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 クリスティンの青い瞳には、星が輝く。

 それは幻想的で美しく、けれども怖いくらいにすべてを見抜いてしまう。羨ましいと言う者もいれば、不気味だと言う者もいる。

 でもこの目のおかげで、クリスティンはウェネフィカ質店を引き継ぐことができた。星の瞳はすべてを見抜く。この目は骨董品の鑑定に向いている。

 そう思えば、嫌いになどなれはしない。祖母と、そして母と同じ色の瞳なのだから。



 ひとりきりの夕食も終え、お風呂も済ませ、クリスティンは仕事部屋にいた。祖母が使い続けた仕事部屋の家具類はすべて、祖母が生きていたときのまま。宝石や骨董品、歴史に図鑑、分厚い本が詰め込まれた背の高い本棚に、ガラス製の一輪挿しの花瓶、爽やかな香りで部屋を満たしてくれる香炉。

 この部屋に入るたび、机に向かって仕事をする祖母の後ろ姿を思い出す。


「まずは開けないと」


 机には昼間、あの美しい男が置いていった赤い宝石箱。処分してくれと言われたが、中身も知らぬままでは、処分のしようがない。質札に付けられた金色の鍵を手に、宝石箱を開ける。


「……これは……」


 宝石箱を開けた瞬間、クリスティンの目が見開かれた。自分は今、何を見ているのだろうか?

 宝石箱の内側は、手触りのいい天鵞絨ベルベット

 それだけで高級感があるが、クリスティンが見つめているのは、宝石箱のちょうど真ん中──君臨する女王のような、紫色の薔薇。

 その輝きはダイヤモンド以上。水晶よりも透き通っていながら、上品な紫の色が強い。


「これは魔宝石──しかも」


 クリスティンは立ち上がり、本棚から一冊の分厚い本を取り出す。本にはいくつものしおりが挟まれており、その中のひとつ、赤いしおりが挟まれたページを開く。

 そこには精巧な紫色の薔薇の挿絵。


「……『皇帝の薔薇』」


 確かめるように、その文字をなぞる。

 二百年前、この国で起きた継承戦争──今では『薔薇戦争』と呼ばれているが、その戦争の原因のひとつとも言われている宝石の名が、『皇帝の薔薇』。本来であれば皇帝の手にあるべき宝石だが、行方知れずとなっている。

 一説では他国に持ち出された、兄皇子と皇位を争い敗北してしまった弟皇子によって破壊されたと言われているが、真実は誰にもわからない。

 その『皇帝の薔薇』が、今ここにある。


「…‥『皇帝の薔薇』が魔宝石だったことも驚きだけど……」


 どうしてこれが、うちに預けられていたのだろう?

 クリスティンは焦るように、机の端に置いた書類を手に取る。


「預けられたのは新暦五百四十年──今が六百二十年だから、八十年前──」


 正確に計算すれば、百年には届いていなかったが、そんなことは些細な問題でしかない。

 今問題にすべきことは、何故『皇帝の薔薇』がこの店に預けられていたのか、ということと、そしてクリスティンが、迎えに来た銀髪の男に処分を頼まれてしまった、ということ。

 あのとき、意地でも中身を確認すべきだった。

 クリスティンは後悔し、疲れたように椅子へ座る。


「魔宝石の処分なんて……私にはできない」


 宝石箱の中で輝く紫色の薔薇を、クリスティンは哀れみを込めた目で見つめる。

 魔宝石──それは魔女の心臓。

 クリスティンは見つめ続け、そして気づく。


「……?」


 雪が音を吸い込む夜の空気の中、音が聞こえた。気配、と言ってもいい。店の方からだ。

 宝石箱を閉じ、クリスティンは立ち上がる。見に行くべき? なんだかとても、嫌な予感がするけれど。

 ほんのいっとき迷ったが、いつまでも消えない警戒心に突き動かされ、クリスティンは仕事部屋を出た。



 戸締りをしっかりと終えた店内は、暗かった。カーテンを閉じているし、今夜は月も雪雲で隠れてしまっているからだ。

 クリスティンは寒い店内を明るくしようと、壁に手を這わせる。

 けれど明かりをつける前に、見てしまった。仕事部屋で感じた気配の正体を。

 店内の真ん中、立ち尽くす黒い影は人の形をしていて、闇よりも濃い。

 それは招かれざる客。

 なんて日かしら──!

 思わず、そう叫んでしまいたくなった。


「──ここはお前の来るべき場所ではない。主人のもとへお帰りなさい」


 クリスティンの厳しい声が、空気を震わせ、店内に響く。人の形をした黒い影が、ゆらりと揺れた。

 まるで帰りたくないと言って首を振る幼子のような仕草だったが、実際はそんなに可愛らしいものではない。

 黒い影が音もなく動く。

 クリスティンは日頃から持ち歩いている杖を取り出し、近づこうとする黒い影を牽制するように突きつける。


「帰りなさい。お前の主人のもとへ」


 かろうじて気配を感じはするものの、それだけ。意思も感じなければ、命の鼓動も感じない。

 クリスティンは黒い影から目を離さず、自分の背後──仕事部屋を気にする。

 黒い影が現れた理由なんて、ひとつしか思い浮かばない。


 ──『皇帝の薔薇』──


 一日が終わろうとする時間に、こそこそと忍び込んできた黒い影。

 この黒い影の主人が、『皇帝の薔薇』の持ち主だとはどうしても思えない。


「持ち主だと言うのなら、堂々と昼間に来なさい。──情熱の紅玉ルベウス!」


 杖の先が赤く光り、そこから生まれ落ちたのは鮮やかな炎。

 その炎は真っ直ぐに黒い影の心臓部分に命中し、一瞬にして影全体へ炎が回る。


「……厄介なものを引き受けてしまったわ」


 影は燃え尽き、あとに残ったのは床の焦げ跡だけ。

 その焦げ跡をしばし見つめ、すべての原因は『皇帝の薔薇』を処分してくれと言った銀髪の男にあるのだと思った。

 あの人が連れ帰ってくれれば、こんな時間に掃除をすることもなかった。

 冷たい水で濡らした雑巾で床を拭いていると、指先から凍っていくようで、眠気も遠ざかっていく。


「……あの人、皇帝家の人──なのよね、きっと」


 ひんやりと冷えた床に座り込み、焦げた床を見つめ、ぽつりと呟く。

 学生の頃、教科書を開いて学んだ。

 兄皇子と弟皇子による継承戦争。勝利したのは兄皇子。

 今の皇帝は、その兄皇子の血を引いている。

 でも皇帝の証である『薔薇』を手にしていたのは、弟皇子。

 人によって意見は様々だが、今現在は、弟皇子が皇位を継ぐべきであった、という意見の方が多い。暴君に暗愚──そう呼ばれる皇帝が続いたせいだ。

 教科書を開き、自分には関係ないと、ただただ聞き流していた歴史の授業が、頭の中で蘇る。

 ひんやりと冷たい床、指先は濡れた雑巾で氷のよう。

 窓の外、今年最初の雪と共に訪れた騒々しさに、クリスティンはどうしてだか思い出す。

 銀髪の綺麗なひと──紫の瞳の美しいひと──その身に流れているのはきっと、気高い皇帝の、最後まで『薔薇』を守り続けた弟皇子の血──。



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