第一話
ニーレベルギアは唯一の家族からベルと呼ばれている。
名前が長ったらしいからだ。
それ以外は「あんた」とか「あいつ」など、彼女は蔑称で呼ばれることが多い。
彼女は村の人間から忌み嫌われていた。それには理由がある。
人間には使えないはずの魔法を使えるからだ。
ベルは麓にある小さい村のでは噂がうわさを呼び、魔女、あるいは魔王の生まれ替わりではないかと囁かれている。それが原因で、ベルは他人の機嫌を伺い、いつもおどおどしていた、だが素直で、心優しく純朴な少女だった。
◇
麓の村から少しはなれ、陽光が注ぐ森の中。そこにみすぼらしい掘っ立て小屋があった。
小屋の隣の収納棚から、二人の男女が薪を荷車に詰め込んでいる。
その荷車の身丈に合わないほど、薪を山のように積んでいた。乱雑に積まれたそれは、重さだけなら数十キロはくだらないだろう。荷車から落ちないのが不思議なくらいだ。
「これで良し」
「重くないかな、スノード」
「ううん、大丈夫だ。ベル」
ベルは入れそびれた薪をかき集め、収納棚に入れていた。
彼女の家族、スノードは薪を詰め込んだ荷車の取ってを掴む。ベルはいつもながら、あの馬車は重くはないだろうかと不安に思っていた。けれど彼は、やはりいつも通りの調子で問題ないと微笑む。
「行って来ます。今日は抜剣祭の準備があるから、薪も良く売れると思う。そしたら夕飯は豪勢にしよう」
「うん、行ってらっしゃい」
ベルは小さく手を振る。スノードは森の超えた先の村に向かっていった。
二人は15、6歳で、木こりの仕事をしていた。手にはマメができて、村の住民に比べガタイもいい。
そしてベルとスノードは家族だが、本物の家族というわけではなかった。
こんな生活を始めたのはもう何年も前になる。
ベルの両親は早くに亡くなり、母と二人で暮らすスノードの家に引き取られた。
彼の母は器の大きい人で、村から気味悪がられていたベルを特に気にもせず受け入れた。だが、彼女も去年流行病で死に、今はスノードとベルの二人で暮らしている。
「あら、あなた。こんな朝早くからご苦労様」
「フリタニア…」
フリタニアと呼ばれた少女は何人かの取り巻きを引き連れ、ベルの目の前に現れた。
きっとスノードが出て行ったのを見計らって来たのだろう。
彼女は茶髪で、顔の均衡が取れ、村一番の美人だった。決して安物ではない化粧と香水をし、村の誰もが彼女を羨んだ。ただし、彼女に憧れるものはそう多くない。
性格は反比例するように、弱いものをいじめたり、差別したり、酷いものだったからだ。
「ふーん、目上の人間にあったのに、敬語も、挨拶も出来ないの」
「そうよ、そうよ」
取り巻きたちが騒ぐ。ベルは彼女の言葉をじっと堪え、口を開いた。
「……おはようございます。フリタニアさん」
ベルが堪えているのには訳があった。フリタニアはベルと同世代の少女だが、村長の娘、つまり自分たちの大口の顧客、その娘ということだ。収入の大部分を彼女の家でまかなっていると言っていい。
彼女は腕を組みわざとらしく挨拶した。
「ふふ、おはよう。今日はあなたに素敵なことを伝えに来たの。明日の抜剣祭、あなたを生贄になるらしいわ。きっと彼もこれで自由になるんじゃない?あなたみたいなお荷物がいなくなって」
彼女のいう抜剣祭は、数年に一度、勇者クラウが村の祠に残したとされる聖剣を抜く儀式のことだ。
その儀式を終えた翌朝、生贄を聖霊島に送り出す。
当初はこの聖剣を持ったものが島に迎う習わしとされたが、未だその剣を抜くものは現れない。
今は、儀式は半ば形骸化し、数年に一度行われる祭りとして、村の観光資源となっている。
そして今年の抜剣祭のあと、ベルが生贄として聖霊島に行くことになる可能性が高かった。
スノードの母が亡くなり、村には彼女を庇うものがいなかったからだ。そしてベル自身、今年は自分が生贄になるかもしれないと予感していた。
でもそれでいいとも思っていた。
フリタニアに同意するのは心苦しいが、確かに自分はスノードのお荷物だ。彼一人なら、母亡き後、今頃都市に移り住んで暮らしていただろう。
ただそう考えると、どうしようもなく悲しくなる自分がいる。
「――おい!何やってるんだ!」
声の主はスノードだった。
彼は荷車を地面に置き、走ってこちらに駆け寄ってきた。
「お、おはようございます、スノード様。私は薪を買いに来ただけよ?」
フリタニアは何度か瞬きをし、スノードを見た。
彼女がベルを邪険に扱うのには理由があった。
彼女はスノードに恋している。いつも目で彼を追い、何かあればスノードに絡んでくる。
ベルはフリタニアがスノードに好きなことに気付いていたが、彼に言えないでいた。
ベルは彼女に心の何処かで嫉妬していた。
それでも相手に攻撃をするフリタリアに比べればまだ可愛いものだろうと、自分を納得させていた。
「それでは失礼します。ああ、さっきのこと楽しみにしていてね」
フリタニアはベルにウインクをして去って行った。取り巻きたちも慌てて彼女に続き去って行く。
ベルは彼女が去ったことに安堵し、ホッとため息をついた。
「たく、声が聞こえたから来てみれば、ベル大丈夫か?あいつに嫌なこと言われなかったか」
「大丈夫だよ。ありがとうスノード」
「ごめんな、いつもお前のこと守ってやるって言ったのに」
スノードもフリタニアには強く言えないでいた。彼女が利益のほとんどを賄っている客の娘であることは十分理解していたし、子供二人が大人に混じって生活をすることがどういうことか、社会にもまれながら、薄っすらと理解しているつもりだ。変な騒ぎを起こすつもりはそうそうなかった。それでも、彼女に憤りを感じているのは確かだったが。
「変なのに絡まれそうになったら、かまわないでいい。さっさと逃げていいからな。俺はもう行くから…」
「…うん」
二人は気まずそうに別れを告げた。
◇
ベルは森の中で薪になりそうな木々を探していた。
それに魔法で印をつける。
朝早く日の出も出ないうちに、スノードと木を切りにいくためだ。
二人が子供ながら、きこりとして生活できたのは、彼女の魔法の力があったからだと言ってもいい。
印をつけるだけじゃなく、他にもいろいろ出来た、暖炉の薪に火を付けたり、新鮮な水を出したり、虫よけしたり、便利なもので単純なことなら彼女の力で事足りた。生前の母の話では、生まれた時からその力を使うことができたらしい。原理はわからないし、誰かに習ったわけではなかったが、便利なのだから、使えるものは使ってしまえばいいとベルは考えていた。
そして、その力で誰かを傷つけたことは一度だってない。
あらかたの木に印をつけ、手で持って帰れそうなものを集め自宅に戻ろうとする。その道中彼女は村の入り口辺り、村道沿いに出て来てしまった。
木々の合間からは村の連なる家が見える。
そこでは無邪気に遊ぶ子供たちがいた。何人か集まってかけっこをしている。
ベルは村での生活に憧れることもあるが、あそこで暮らしていた頃にいい思い出はない。薪の売り子もスノードが行っている。ベルは村の人から嫌われているため、自分が村で卸し売りすることはほとんどなかった。本当は自分が売りに行き、彼が働くのが一番いいのだが。
ベルはそそくさと体を反対の山の方に向ける。
だが、村道で何か、物が落ちる音が聞こえた。
小さいものだ、たぶん財布かなにかだろう、鉄がぶつかった時のジャラジャラする音がして、何枚かの銅貨が転がって来た。茂みの向こうから姿を見せ、ベルは何枚かの銅貨を慌てて掴む。
ベルは山道に出て財布を拾い上げ、それを落とした男に声をかけた。
「あ、あの落としましたよ」
彼はこちらに振り向いた。
「私の財布ですか。拾っていただいたのですね、ありがとうございます」
そう彼は微笑んだ。
純白の甲冑に、絹のような金髪と青い瞳。そして端正な顔立ちには誰が見ても見惚れるほどだった。
こんな村道にいるのに、彼の笑顔はまぶしく見える。
ベルにとって彼は、夢で見た騎士のようだった。