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 ここが我らの帰る場所──そう呼ばれているのは、中央大陸の北に位置するパトリアという町。夏が訪れることはなく、一年の三分の一は雪が降る。

 そんなパトリアの一角に、質屋がある。


 ──『魔女ウェネフィカ質店』──


 店主は艶やかな黒髪と鮮やかな青い瞳を持つ、十九歳のうら若き乙女クリスティン。




 …・…・…




 どんよりとした灰色の重たい雲から白い雪が落ちてきたのは、午後になってからだった。

 クリスティンは淹れたばかりの熱い紅茶を飲みながら、よく磨かれた窓越しに雪降る通りを見つめる。

 ──今年最初の雪だわ。

 パトリアでは昔から、その年最初の雪は当分降り続けると言われている。

 実際、短くて十日、長くて一月の半分は振り続ける。


「今日はもう、誰も来ないでしょうね」


 閑古鳥が鳴くほど不景気ではないが、天寿を全うしこの世を去った祖母から店を引き継いで三年。

 ここウェネフィカ質店に、客が押し寄せることはない。一日の来客数はいつだって一桁。

 その証拠に、午前中の来客はひとりだけ。

 そんな中雪が降ってしまったら、ただでさえ少ない客足がさらに遠のいてしまう。入り口には『開店』の札がかかっているが、もう『閉店』にしてしまおう。

 クリスティンは半分だけ飲み終えたカップをカウンターに置き、立ち上がる。

 それと同時にドアベルが鳴った。扉が開いたのだ。冷たい風が、暖かい店内に舞い込む。


「邪魔するぞ」


「なんだ……お客様かと思ったのに」


 店に入って来たのは、男だった。金色の髪に、降り始めたばかりの白い雪を乗せている。


「なんだとはなんだ」


 男の名はジェイド・カウフマン。カウフマン宝石店の跡取り息子である。身につけているものはどれも一級品で、クリスティンよりも三つ年上の二十二歳。


「ご用件は?」


 クリスティンは素っ気なく言うと、カップを銀製のトレイに乗せる。


「ここに来る用事なんて、ひとつに決まってるだろ」


 手袋とマフラーを外しながら、ジェイドはカウンターの椅子に座る。


「……これ、いい紅玉ルビーだな」


 毎日丁寧に磨いているカウンターはショーケースになっており、そこには質流れ品や買い取った宝石達が綺麗に並べられている。

 ジェイドが指差しているのは、数日前に買い取ったルビーの指輪だ。イエローゴールドの台座に堂々と鎮座しているのは、大粒で上質のルビー。自分以外の宝石は邪魔だと言わんばかりに、ショーケースの中で輝きを放っている。


「うちが引き取ろうか?」


 ルビーを見つめるジェイドの目が、獲物を狙う狩人のような色を見せた。

 カウフマン宝石店の跡取り息子であるジェイドは、時折ウェネフィカ質店に足を運び、こうして買い取ったり質流れになった宝石類を引き取ろうとしにやって来る。


「この店で買い取ったものは、この店で売る。それがウェネフィカ質店の決まりごとよ」


 カップを乗せたトレイを持って、クリスティンは店の奥にある厨房へと移動する。

 ウェネフィカ質店は一階が店で、二階に店主であるクリスティンの自室等がある。住んでいるのはクリスティンだけ。祖母は三年前に他界し、祖父も母も、クリスティンが幼い頃に他界した。父親だけは存命だが、どこにいるのかわからない状態。兄弟も親戚もいないクリスティンにとって、このウェネフィカ質店は何よりも大切な場所。


「いい加減この店手放して、うちに来たらどうだ? 親父も祖父さんも、お前の鑑定眼は認めてるわけだし」


 だというのに、ジェイド・カウフマンと言う男は、店に来るたびにそんなことを言う。


「嫌よ」


 厨房から戻って来たクリスティンは、我が物顔で椅子に座るジェイドを睨む。


「何度も言わせないで。カウフマン宝石店とうちじゃ、商売のスタイルが違うでしょ」


 ウェネフィカ質店の歴史は五百年以上。店のある場所自体は大通りから外れているが、老舗中の老舗。

 ただ老舗と言っても、繁盛しているわけではない。その理由は、ウェネフィカ質店のとある掟にある。


 ──あなたの大切なもの、永遠にお預かりします。いつか必ず、お迎えにいらっしゃるのであれば。


 これが五百年以上続くウェネフィカ質店で守られてきたこと。他の質屋ではまず、ありえないだろう。

 そもそも質屋とは、担保を取り金銭を貸し付ける事業。期限までに返済ができなければ、担保は質流れ──所有権が質屋に移る。

 ウェネフィカ質店も、基本は他の質屋と同じ。

 ただある条件のもとでだけ特別に、品物を『永遠』に預かる。

 ジェイドをはじめ、他の店では絶対に理解されないし、できないだろう。正直に言ってしまえば、クリスティンも理解できない部分がある。

 何せクリスティンが店を引き継いで三年、預けた品物を迎えに来た客はひとりもいないのだ。店の倉庫には、いくつもの預かり品があるというのに。


「そんな商売のやり方じゃ、いつか潰れるぞ。そうなる前にうちに来ればいいだろ? 名前だけは残してやるぞ」


 赤字知らずのカウフマン宝石店と比べれば、ウェネフィカ質店の売り上げは微々たるものだろう。

 実際、贅沢ができるような暮らしではない。ジェイドの誘いに乗れば、今よりもずっと、楽な生活ができるはず。

 でもクリスティンがその誘いを受けることはない。ウェネフィカ質店の商売のやり方に思うところがあったとしても、否定するつもりもなければ、嫌いなわけでもない。

 もちろん店を手放す気もない。

 ここはクリスティンにとって大切な場所なのだ。


「店は売らないし、ルビーもあげない。さっさと帰ってちょうだい。ほら、雪がひどくなってる」


 いつまでも居座ろうとするジェイドを追い出すため、クリスティンが店の入り口を見る。雪はまだ通りを覆い隠すほどではないが、すぐに積もって、世界を純白に染め上げるだろう。

 今ならまだ、苦労せずに帰れる。


「初雪、いつまで降るだろうな」


 さすがにジェイドも、雪がひどい中帰る気はないらしい。マフラーを手に取り、首に巻く。


「去年は確か──十日降り続いたわ」


「十日、か。長いな」


「短い方よ。初雪にしては」


 ジェイドが手袋をはめる。

 この男が帰ったら、もう店じまい──そう思ったのだが、ドアベルが鳴った。

 クリスティンとジェイド、ふたり揃って店の入り口を見る。

 そこには男がいた。銀色の髪と、紫色の瞳を持つ美しい男。

 クリスティンは生まれてはじめて、見惚れてしまった。



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