一人目 ドラゴンさん1
紫の草が生い茂る森の中を歩きながら、私は何度目かの空腹を訴える腹の虫の音を聞きながらため息をついた。
「……お腹空いた」
口に出せば余計に空腹を感じて涙が出そうだ。朝から歩きまわっている所為で足もはっている。この辺りで、諦めて家へ帰るころ合いかもしれないと思いつつも、せめて一つぐらいいい石を拾えないだろうかと諦め悪く周りを見渡す。
私が探している石は宝石ではない。勿論小粒でも宝石が見つかればしばらくはご飯の心配をする必要もないぐらいに潤うのでありがたいが、そんな高望みはしない。私が欲しいのは、魔石に加工できる魔力透過度の高い石だ。
この世界は、魔法文明が発達しており、誰もが当たり前のように魔法を使う。しかし魔法は無から生み出されるものではない。体内から放出される魔力を使い魔素を動かす事で魔法は発動するのだ。だから使えば当然疲れる。この魔力量は人それぞれ違い、鍛えれば増えるが、足が無限大に速くはならないのと同じように、魔力量も無限大には増えない。そこで使われるのが魔石だ。
魔石は文字通り、魔力を宿した石のことだ。天然石もあるが、普通は魔力透過度の高い石に、人工的に魔力を注入する。私はそんな魔石を作る仕事をして日々過ごしているわけだが、この仕事ははっきり言って利益が薄い。
魔石を売るには、まず石を買い取らなければいけない。次に魔術師が作った魔法陣を使って魔力を注入する。それを魔石組合に収めて、魔石組合が一般販売する。
国の定めで、魔石はある一定の値段をつけられ競争はされない。何故ならば、魔石がないと生活の質がぐんと下がる為だ。そしてその値は、かなり安い。誰もが魔石を使えるようにと国が考えたことだが、正直魔石職人としては、かなりつらい。
何故なら、魔術師が作った魔法陣に売り上げの一割を納めなければならず、更に魔石組合が管理料を吸い取って行くのだ。そして石の原価も考えると、手元に残るのはスズメの涙となる。しかし魔力を込める作業は誰でもできる仕事だと低く見られているので、この不当な労働に対して誰も何も言わない。
……まあ、魔石が高くなったら、一般の方は生活が苦しくなるのだから、藪蛇な事は言わないのも当たり前だ。そして魔石職人なんてものに就職するのは、私のように学のない孤児や普通では働けない問題がある人だ。魔石づくりで必要なのは、体力とちょっとしたコツだけなので、生活に困ったものが最終的にその仕事につく。
「魔術師になれたらなぁ」
魔法陣を一度書いて渡すだけで、勝手にお金が入ってくる魔術師は高給取りだ。更に魔石に付加価値をつけてマジックアイテム化させる知識ももっている。マジックアイテムは魔石とはけた違いな値段で取引されてた。魔石に付加価値をつけるには、石自体を宝石にするか、マジックアイテム化させるしかないとされている。
でも付加価値を知識だけで付ける職業なので、学校に通い、試験を突破しなければならなかった。でも魔石職人のあこがれだ。いつか学校に通ってみたいが、そのためにはお金がいる。
だから少しでも生活を潤す為に、山で石を探しているのだが、世の中早々上手くはいかない。
「世知辛いなぁ」
ため息交じりに泣き言を呟いた時だった。
ズシンッ。
森の中で地響きを感じた。木々がガサガサと揺れ、鳥が我先にと逃げるかのように飛び立っていく。明らかな異常事態に逃げなければならないと頭は警告した。しかし私はその場で凍りつく。
木々の向こうに、巨大な影がみえる。その影は、ゆっくりとだが、確実に私の方へと向かっていた。
「あっ……」
叫び声も上げられなかった。枝を折りながら出てきたのは、私の背よりずっと大きな大木より、更に大きな竜だった。茶色と緑の鱗に、尖った背びれ。長い尻尾。背中の羽は折りたたまれていたがそれでも大きい。縦長の瞳孔をした黄色い瞳が私を見つめているのを見て、死を覚悟した。
「がぁぁぁああう」
竜が吠えるだけで、吹き飛ばされてしまいそうだ。私はその場にぺたんと座り込む。
逃げようとも思えない。一矢報いようなんて、夢のまた夢だ。ただただ、もう力が抜けてしまった。あんなに感じていた空腹も、人生最大のピンチの前では消え去ってしまった。
「あー……こんなものか。娘よ。いい匂いがするが、何を持っているのだ?」
唐突に人の言葉を話し出した竜に、最初何を言われたのか分からなかった。茫然と見つめ返していると、竜は鋭く尖った爪でほおポリポリと掻いた。やけに人間臭い動きだが、あの黒く光る爪で引っ掻かれたら、それだけで私は血まみれとなり死に絶えるに違いない。
「ん? 言葉が通じぬか? この辺りの人間とは百年ほど話していないからなぁ。なあ、私の言葉は分かるか?」
「えっ。あっ。分かります」
「なんだ。通じておるのか。全く喋らぬから、言語が変わってしまったのかと思ったぞ」
えっ。私、今、竜と喋っている?
混乱しながらも私は竜から目を離せない。というか、竜って人間の言葉を話せたの?
私に言葉が通じるのだとわかった竜は、大きな牙の生えた口をにやりとさせた。その顔は正直めちゃくちゃ怖い。でも、フレンドリーだ。
「それで、とても良い匂いがするが、何を持っているんだ? もったいぶらず、教えろ」
「えっ。あの。私、美味しくないです」
「は?」
「いや、ガリガリで、お肉ほとんどないです」
「娘よ。ちゃんと言葉は分かっているのか? まいった。匂いがとても気になるが、言葉が通じていないのか……」
ドラゴンが、困惑したような声を出した。風圧は凄いが、そのため息は、決して私を食べようとしているものではない気がする。というか、もしも食べるなら、既に食べられているのではないだろうか。
「あの。私を食べませんか?」
「食べない。人の骨は軟弱すぎてたいして美味くないからな」
マジか。人の骨がこの竜には柔らかいのか。
美味しくない発言されるのはいささか微妙だが、美味しいと食べられても困る。そもそも私だって美味しくないと自分を紹介したはずだ。
「な、なら。あの良い匂いって何でしょうか?」
「それが分からないから聞いているんだ。なんだ、ちゃんと私の言葉を分かっているじゃないか」
呆れているが、若干嬉しそうに竜はにやりと笑う。……鋭い牙がみえて、身が縮む思いだが、一応上機嫌そうだから良かったのだろう。
「私、食べ物は持っていません。えっと、今持っているものは――」
私は背負っていたリュックを下ろし、中身をその場にあける。
入っているのは、方位磁針、水筒、わずかなお金の入った巾着、スコップ、タガネ、ハンマー、それと自分で作った魔石だ。
骨が柔らかいというぐらいなので、もしかしたらタガネやハンマーをむしゃむしゃされるのかもしれないが、大事な道具なので、できれば食べないで欲しい。でも自分が食べられるよりはマシなので、ここは諦めて献上するべきか。
「おお。これだこれだ」
竜は鋭い爪が付いた手を伸ばすと、器用に魔石をつまみ上げた。それを鼻の近くへ持っていき、幸せそうに息を吸う。そして竜はためらいなく口の中へほおり込んだ。
牙が合わさり、ゴリゴリと音がする。……竜って、魔石を食べるんだ。マジか。
初めて知った事実に目が点になる。
「何と素晴らしい食感。程よく口どける甘さ。素晴らしい」
「……ありがとう、ございます?」
「娘よ。この魔石は何処に行けば手に入るのだ。これほど極上の噛み応えは、中々お目にかかれぬぞ」
「石はツェッペリン鉱山で採掘されたものですけど……」
石自体は珍しくない、魔石としては主流のものだ。魔石を食べるという発想がこれまでなかったので、石の取れた産地で歯ごたえが変わるとか考えたこともなかったが、食べた本人が言うなら違うのだろう。たまたま納品業者に石の取れた場所を聞いておいて良かったとほっとする。
「違う。石の産地などどうでもいい。これは魔力による変化だ。天然ものに近いが、おそらくは人工ものだな。誰が作ったか知らぬか? 知らぬなら、何処で買った。買った商人から聞けぬか?」
大きな顔を近づけられ、私の心臓がバクバクと鳴る。牙をむき出しにされ、涙がにじむ。正直、マジで怖い。
「あ、あの。その。わ、私です」
草の根をかき分けても探し出される気がした私は、嘘をつくのはやめた。
もしかして、魔力が関係するなら、やっぱり私はバリバリと頭から食べられてしまうのだろうか。不安で体が震える。
「なんと。お前が魔石を作ったのか?!」
「いや、その。魔法陣は魔術師にお願いして作ってもらったもので、私は魔力を注入するだけですが……」
「ならば、今度から私に売ってくれぬか? おお。そうだ。今の魔石も代金を払わねばならぬな。ただし今は人間のお金を持っておらんから、この宝石ではだめか?」
竜は空間を切り裂くとそこから、赤い石を取りだした。きらりと輝く半透明の赤い石を手に置かれ、私は目を見開いた。
「えっ、これ。ルビー?!」
「これでは足らぬなら、まだあるし、他の石に交換しても良いぞ」
「い、いえ。十分というか、貰い過ぎというか。はい」
「貰い過ぎではない。あの石にはこの宝石と同等の価値がある」
はっきりと宣言されるが、実感がわかない。初めて触る大粒のルビーに、私はさっきとは別の恐怖を感じる。
「い、いいんですか。本当に、貰ってしまって」
「ああ。構わん。宝石など腐るほど持っているし、作ることもできる。それで、今度は十粒ばかし魔石を買いたいが、いつ頃なら持ってこれる」
「あっ。えっと、昼間は仕事が立て込んでるので、休みの日となると10日後です。夜でもよろしいのでしたら、石が手に入り次第になるので、3日後には何とかできるかと思います。ただ、この宝石を換金してからになりますので、上手くいかない場合はもう少し時間を頂ければと……」
この宝石を売ったお金で石を買う事になるので、急いでもそれぐらいになるだろう。
「石があれば、もしやいつでもできるのか?」
「はい。石さえあれば、翌日には……」
伊達に毎日魔石づくりをしてきたわけではない。私の魔力は結構大きく、一度に多量の魔石も作れる。勿論疲れるので、いつもはそこまで頑張らないが、急ぎとあれば十個くらい朝飯前だ。
「なら、ほれ。これを持っていけ」
「えっ」
再び亜空間に手を入れた竜は、袋を取り出すと私の目の前に置いた。ズシリと重みのある袋の中を恐る恐る覗き見れば、石がゴロゴロ入っている。ぱっと見だが、かなり質がいい。
「最初は十粒だが、多分すぐにまた新しいものも欲しくなるから、その石を使ってくれ。なくなったら、また出すからその都度言ってくれ」
「えっ。あの。石、石代は」
「いらん。その代り明日までに作ってくれ。ただ夜の森は人間には危険だな……。そうだ。案内人をよこすから、家で待っていろ。後は家の場所が分かるように、私の鱗を持っていけ」
渡された鱗は、光沢のある茶色で、光の加減で緑に色を変えた。言われなければ、宝石だと思うだろう。ルビーに、質のいい魔石の原石に、竜の鱗……。今の私、凄い金額を持っている。
言わなければわからないが、今までここまでの大金を持った事がないので、盗賊や詐欺師が何処からともなく現れるのではないかと挙動不審になる。
そもそも竜と取引をするなんて、これは夢だろうか。
「では、よろしく頼むぞ」
バサリと竜が背中の羽を動かせば、嵐のような風がおき、髪がぐちゃぐちゃになった。巨大な体が空へ舞う姿を、私はしばらくの間ぽかんと見送り続け、見えなくなってから再び手にした石を見る。
「……現実、だよね?」
突然竜が現れて、大金を渡されるなんて、まるでおとぎ話だ。
私の言葉に誰からも返事が返ってくることはなかったが、この夢が冷めない限り私には魔石を作る未来しか存在しないのは明らかだった。