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恋愛でなく、自分に耽る

作者: 南清璽

 そんな思わせぶりなことをして。それも背中にしなだれかけてきたからだ。でも元は「人肌が恋しくなることってありませんか?」との言葉を不用意についてしまったからだ。だが、不用意と云いつつ実体として含みをもたせたものであるとの意識は存在していた。しかも、そういった向きの言葉を人影まばらな川辺の遊歩道で云うのは如何にもという具合である。でありつつ皮肉にも作為的でなく極自然に発せられたのだ。もちろん事の成り行き次第ではという考えも及んでいたのは事実だ。

 そう、至って普段の立ち居振舞いであった。しかし、そこには事施している面も存した。それは、まさにパラドックスだった。すなわち、普段通りでありながら、実は自身で演じているという。私はこういった具合に、自身をいわば高みから観察していた。さぞ、滑稽であろうところ、蔑む訳でもなく自己を顧みているのだ。だが、もっとも蔑むべきはそういったある種の自己性愛であり、いうなれば病的ともいえる感にあった。そして、それが病的だと思うばかりに苛まれるのだ。

 私は、鉄柵に寄りかかり、意味もなく川面を眺めていた。無論その背中には依然女の頬があった。そうして悦に浸っていたのだ。こういった耽美への傾倒は決して尽き果てるものではない。と同時に自身の自己性愛と相関にあると感じていた。ただ、そういった傾向と自己性愛が相関するとの考えは極めて情緒的であった。そう、情緒的と。しかし、そう捉えようとする向きはあくまで感覚的で、むしろ思考の放棄と見るべきかもしれない。それにしても実に無為な時の過ごし方だ。だが、無為でありながら、彼女がしなだれかかっている状況に深淵さを感じていた。だからだろうか。よく映画に出てくる、女性が水中を泳ぐシーンが思い浮かんできた。一方、そうなった所以を深層心理としてはどうかと考えてはみたが皆目分からなかった。とはいえ必然性は帯びていた。そう考えると今度は無為に過ごすのも良いものと思う次第になっていった。反面、彼女の肩を抱くなりあるいは衝動に駆られ抱擁すべきなのがこの場にあっての当為なのであろうかと思った。しかし、そういった気持ちのたかぶりがおこらなかった。どこまでも沈着でいられた。

 それが純愛というカテゴリーに属するのなら、高潔な趣きも帯びるのであろう。だが、その高潔さに惹かれる限りいわば偽善の意味合いがあるとも思えきたのだ。そのいずれに対しても、肯定とも否定ともあるいは併存するともいえない有り様だった。というか、私にしてみれば何れの色彩を帯びない、いわば非常に淡い灰色の様なものだった。こんな風に想いを巡らしていたら女は何やらつぶやいた。どうやらお腹がすいたといった様だ。こういった無邪気さや他愛ない様は即物的でもあった。やれやれ。思わずこの言葉が口をつきそうになった。でも私には似つかわしくない言葉であるのには違いない。


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