四人目 セイレーンさん1
「あ、あの。先輩、こんにちは……」
私が再び宝石店を訪れると、何か事件が起こったのか、朝はいなかったはずの警察が店の周りに数名いた。店自体は休みというわけではなさそうなので、私は仕事の邪魔をしないようにそろりと中へ入る。
丁度警察と話していたらしい先輩は顔を上げると、目を丸くした。
「小春っ?! 無事だったのか?」
「あー……えっと、はい。生きています」
何と言っていいものか分からず、頬を掻きながら答えると警察の人をそっちのけで先輩は私の前まで走って来た。いつもと変わらず黒縁眼鏡をした先輩だったが、いつもとは違う焦った表情でぺたぺたと私の顔を触る。
「どこか怪我はしてない? 齧られたりしてないかい?」
「大丈夫です。どこも齧られずに五体満足です」
確かに大きな犬――もといフェンリルに連れ去られたら、食べられて怪我をしているかもしれないと心配するのも良く分かる。
「何だ。大きな犬に連れ去られたという子は無事だったのか」
「すみません、刑事さん。どうやら無事だったみたいです。小春、あの犬はどうしたんだ?」
「えっと、家へ帰ったと言いますか……もしかして私の所為でこんな大騒ぎになっているんですか?」
実はさらったのは犬ではなくフェンリルなんですなんて言ったら、もしかしなくても、国際問題化するのだろうか。それは不味い……。
「実は小春を拐ったあの大きな犬がフェンリルじゃないかという話になってね。もしもフェンリルなら、人間を攫うのは国際法違反だから」
……すでにバレていらっしゃるっ?!
フェンリルではなく大型犬なんですよー。紛らわしいですよね、あはははと誤魔化そうとも思ったが、少し考えて止めた。警察まで呼んでしまったのだ。知っている人なら、あれはフェンリル族だと分かるだろう。だったら下手に誤魔化すより、認めてしまって言い訳した方がいい。
「実は、あのフェンリルは私の友人でして……」
「は? 友人?」
「あー。それで、久しぶりに会った私を見て感極まってしまったみたいで。フェンリル族は、楽しいと走りたくなるらしいんですよねー。はははは」
本当はどうか知らないが、犬は散歩が好きだと聞いた事がある。うん。あれはフェンリルなりの愛情表現で、私を連れて散歩をしに行っていただけなんですで通してしまおう。
ヴィオレッティさんの行動が迷惑だったのは変わりないが、悪気があったわけではないのは既に知っているし、国際問題にして裁いてもらいたいなんて全然思っていない。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。彼にも人間社会のルールを伝えておきますので……」
「どうやらこちらが早とちりしてしまったみたいです。お手数をおかけして、申し訳ございませんでした」
「分かりました。次からは気をつけて下さい。おい、撤収だ」
私の隣で先輩も頭を下げてくれたおかげで、警察は店から出て帰って行った。きっと先輩がここで一番力がある商人の跡取りというのもあって、深くは聞かれず、口頭注意だけで済ませてもらえたのだろう。
「先輩、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「申し訳ない気持ちがあるなら、ちゃんと俺には本当の事を話すように」
「……はい」
顔を上げれば先輩はにっこりと笑っていたが、眼鏡の奥にある目は笑っていない気がする。やっぱり先ほどの説明では無理があったか。
「そちらのエルフ族の方も奥にどうぞ。最近小春がエルフと一緒に行動しているという噂が僕にも聞こえてきているんです。しかも同棲までしているとか。小春はその件も話してくれるよね?」
「貴方にそこまで根掘り葉掘り話さなければならない理由があるのですか?」
「法律的な観点からするとありませんね。ですが小春と僕は兄弟のようなものなんです。身元引受人とまでは行きませんが、孤児院を出てからもずっと気に掛けてきました。だから聞く権利はあるかと」
アクアさんからしたらあまり自分の事を根掘り葉掘り聞かれるのは楽しい事ではないだろう。しかも先輩の言葉からはアクアさんの事を不審に思っている感がにじみ出ている。
彼が不機嫌になるのも当然だ。そもそもアクアさんはあまり人間が好きではないのだ。
「あ、あの。アクアさんすみません。誤解がないように、ちゃんと説明をしますので。ご不快な部分があるなら、えっと別の場所で待っていて下さっても――」
「いいえ。私も話し合いの場に同席させてもらいます。私はコハルを守る義務がありますので、離れるわけにはいきません」
「守る義務?」
「あ、あの。先輩。その件も含めてちゃんと順を追って説明しますから!!」
店先で説明すれば、きっと瞬く間に噂として流れるに違いない。そうなれば私の無属性な魔力がとてもレアで人外から狙われやすいなどの情報まで広まってしまう。
これ以上下手に目立つのは避けたい私は、先輩が用意してくれた別室へ急いで向かった。
◇◆◇◆◇◆
「つまり、小春が無属性である事が竜によって多くの人外に知られてしまい、人攫いにあうリスクが高くなってしまった。その為に小春は誰かに守ってもらうために人外とのお見合いをする事になり、さらにアクアさんは小春が攫われないように護衛をしている。そして先ほどのフェンリルは次に予定していた見合い相手だったという事であってるかい?」
「そうです。フェンリル族とのお見合いはお断りしたので、私はまた別の方とお見合いをする事になりそうなんですが……ははは」
先輩が難しい顔をしているので、私はから笑いをするしかなかった。
嘘みたいな話だが、これがこの10日間で本当に起こった事なのだ。
「それで今日は、グノーさんから貰った宝石を換金して、お金にしたいなぁって思ってまして。もしも魔石に変えた方がいいなら、その作業もさせてもらえたらなぁ……なんて」
「それはいいよ。小春の生活がかかってるのは分かってるから。ちゃんとやるし、魔石にも数個変えてもらおうと思う。俺が心配しているのは、アクアさんとグノーとかいう竜は本当に信頼していいのかということだよ。そもそもそのグノーという竜の所為で、小春は危険な目に合ってるんだろ?」
まだ実際には危険な目に合っていないので何とも言えないが、グノーさんはグノーさんなりに悪いと思って、私に見合い話を持ってきてくれているという事は分かる。
アクアさんにしても同様だ。
「少なくとも、アクアさんはいい人です。さっき、フェンリル族に攫われた時もいち早く助けてくれたし、普段も色々手を貸して下さっているんです。グノーさんの所為で不自由な生活になってしまったのは間違いないですが、グノーさんも悪気はなかったと思います。私も無属性が、人外ではそんな立場だなんて知らなくて……」
「そうだな。俺もあえて言わなかったしな。下手にレアで人外に人気だなんて伝えて、悪い奴らの耳に入ったら小春が危ないと思ったんだ。幸いこの町は人外が少ないからそういう事を知っている人も少ないけれど」
「先輩は知っていたんですか?」
「宝石商は人外とも良く交渉するからな。多少は普通の人間よりはそういう情報が入ってくるし、俺は一度聞いたことは忘れない性質だから」
「そういえば、先輩は他種族の言葉もたくさん知ってますもんね」
先輩はとても頭がよく、特に言葉を覚えるのに長けている。人間の声帯的な問題で話せない言語もあるが、聞き取りだけならかなり多くの種族の言葉を知っていた。
だから人外が人間の耳にあえて入れないような噂も、ばっちり聞いているのだ。だから知っていてもおかしくない。
「でも人外との結婚はいばらの道だぞ? 上手くいっている例がないとは言わないが、どうしても人間の方が妥協して相手に合わせないといけない場面の方が多い。相手に守ってもらうという事は、相手よりも小春の方が力関係が弱くなるという事だから、嫌な事にも従わなければならない場面もあるだろう」
守ってもらうという事はそういう事だ。
分かってはいたつもりだが、いざ言葉にされるとキツイものがある。守ってもらいたいのは私の都合。だから守ってくれている相手よりもどうしても弱い立場になる。
でも今の私では、守ってもらわなければ闇オークション行きに怯え続けるしかない。そして実際に売られてしまったら、弱い立場どころか奴隷落ちな可能性だってある。知らない種族の中で子を産む為だけの奴隷とされた時、一体どういう扱いをされるのか、考えたくもない未来だ。
「コハルが一方的に不利になるような結婚はさせませんから安心して下さい」
私が口籠っていると、隣で私たちの会話を聞いていただけだったアクアさんが口を開いた。
「そんな事、どうして言えるんですか?」
「私がさせる気がないからです。グノーもコハルが望まない結婚は無理強いしない事を約束しています。そして竜は約束は必ず守りますから、絶対この点は大丈夫です」
「でもそんな小春に都合のいい相手がすぐに見つかるとは思えませんが? 見つからなかったら妥協しなければいけないでしょう?」
「すぐに見つからないならば、ゆっくり見つければいいんですよ。そして結婚しない限り、私はその間コハルを護衛する約束になっています。竜ほどエルフ族は約束に縛られませんが、幸いエルフ族は人間よりも長生きです。人間としてコハルが寿命を全うする程度なら、護衛を続けることは苦ではありません」
先輩の意地悪な質問にも、アクアさんはシレッと答えた。でも私は聞き逃せない話だ。
「そんな。私の一生って結構な長さですよ?! 怪我も病気もなかったら後50年近くありますよ」
「大丈夫です。私はコハルと一緒の生活を苦には感じません。もしも気になるなら時折魔石を下さい」
そう言ってアクアさんは私の手を握るとニコリと笑った。
……本気だ。アクアさんは、本気で言っている。何という仕事のプロだろう。凄い責任感だ。
「……早めに相手が見つかるよう私も努力します」
もしくはアクアさんに迷惑をかけなくても済む方法を早く見つけなければ。
何て凄い人が護衛について下さったのだろう。私は出来るだけアクアさんに迷惑をかけない様にし、魔石も定期的にお渡ししようと心に誓った。