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 ドアベルが鳴る。ウェネフィカ質店の店内は、外と同じくらい寒かった。

 クリスティンはコートを脱ぐこともせず、店内の暖房をつける。最新式の暖房器具ではないので、店内が暖かくなるのに時間がかかるが、最新式に買い換える余裕などないのだから、我慢するしかない。


「どうぞ」


 クリスティンに続き店内へ入って来たのは、ユリウスだった。クリスティン同様、コートを脱ごうとはしない。


「救急箱、どこに置いたっけ」


 傷の手当てをするため、ふたりは店にやって来た。

 ユリウスはとりあえず、カウンター席に座る。店内は薄暗いが、徐々に暖かくなってきた。雪の水分を吸って濡れてしまったコートを脱ぐ。


「……ふぅ」


 落ち着いてみると、傷を負った頬や腕が、急に痛み出す。

 ユリウスは意識をそらすように、店内を見回す。昨日も来た店だが、昨日は店内を見るほど興味などなかった。

 魔女ウェネフィカ質店──一年かけて探し出した店。

 どんな店だろうと想像を巡らせていたが、期待はしていなかった。自分はこの店に預けられた『不幸』を捨てるため、探していたのだ。店主が自分よりも年下の、それも女の子だったのは驚きだったが、昨日の時点ではただそれだけの印象しかなかった。


「ありました、救急箱」


 ユリウスの視線が、店の奥から戻ってきたクリスティンに向けられる。

 可愛らしい子だ。黒い髪と青色の瞳、身につけているものも本人も素朴。やたらと着飾り、香水をふりまく女よりも、こういうタイプの方が好ましい。人によってはつまらないだとか、面白みがないだとか言うのかもしれないが。


「……魔法で治せないのか?」


 救急箱から包帯やら消毒薬やらを取り出すクリスティンにそう言えば、クリスティンの動きが一瞬だけ止まった。


「その……さっき見たものはすべて、忘れてくださると助かります」

「記憶力はいい方だからな。忘れるのは難しいかもしれない」


 冗談半分で言ったのだが、クリスティンは本気と受け取ったらしい。取り出した包帯を握りしめ、うつむいたまま視線をさまよわせている。


「……あなたの命を助けました。このぐらいのお願いを聞いても、ばちはあたりません。魔宝石も預かってますし……」


 先ほどまでのクリスティンは、堂々としていた。

 なのに今は、良くも悪くも普通の女の子──に見える。

 それが何故だかおかしく思えて、ユリウスはわずかばかり、口角を上げた。


「口は堅い。言いふらしたりしない。──さっきのは冗談だ。助かった、ありがとう」

「いえ……あ、はい」


 視線が合えば、クリスティンは気まずそうに視線をそらす。

 やっぱり普通の子に見える。ユリウスはそう思いながら、上着を脱ぎ、シャツも脱いだ。店内は十分に暖かい。シャツを脱いでも、あまり寒くはなかった。


「手伝いましょうか?」

「慣れてるから大丈夫」


 クリスティンの申し出を断り、ユリウスは傷を確認していく。大怪我はないが、細かい傷が多い。

 あの男ははじめから、長期戦に持ち込むつもりだったのだろう。嫌な剣だった。


「紅茶とコーヒー、どちらにします?」

「……コーヒー」


 思ったよりも手当に時間がかかりそう。

 この申し出は、素直に受けることにした。



 厨房でふたり分のコーヒーを淹れながら、クリスティンはようやく気持ちが落ち着いてきた。

 ユリウスは平然としていたが、クリスティンは違う。人前で魔法を使ったのははじめてだったし、戦いというものをはじめて目にしたから、心がしばらく、落ち着かなかった。興奮、高揚──胸のざわつき。

 こんな経験、したくなかった。


「お待たせしました」


 淹れたての熱いコーヒーを持って、店へと戻る。

 ユリウスはまだ、手当の最中だった。慣れていると言っていたが、確かに慣れた手つきだ。カップをカウンターに置き、クリスティンは自分の椅子に座る。


「……痛そうですね」


 視界に入り込むユリウスの上半身は、日に焼けて健康的な色をしている。日頃から鍛えているのだろう。無駄な肉がひとつもなく引き締まっている。

 でも今は、傷の方に目がいってしまう。コートは黒いのでわかりづらいが、白いシャツには血のしみが見える。


「まあ、痛くないとは言えないな」


 そう言って、ユリウスが傷口を消毒する。

 ユリウスは真顔で消毒しているが、見ているこっちの方が眉間にしわを寄せてしまう。


「──この店を探すのに、一年かかった」


 暖房の音に混じって、ユリウスの低い声がクリスティンの耳に届く。


「あの『薔薇』は必要ないのでしょう? なのにうちを探したんですか?」


 知らんぷりをしてしまえば、それで済むこと。

 なのにユリウスは、一年かけてウェネフィカ質店を探し、やって来た。


「母親に渡されたんだ。母親──両親が死ぬ前に」

「お亡くなりに?」

「二年前にな。──三年くらい前だな、自分の生まれを知ったのは。母方が皇帝家の血筋らしい。ずっと男子が生まれなくて、ようやく男子──つまり俺が生まれた」


 ぱちん、と包帯を切る。店には消毒液のにおいが漂っている。


「自分が皇帝家の人間──皇子だなんて言われても、よくわからなかった。どうでもいいと思った。……聞いたよ、俺にどうしてほしいんだ、って。両親は何も言わなかった。でも俺は、皇帝になれ──そう言われたような気がした。──で、家出した」


 過去を思い出し語るユリウスが、自嘲するように笑う。


「混乱してたんだと思う。冷静になるのに、一年かかった。両親はただ、知っておいてほしかっただけ、真実を告げるべきだと思っただけ──それが、一年かけて導き出した俺の答え。その答え合わせのために帰ったら、両親は死んでた」


 幸か不幸か、ユリウスは葬儀には間に合った。が、棺の中で眠る両親を見つめ、己の行動の愚かさを嘆いた。


「両親の死は、物盗りの犯行だと言われたよ。その瞬間、思い出した。一年前渡された、質札の存在を」


 両親はこれ・・のせいで死んだ。こんなもののせいで。


「海に捨てようか、燃やしてしまおうか──いろいろ考えたけど、結局、この店を探すことに決めた。見てみたかったんだろうな。両親の死の原因──皇帝の証、ってやつを」


 でも店に来て、クリスティンが倉庫から宝石箱を持って来たその瞬間、見るのをやめてしまった。


「どうしてです?」

「さあ? ……見るのが怖くなったのかもな」


 見てしまったら、後戻りできないような気がした。吐息のような本音が漏れたのを、クリスティンは聞き逃さなかった。

 でも聞かなかったことにしておく。

 手当を終えたユリウスが、痛々しい血のしみが残るシャツを羽織る。手当が終わったらしい。


「気持ちは変わりませんか?」


 コーヒーを飲み、椅子から立ち上がるユリウスに、クリスティンが問いかける。


「私には処分できません。魔宝石ですから。……引き取っていただくしかありません」

「もしくは、またここに預けておくか、だな」


 ユリウスは笑っていたが、目は真剣だった。

 クリスティンはなんと答えるべきかわからず、瞬きを繰り返すだけ。

 ──大切なものを永遠に預かる。いつか必ず、迎えに来るのであれば。

 それは理解しているが、いつだって決めるのは店主。

 クリスティンにはまだ、決められない。


「……意地の悪いことを言ったな。すまない」


 クリスティンが困っていることに気づいたユリウスが、黒いコートを羽織る。腰の剣が揺れた。


「では引き取っていただけます?」

「考えとく」


 欲しいのはそんな答えじゃない。曖昧な答えはいつだって、わだかまりを残すから嫌い。


「やっと見つけた!」


 慌ただしく店の扉が開いて、騒々しくドアベルが鳴った。ふたりの視線が同時に店の扉──マローネへと向けられる。


「いつまでたっても戻ってこないから、探しに来たのよ」

「……忘れてた。すみません」

「見つかったからいいけど……消毒液のにおいがするわね。怪我でもしたの?」


 店に入って数秒で、すぐにマローネは気づいた。


「何かあった?」

「何もありませんよ。戻ります」


 ユリウスが店を出て行き、マローネはクリスティンを見る。

 でもクリスティンは何も言わず、カウンターの上のカップを片付けるだけ。


「……またね、クリス」


 マローネが出て行き、店内に暖房の音だけが響く。店内にはコーヒーの香りと消毒液のにおいが残っていて、なんとなく気持ち悪い。


「……換気、しないと」


 立ち上がり、暖房を消す。窓を開ければ、冷たい風が店内に舞い込む。途端に寒くなるけど、気持ちいい。降り続ける雪には困りものだが、この目がさめるような冷たさは好きだ。

 きっと雪の日に生まれたからね。

 クリスティンはしばらく、店の窓を開けていた。



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