋り言葉が、女っぽかったからだ。ガラノーさん自身は短髪だし、別になよなよしているわけでもない。胸だって平だ。そもそもわざわざ人間の言葉を話して下さっているのだから、セイレーンの言葉で話す時は女っぽいという事もないだろう……。ただ、顔がアクアさんほどではないにしろ整っている所為で、言葉使いが相まって、性別が行方不明っぽく見えるのだ。
「えっと、男の方でよろしいですよね? いや。あの、私よりずっとお綺麗なので、まるで同性のようにも感じてしまいまして……。お気を悪くされたら、すみません」
女である私の見合い相手なのだから、男に決まっているとは思うけれど、ガラノーさんを見ていると本当に不思議な気分になるのだ。
「今は男ではないわね」
「へ?」
怒られるかと思った言葉に、まさかの肯定が返ってきて、目を見開く。えっ。女性の方?
「といっても、女でもないわよ。正確に言えば、まだ結婚相手のいない私は無性なの」
「はい?」
無性?
人間では聞かない話だ。意味が分からず、私は首を傾げた。
「人間は最初から男と女が決まってるから聞きなれないわよね。私達セイレーンは、結婚するまで性別がないのよ。別に私たちがおかしいわけではなくて、魚ではよくあるの。例えばクマノミという可愛らしい魚も同じ。クマノミは群れの中の一番大きな子が雌、その次に大きな子が雄になって、他は性別がない状態で繁殖をしないわ。そして雌が亡くなったら、次に大きかった雄が雌になって、その次に大きい子が雄になるといった感じで性別を自由に変えるのよ」
マジで?
そういえば、生態がクマノミに似ているというようなことをアクアさんが言っていたけれど、まさか性別のことだとは思わなかった。
そんな性別が変わる生き物がいるなんて初めて知った。
「だからもしも私がコハルと結婚したら、私は雄に変わるというわけ」
「な、なるほど?」
いまいちどう変化するのか分からないが、性別不明っぽさの理由は何とか理解した。
「それで、コハルは私との結婚はどう思ってるの?」
「えっと、その……正直まだピンときていないと言いますか……」
ガラノーさんは話したかぎりとても普通な感じだ。嫌という事もなければ、結婚したいという強い思いもない。そう考えると、フェンリル族に比べればまだアリなのだとは思うけれど……。
どうしたらいいか分からず口籠ると、アクアさんが少しだけ私の手を引いた。
「コハル。すぐに答えを出す必要はないですよ。まずは相手の事をよく聞いてから考えればいいです。フェンリル族よりはマシとか、そういう考えで選ぶのはよくありません。必ずコハルに合う相手は、この世界に居るはずですから」
アクアさんには私の考えがお見通しだったようだ。確かに私は、ガラノーさんの人間っぽい雰囲気にフェンリル族よりも親しみを感じた。しかし比べて選ぶのは失礼だし、そんな方法で選んだとしても上手くは行かないだろう。
「分かりました。あの。もしもガラノーさんと結婚する事になったら、私は何処でどう暮らす事になるのでしょうか?」
「セイレーン族は水の外へは出られないから、コハルに水中で生活をしてもらう事になるね。勿論人間は水の中では生きられないのは分かっているわ。だから丸い空気の玉を魔法で作ってその中で生活してもらう事になるわね」
「閉じ込められるという事ですか?」
「結果的にそうなってしまうね。空気の玉は動かせるけれど、人間が外で生活しているほどの自由はないわ。後は夜の営みをする時は、浅瀬の海の中でする事になるかしら。私達も顔は海の外に出す事ができるから」
夜の営み。
急に生々しい言葉が出てきて赤面してしまうが、結婚するならつまりはそういう事をするという事だ。
な、なるほど。確かに水がないと生きられないセイレーンと、空気がないと生きられない人間が一緒になろうとするなら、そういう事になるのだろう。
「あの……申し訳ないですが、お断りさせていただいてもいいですか?」
「貴方ならそういうと思ったわ。一応理由を聞いてもいいかしら?」
元々断る気でいたけれど、改めて聞くと、ガラノーさんとの結婚生活は私が理想とする生活からは程遠そうな気がした。
「私は……籠の鳥のように、ガラノーさんを水中の牢獄の中で待ち続けるだけという生活は無理です。きっと丸い球の中だけで生活するという事は働く事もできないんですよね。たぶんそんな生活をしたら、私では心が持ちません」
もしもこの世の何よりも相手を愛していたら、考え方も変わるかもしれない。でも実際はそうではないし、私は何もせずに誰かに頼り切る生活はしたくない。
それは相手に守ってもらわなくてはいけないという状況と相反するけれど、でもただ飼われるだけの日々では、存在意義を見失ってしまいそうで嫌なのだ。
「実を言えば、私も断らなくてはいけないと思っていたの。ただし、コハルが嫌だとかそういう事じゃないわ」
「あ、私も同じです。ガラノーさんが嫌なわけではないんです」
「分かっているわ。私の場合は、確実にコハルを脅威から守る事はできないと思ったからよ。セイレーン族は、海の中では強い力を持っているわ。だから海の中では守ってあげられると思うの。でもコハルは陸の生き物だから、ずっと海の中にはいられないでしょう? もしも閉じ込め続ければ、それこそ先ほどコハルが言ったように心が死んでしまう。でも陸の上で私達は無力なの」
どうやらガラノーさんは、私がジッと閉じこもってばかりはいられないだろう事も考えて下さっていたようだ。ただ閉じ込めるだけの方が楽だろうに……。
「そこまで考えて下さってありがとうございます」
「いいのよ。私も興味本位で会ってみたくて、この話を受けたんだから。それに住む場所の問題がなかったとしても、断る事になっただろうしね。私も馬には蹴られたくないわ」
馬?
何故そんな話が出てくるのか良く分からない為、私は曖昧に頷いた。どちらにしろ、破談になった事には変わりがないのだ。
「興味本位という事は、ガラノーさんは無属性の人間に興味があったんですか? だとしたら、すみません。思ったより平凡で肩透かしでしたよね」
私が絶世の美女だったら、それなりに会っただけの価値がありそうだが、私は生憎とレアな属性を持っただけの平凡女だ。ご足労頂いたのに申し訳ない。
「違う違う。コハルがうちの甥と姪の友人だと聞いていたからよ。だからどんな子か気になってね」
「へ? いや、あの。誰かと勘違いなさっていませんか? 私、セイレーン族にお会いするのはガラノーさんが初めてで……」
海に近い場所に住んでいるけれど、セイレーン族に実際に会ったのは初めてだ。
「あら? もしかして聞いていなかったの? だとしたら話したら不味かったかしら……。まあいいわ。私の姪の名前はカリン、甥はソウタというの。確か人間が使う名字は、リュウグウジにしたとか言っていたわね」
「へ?! 夏鈴達の叔母さん? えっ? 叔母っていう事は血がつながっている? あれ? でも、夏鈴達は人間だし、血縁者がいないから孤児院に居たんじゃ……」
まさかの名前が出てきて、私はギョッとする。
しかし私が知っている双子は、どちらも人間だ。夏鈴とは一緒にお風呂に入った事もあるけれど、鱗一枚なかった。
「二人の母親は人間でね、カリンとソウタは珍しく、人間側の血が強く出たのよ。人間との混血児は大抵相手方の血が強く出るけれど、稀にそういう事もあるの」
「へぇ」
人間は人外の子を産めると聞いた事があっただけなので、必ず相手側の見た目の子が生まれるものだとばかり思っていた。もしかしたら私が知らないだけで、世の中には違う種族の血を持った人間がそれなりにいるのかもしれない。
「あの子達の母親が、運悪く嵐の日に波にさらわれて亡くなってね、一族であの子達をどうするか話し合ったの。それで結局、人間に育て貰う事にしたというわけ。別にあの子達が嫌いだからというわけじゃないわよ? 海の中で人間は自由に生きられないから、それが最善だと考えたの。ただいつでも帰ってきていいとは言ってあるし、定期的に連絡も取っているわ。あの二人の父親や兄弟でセイレーンの血が強い子達は今も海の中で生きているからね」
そうだったのか。
初めて聞く話だけれど、夏鈴達も話しにくい内容だろう。人外だという話もそうだけれど、私のような孤児相手に父親や兄弟が生きているというのは、中々話せなかったに違いない。
「あの子達は純粋な人間ではないけれど、血縁者としてこれからも仲良くしてやって欲しいんだけど……」
「もちろんです」
最近今までにないぐらい沢山の人外と知り合いになったから分かる。人間じゃないから危険だという事はないのだ。勿論すべての恐怖が消えるわけではない。でも人間にだって悪い人がいる様に、人外だとしてもアクアさんやグノーさんのように、とても気さくで優しい人もいるのだ。
だからそれを理由に友人を止める事だけは絶対しない。
困ったように話すガラノーさんに私は強く頷いた。