ACE BOON
アルバイト先の賃上げ闘争も終息し、いつもながらの平穏かつ無茶苦茶なアルバイト生活に戻る。
私達大学四回生達は、卒業旅行やら就職活動の話に花を咲かせて、これから先の夢や希望、そして不安をアルバイト終了後の早朝から、大学にも行かずに朝から酒を飲んで語り合う。
そして陽がくれる頃に目を覚ましてアルバイトに行くと言った、実に退廃的だが、各々には実に有意義な堕落した日々。
高速道路では年に一回、道路修復若返り工事期間がある。
約一週間、深夜に限り決まった区画を一部通行止めにして、工事を行う。
工事期間中は、サービスエリア内のレストランも午前零時から午前五時迄が閉店となる。
その時間帯は出勤者を減らして、清掃や店内の雑用をする事になっていた。
そこで私達アホなアルバイト達は、その期間を利用して大宴会を行おうと言う事になった。
総勢三十名が集まり、大阪市内の居酒屋で夕方から激しく飲み、二件目、三件目で下手くそなカラオケを歌って、アルバイト先であるサービスエリア内のレストランへとタクシーで向かった。
そしてこの明け方少し前に、上空をヘリコプターが舞いTVやラジオ、新聞で報じられた事件が起こるとは、この時酔っ払った平和なアルバイト達には全く予想だにしなかった事が発生する事になる。
既に酔っ払っていた私達アホなアルバイトは、アルバイト先に向かうタクシーに乗る前に、缶ビールや缶酎ハイ、果ては一升瓶を数本買ってアルバイト先のサービスエリア内のレストランに到着。
先発出勤していた新人アルバイト君達や、社員さんに買って来た酒を振る舞い、私達もまた飲む。
今から考えたら、まるで滅茶苦茶な光景だ。
社員さんは、ツマミになる料理を作って場を更に盛り上げる。
素っ裸になり、腹部にマジックで顔を描いた新人アルバイトが裸躍りをしたりして、お客さんの居ないレストラン内は壮絶な勢い。
午前三時頃に飲み疲れて、シフトに入っているアルバイト君は仮眠室へ。
私はシフトに入っていないので、独り暮らしの自宅へ戻る。
自宅に戻ると、余りの私の帰宅の遅さに辟易としていた彼女と寝ていたら、突然電話が鳴り、出ると「えらい事や!レストランが燃えてる‼」と叫ぶ。
「しょうもない事言うなや…。今から寝ようとしとったのに…。」と言うと、「ホンマや!ウソやったら百万円やるわ!」と叫び声がして電話が切れた。
「マジ?」と、半信半疑なままボーっとしていると、消防車のサイレンが聞こえる。
私はアルバイト先から、車で三分程の場所に住んでいた。
「これはえらい事や!と、いまだに酒が抜けていない状態で慌てて車に飛び乗ってレストランに向かった。
直ぐにレストランに到着しサービスエリア内を見ると、消防車が十数台停まっている。
既に火災は鎮火した様だが、レストランの厨房内はえらい事になっていた。
先程迄、酒を飲んで大騒ぎしていた社員さん、仲間のアルバイト連中は顔面蒼白になっている。
「一体どないしたんや?」と聞くと、「解らん。二階の仮眠室で寝ていたら煙の匂いで目が覚めて、起きたら廻りが火で真っ赤やった…。」と言う同僚アルバイト。
我々関係者は消防士さんの邪魔に成らないように片付けを手伝う。
どうやら火元は揚げ物に使うフライヤーの様だ。
聞いていると、徐々にその時の様子が分かって来た。
私はレストラン内の宴会が終わって帰宅したのだけど、その後に厨房内を片付けていたらしい。
フライヤーも火を落として蓋を閉めたと言うが、きっと火が点いていたままだったのか?と言う事。
時効だから言えるが、実際に火災が発生して飛び起きた皆が、慌てて燃え上がる厨房内に飛び込みフライヤーの火を消そうとスイッチを切り、消火器を撒いたが対処しきれずに延焼したと言うのが真実だと。
勿論、それは消防士さんには言えない。
酒を飲んで大騒ぎしていた事が露呈するだけでは無く、サービスエリア内での、今後の会社としての営業に係わる問題に発展するからだ。
何とか全員が口裏を合わせて「知らぬ存ぜぬ。」を通して、ガスフライヤーのサーモスタットの劣化による故障が原因となった様だ。
決して笑い事では無いのだが、その火災発生時の様子が後々に笑い話の種になる。
その場に居合わせた全員が、果てしなく酔っ払っているので目茶苦茶な状況だった様だ。
あるアルバイトは、何とか燃え盛る火を消そうと懸命に立ち向かい火傷を負い、また別のアルバイトは酒が全く抜けていずに、立ち昇る炎を見て指を指して笑っていたらしい。
別の酔っ払ったアルバイトは、火災を目の当たりにした瞬間に「大変や!この世の終わりや!」と叫んで帰宅した者。
またあるアルバイトは、火災も鎮火に向かって厨房内に入れた時に、火災発生の原因である油が残り火が点いていないフライヤーに、盛んに仕込んだ「豚カツやエビフライ」を入れていたみたいだ…。一体何をしたかったのか?後日、彼に聞いても全く何も覚えていなかった。
そんな状態で今から思えば、よく消防署にバレなかったとつくづく思う。
その時の社員が咄嗟に、販売用のガムをその場に居合わせた全員に手渡して、「酒の匂いが解らん様にしとけ!」とした判断が良かった?のだろう。
この機転によりレストラン側が、大した落ち度無く営業の存続が現在迄可能になった機転だったとつくづく思う。
そして一番可哀想だったのが、その日の厨房責任者である社員さん。
数日後、転勤されてしまった。
消防署の出した判定は「半焼」
不幸中の幸いでガスは点検待ちだが電気は大丈夫だったので、午前九時には、一部のメニュー限定で営業が出来る事になった。
一般のレストランとは違い高速道路を走るドライバーにとり、唯一食事が出来る施設なのである為、休む事は許されない。
ガスを使わないサンドイッチ等の販売で急場を凌いだ。
現在でもこの夜の事件は語り草になっていて、火災後の独特の焼け焦げた匂いが忘れられない。
そしてこの火災が原因で、レストラン建物の建て替えが計画よりも前倒しとなる。
レストラン火災発生事件も漸く落ち着きを取り戻した頃。
私達アホなアルバイト達は、「酒」について議論を交わす。
「美は境界線上にある。」等と訳の解らん事を言い出した私。
「限界を越えても飲み続けるんや!」と結局は飲む企画。
私が独り暮らしする部屋は、少し広く2DK。
此処ならより多くの人が入れると決まり、私の自宅が会場と決まった。
今回のタイトルは「アルコール強化合宿。」略して「アル強」
合宿内容は参加者六名が、それぞれ一万五千円分の酒を購入して私の自宅に集合。
安い酒ばかりが様々にキッチンに積み上げられた光景は、半端ではない。
「アル強」の決まりは、集められた全ての酒を飲み干す迄は例えな何日掛かろうと絶対に、私の自宅からは出ては成らない。と言うアホみたいな決まり。
付き合っている彼女には、「君の身の安全の為に、会の終了迄は決して来ない様に。」と伝えて、「アル強」の開始。
初めはただの飲み会だが、途中寝る者や嘔吐しまくる者、果ては喧嘩が始まる。意味無く泣き出し出す者迄出る始末。
腹が減ると、アルバイト先の高速道路サービスエリアのレストランに夜間電話して、強引に出前をしてもらう。
出前してくれた同僚のバイト君には缶ビールと缶酎ハイをプレゼント。
勿論、支払いなどしない。
もはや滅茶苦茶を通り過ぎている。
昼夜の感覚は全く無くなり、私の自宅内は凄まじい光景だ。
惨状と言っても良い状態。
隣近所の皆様には、ホンマにご迷惑を掛けてしまったと思います…。
結局全ての酒を飲み干すのに三日半掛かり、最早酔っているのか素面なのか分からない状態。
それから半日程全員で熟睡して、皆揃って近くの銭湯へ行きアルコールの汗を流す。
結局五日は掛かった事になるが…。
銭湯からの帰り道に、六名全員で立ち寄った焼き鳥屋でのビールは、想像を絶する程美味かった。
妙な解放感に包まれて馬鹿を言い、笑い合う。
今から考えれば正に青春そのものだと思う。出し方はどうであれ。
「アル強」も無事?に終了して、私以外の五名はフラフラで其々帰宅して行った。
私もフラフラで、ご機嫌な気分で焼き鳥屋を出て皆と解散して帰宅すると、目を背ける様な現実に直面する…。
2DKの自宅内は、まるでゴミの堆積場かと見間違う光景。
「あぁぁ…。皆で片付けてから銭湯に行くべきやった…。」と激しく後悔したが、それは既に後の祭り…。
暫くの間くよくよ悩んで、「とりあえずこのまま一度寝て、起きてから片付けよう。」と、まるで政治家の様な先送りを選ぶ。
そしてそのまま、堆積場で就寝して朝起きると当たり前の事だが、堆積場は堆積場のまま。
お腹は空いたが、この光景の中で食事をする気にも成れずにダラダラと片付けを始めていたら電話がなった。
彼女からだ。「うちの事忘れたん違うか?一体どないしてんのん?」と言わはる。
「すまん…。夕べ飲み会が終わって、さっき起きて片付けてる所やねん。」と、如何にも二日酔い…いや三日酔いみたいな声で答える。
「私の仕事のシフト知ってるやんなぁ?」と言う彼女に、「勿論知ってるけど、片付けてから連絡しよかなと思うてたんや。」と言い訳がましい返事をする。
「今、梅田迄来てんねんけど、後どれ位で終わりそうなん?」と聞かれて、私は心の中でガッツポーズをとる。
「ん~結構散らかってて、後一時間半位かなぁ?」と言うと、溜め息混じりで、「しゃあないなぁ…。このまま家まで行くわ…。」と答える彼女。
「よっしゃ!」と不謹慎な喜びでガッツポーズをとる私。
とりあえずは、大まかな目立つゴミをゴミ袋数袋に入れて、片付けを頑張っていた痕跡を残す果てしなくズルい私だ。
三十分少しで、彼女が到着。
「何これ!?」
「そやねん…朝早くから片付けてるねんけどな。ゴミやら瓶、缶やらは片付け終わったんやが、今から洗い物と掃除洗濯やわ…。」と如何にも片付けに頑張り疲れた様に言う。
一言呆れたように「あほ」と言われ頭を掻く。
自宅内の各所に行く度に、「何これ!信じられへん!?」と叫び声を上げる彼女に心の中で手を合わせる私。
「このパンツあんたのんと違うやん!なんでパンツがあるのん?」
と聞かれても、解らない物は解らない…。
確かに寝室に設置していた観葉植物の鉢の上に置いてある汚いパンツは意味不明だ。
「知らん、解らん、覚えてない。」を、非核三原則の様に繰り返す。
漸くなんとか片付け終わったのは、それから約三時間後。
私が独力で片付けたとしても、絶対に此処まで綺麗に片付かなかった事には自信がある…。
まだ少し残る酒と空腹を引きずりながらシーツを洗い布団を干して、やっとの事で食事に出掛ける事が出来た。
夏のある日夜勤のアルバイトを終えてから、厨房の社員さんと二人で、それぞれの車二台で山に走りに行く事に。
二人が乗る車は、峠を攻める様な爽やかな車では全く無かったが、真っ昼間から箕面市の山へ。
猿が多い事で有名な箕面の山へ、猿の様な二人が車に乗り山道を走る筈が、道はほとんど車は走っていないのだが、登りの道で前を行く1台の車が矢鱈と遅い。
40キロの制限速度の道を、20キロ程でゆっくり走っている。
これには流石にイライラしていたら、私の前を走る社員さんの車がクラクションを鳴らした。
「まぁもっともやな。」と思っていたら社員さんは、当時でも流行遅れだった様々な音を出すホーンを車に付けていて、パッシングしながらパトカーのサイレン音を出して、前の車を煽っている。
しかし一向に、避けるでもなくスピードを上げるでもなくゆっくりと走っている社員さんの前の車。
業を煮やした社員さんは、これも車に付けていたスピーカーで、「前の車、遅い!早よ行け!」と大音量で叫んだ。
その時遅い先頭の車が、「後の車停まりなさい!」と窓からいきなり赤色回転灯を出した。
「あっ!覆面やがな!」と思った時は既に遅く、どうする事も出来ない…。
唖然とする私と社員さん。
車内から警官二人が出て来て社員さんに、「パトカーにパトカーのサイレン鳴らして煽るアホは、お前が始めてやわ。」と苦笑いしながら言うてる。
そしてもう一人の警官が私の所へ来て、「お前、こいつの連れやな?」と聞くので、「他人に見える?」と聞くと「よっしゃ。とりあえず車から降りて。」と警官。
無線で呼んだらしく、1台のパトカーが暫くして到着して先頭と最後尾にパトカーでサンドイッチ状態のまま、そのまま車を運転して箕面警察署へ。
まずは取り調べ。自らの車であるかの確認とそれぞれの車の検査。
二台共にかなり改造した車だったので、この点でキップを切られる事になる。「整備不良」
顔写真を撮影されて私はそれだけで済んだのだが、社員さんはそうは行かない。
先ずはサイレン。そしてスピーカーを同意の上で没収され取り外されている。
私は私で、自らの車のダッシュボードに大量に入っていた彼女と行ったラブホテルのライターやら何やらを見られて、「お前は猿か?故郷が懐かしなって箕面迄来たんか?」とからかわれる始末。
「ほっとけ!どついたろか!」と腹もたったが、相手が相手だけに其れも出来ず、「「ほっといて」と返すのが精一杯。
それを聞いていた周りの警官も笑いよる。
腹が立つわ、情けないわ、恥ずかしい夏のある日だった。
爽やかさとは全く無縁な大学生。
ホンマに最低な事ばかりが起こる。
まぁ自らが起こしているのだけど…。
当時住んでいた2DKのハイツの隣は、6人家族が居住していた。
仲の良い家族で、夕方父ちゃんが帰宅すると長男と二人でキャッチボールをしたりしている。それが私にはとても微笑ましく羨ましい。
そんな家族のお母ちゃんから、「大学生さん?もし良かったら、長男の勉強を教えてやってくれない?」との依頼…。
これには慌てて、「色々時間が無いので、少し考えさせて下さい…。」と言う私。
とんでも大学生の私に教えれたら、長男の一生の不幸だ。
その話を彼女にしたら、「英語なら全然大丈夫。」と無い胸を張って言う。
確かに…。彼女は大手ホテルのフロントやった。
英会話は必須だ。
彼女が休みの日や仕事上がりで私の自宅に来る日なら、長男君の英語は教える事が出来る。
その事を隣の母ちゃんに伝えると、えらい喜び様で気が引けた…。
勉強会場は私の自宅。一回二時間半。
週二回から三回。時給等は断ったのだけど、それは困るとおっしゃるので、一ヶ月につき二級酒の一升壜三本と言う何とも昭和の良き日の手の打ち方で決まった。
彼女は日本酒は飲めない。しかし実際に教えるのは彼女。
全く理に叶わない話だ。
授業が始まった日、私も横に居ながら授業を見ている。
彼女の発音は初めて聴いたが素晴らしい。と大学生の私は情けなく下を向き聞き入る…。情けない限りだ。
下を向くのは授業を受ける長男君も何故か同様。
夏場だ…彼女は、ノースリーブにショートパンツ姿…。
長男君が下を向くのはそれが原因なのだ。
中学三年生。チラ見する視線は、まるで標的を狙うゴルゴ13顔負け。
彼女は笑いを堪えながら授業を進める。
初回の授業での教訓は、「普段着はアカン。地味な服着なアカンな!」と言う事だった。
ゆっくりと親しんでくれた長男君の話が中々に面白く、思春期ど真ん中の長男君。
傍目から見ても、とても仲の良い理想的な家族。
家族仲が良い。イコール夫婦仲も良い。
お祖母さん、夫婦と子供三人が暮らす2DK。
安普請のハイツ故に、様々な音の問題が。
私も友人との話し声やら彼女との声には気を使っていて、先日のアル強では多大なご迷惑をお掛けしたと反省するのだが、お隣の御夫婦。
「若者よ見習え!」とばかりのライブ活動を夜な夜な実況報告して下さる。
例えて言うならば、それはまるで「獣の咆哮」だ。
余りの仲の良さに頭が下がる思いだ。
そしてそれがまた、良く聞こえる。
その事が長男君には「たまらん」らしく、恥ずかしそうに彼女が居ない時に漏らす可愛らしい中学三年生。
そして長男君の寝場所が私の寝室と壁一枚なので、「ドキドキします。」とも漏らす更に可愛らしい中学三年生。
「これは申し訳無い…。」と思いながら、「君も高校生になったら彼女を頑張って作るのだよ。」と言うと、長男君は鼻息荒く「はい!」と言う。
すまない長男君よ。
板挟みにしてしまって…。
大学卒業後、このハイツから転居してからは長男君とは会っていないが、きっと素晴らしい社会人となっているだろうと勝手に考える。
大学生活最後の夏休みも終わりに近づいた頃に、バイト先での仲間達や社員さんも含めて海へ行く事になり目的地は福井県の日本海。
何故か一人一人が自らの車で行く事に。
どうせなら、それぞれに分乗して乗れば高速道路代やガソリン代も安く付く筈なのだが、理由は「ナンパ」。
ナンパに成功した後の事を考えて、誰からも何も言い出さないままに、自然とその流れに。
自らの車を持つ者だけが今回の参加者。
それぞれが無言で、夢と希望と野望を抱き日本海へ向けて出発。
十数台で目的地へと向かう。
明け方に日本海の海水浴場に到着した私達。
少し休憩して、海水浴客が増え出した頃に満を持して砂浜へと向かう。
海水浴場では小学校の臨海学習もしていて、先生方に引率されて泳いでいる小学生達が、砂浜に待機している先生が叩く太鼓が「ドン!ドン!ドン!」と鳴り渡ると、水泳を止めて「ワーッ」と声を上げながら砂浜に集合して整列する。
その光景を見たアホな私と数人の友人は、小学生の真似をしながら彼等の列に混じり整列して、引率の先生方から嫌な顔をして嗜められる。
陽が高くなるに連れて海水浴客が増えて来た。
女の子達も見受けられる様に。
目的の時間がやって来たのだ。
ある友人は数人のグループを作り女の子達へ。
二人一組で行く友人やら様々な攻略態勢だが、私は一人で果てしなき野望と言う荒野へ向かう。
二人で来て身体を焼いている女の子に向かい話し掛け、「自分等どこから来たん?」「私ら大阪から。」「えーほんまー?俺、東京からを来てん!」と言うと、「絶対うそやー!メチャメチャ大阪弁やんか!」と、取り敢えず話の掴みを取る。
「いやいや嘘や無いで!ホンマに東京から来たんやて!」とある程度真剣な顔をして断言する私。
「えーっ、そんなん信じられへん!ホンマは東京とちゃうやろ!?」と乗って来た女の子二人。
「ホンマやて!東京の何処から来たんやと思う?」と聞くと、「絶対嘘や!そんなん信じられへん!東京の何処から来たんよ!?」と言う二人に、「富田林」と同じ大阪でも、私が住む場所とは全く違う事を言う。
「アホや!何処が東京なん!思い切り大阪やんか!」と笑いを取り掴みは成功した私。
そして座り込んで、愚にもつかない話を始める。
そのうちに、二人の中の一人と話が合いだした。
だらだら喋って居たら私と同じ四回生ながら、二年留年している先輩が一人でやって来た。
「おぉ此処に居ったんか?探しとってん」と目配せをする気の合う先輩。
二人で話を盛り上げて、四人でランチへ行く事に。
海水浴場から少しだけ離れた店に入り、ビールや酎ハイをどんどん皆で飲むうちに、それぞれが別行動に。
話を聞くと、私達が住む隣の市に住んでいて二人共看護師さん。
二人共看護士寮に住んでいるとの事。一台の車で二泊三日で遊びに来たらしい。
気が付けば私は二人が宿泊するホテル、先輩は自らの車の中へと。
様々な事が終わり、交わした話の中で私と居た女の子は彼氏が居て、もう一人の女の子は彼氏が現在居なくて募集中だそうだ。
「また機会が有ったら遊びに行こうな!」と電話番号だけの交換で、私達二人は割り切った遊びで終わったんだけど、先輩はこの後に泥沼にはまる事になる。
成功した者、失敗に終わった者。そして成功したと思いきや泥沼に足を突っ込んだ者。
悲喜こもごもの思い出を乗せて、日本海を後にした。
海水浴から戻り、その翌日彼女と会う。
在り来たりな土産物を渡して、「疲れたわ….日焼けが痛い」等と適当な話に始終する私に不信感をいだいたのか、彼女は何やら疑わし気だ…。
「いらん事してへんやろな?」と聞かれたが、ポーカーフェイスな私。
「そんなに信用出来んか?」と役者の様に返事。
「ごめん…。」と言う彼女に、心の中で土下座しながら「バイトの夜勤明けで行ったから、砂浜で爆睡してて身体を焼きすぎたからホンマに全身痛いわ…。」等ともっともらしく繕う。ごめんなさいな私。
「申し訳無い…。」
大学生活最後の夏休みも終わり、いよいよ就職内定先のセミナー等が始まる。
私の内定先である不動産会社も、夏休み以降三回程のセミナー兼パーティーみたいな行事があった。
ホンマに、セミナーとは名ばかりのパーティーだった。
さすがはバブル景気。
現在では中々考えられない催しだと思う。
秋口に入り卒業を控え、甘い学生生活に別れを惜しむ様に遊びは加速する。
大学入学して、少しの間バンドを組んでいた事のある私は、もう一度やりたいとの思いに駆られ早速バイト仲間や社員さん達とバンドを結成する。
勿論コピーバンドだけど、コピーするバンドは私が中学二年生から現在に至る迄の約三十五年間、変わらず私の心に熱いメッセージを叩き込んでくれる偉大なバンド。
「The MODS」だ。
私の人生の一部と断言出来るバンド「the MODS」
この偉大なバンドについては後程熱く詳しく語りたい。
早速スタジオを借りて集まるメンバー。
ボーカルは私。へたくそな歌しか歌えない私が何故にボーカルか?
それは楽器が弾けないから…。
ただそれだけの理由。
気持ちだけがあった。ただそれだけ。
The MODSのボーカリスト「森山達也」の眼が大好きで憧れた。
ただ歌唱力だけが全くついて来ないのだけど、必死になって言葉を叩きつけた。
結果はどうであれ幾度かライブハウスでプレイ出来た事が、現在の心の宝物である。
束の間の熱い?バンド活動もタイムリミットが近づき、その活動は思いとは裏腹に花火の様に弾けて消えた。
秋も深まり、私自身がこれからの社会生活に向けての闘いに入る準備の時が近づき、何かとバタバタとし始める。
この時を現在振り返って、自らの「蒼い鼓動の時」だったと感じる。
全ての新卒者がそうであった様に、不安と希望。
そして「まぁ何とかなるやろう。」と言った妥協。
そんな思いが交差する中を、迫り来る時間の中で自問自答するが、全く答も出ずにカウントダウンの日は過ぎる。
昭和天皇が体調を崩されたのも、この時期。
テレビのテロップで、御容態について逐次流れる。
私自身がそうである様に、時代が代わる雰囲気が犇々と伝わる。
しかしまだまだ現実認識が甘過ぎる程甘い、大学生活最後の秋。
もう少しで、現実を叩き込まれる事になる。
そして暫く経ち昭和天皇が崩御され、元号が昭和から平成に。
崩御された日は、私は高速道路サービスエリアの夜勤アルバイトをしていた。
近々この様な事態を想定して喪章を準備し、崩御された一報が届くとすぐに、店内のBGMを国歌である君が代に変更して、サービスエリア内に掲揚している国旗と道路公団の旗を半旗にして掲げ、哀悼を表した。
アルバイトが終わり、アルバイト仲間達が私の自宅に集まり、酒を飲みながらテレビを囲む。
日本にとって大きな時代の変化が来た事を見届け様と画面に見入る仲間達。
不敬極まるが、飲みながらだ…。
やがて新しい元号が発表されて、画面を観ていた全員が「おおぉっ」と声を上げる。
「平成」の始まりだ。
意味深い新たな元号に、仲間達は様々な意見を出し合い議論する。
新しい時代の訪れ。
そして私にとっても新しい生活の始まりとなる「平成元年」
そして一月末にアルバイト仲間である友人と二人で、卒業旅行と称して十日間のアメリカ旅行へ行く事となる。
出発前日はわくわくして落ち着かない、嬉しがり極まりない私。
そしていよいよ出発の日。
関西空港がまだ無かった当時、先ずは伊丹空港から羽田空港へ飛び、其処からバスで成田空港へ移動。
それだけで疲れた私と友人。
一緒に行く友人とは同じアルバイト仲間である、後に私の妻となる彼女に就職の世話をしてくれた友人だ。
空港施設周辺や幹線道路は、昭和天皇が崩御されて間がなく大喪の礼を控え厳戒態勢だった。
朝に伊丹空港から出発して、成田空港で漸くシアトル行きの飛行機に乗り込んだのは日が暮れてから。
何故か友人とは席が全く違い私の隣には、とてつもなく肥った欧米人のおばちゃんが座っている。
このおばちゃん、英会話は全くに近い程不可能な情けない大学生の私に、矢継ぎ早に解読不可能な英語で話し掛けて来る。
解らんかったら解らんと言えば良いのに、変な所で負けん気を出し納得した様な顔をして、「そうですねぇ。昭和二十年の冬は寒かったですわ…。」等と、自分でも理解に苦しむ事を答える。
適当なやり取りにお互い疲れて、欧米人のおばちゃんの寝て、私は持参した文庫本を読む。
暫くしてから、さして美味しくもない機内食を食べて再び読書していたが、読み終わり次の本を取り出した準備の良い私。
そんな私も見ていた欧米人のおばちゃん。
先程迄私が読んでいた文庫本を指さして何やら言っている。
どうやら、この文庫本を譲ってくれと言っている様だ。
「WHY?」と、どない考えても日本語を理解していない欧米人のおばちゃんが読めるのか?と悩みながら、「あぁ、よろしおまっせ。」と手渡した文庫本は、司馬遼太郎著「燃えよ剣」…。
私が敬愛する、新撰組「土方歳三」氏を描いた傑作だ。
私が「燃えよ剣」の下巻を手渡すと、欧米人のおばちゃんは嬉しそうに握手を求め、ペンを取り出して何かを訴える。
どうやら文庫本の巻末部分に私のサインを求めている様だ。
理解に苦しみながら、まぁええか?と考えてペンを借り我ながら達筆な文字で「新撰組副長 土方歳三」と笑いをこらえながらサインした。
おばちゃんは喜び、家族の写真やらを見せて来る。
私も日本語で適当極まる返事をしながらの珍道中が始まる。
少しの間眠った私。
目を覚まして半開きにしていた窓から外を眺めると、薄明かりが射して地上が見える。
「遂にアメリカ大陸に来たか!」と食い入る様に地上を眺める私。
全く変わらない景色に、「さすがはアメリカ大陸や!広い!日本とは違うな。」と心中で納得しながら、約三十分は真剣に眺めていた。
隣の欧米人のおばちゃんが目を覚まして、何やら声を上げていきなり手を伸ばして窓を全開にした。
その瞬間、私は独りで赤面した。
アメリカ大陸に近づき海岸線だと思って真剣に眺めていたのは、自身が乗る飛行機の主翼…。
主翼を形成するジュラルミンの継ぎ目に打ってある鋲を海岸線だと信じ、塗装の剥がれや色彩を海や波、そして地面だと信じて真剣に見詰めていた自分が恥ずかしい。
独り恥ずかしさに赤面しながら、暫く飛行機は飛び遂に本当のアメリカ大陸が見えて来た。
シアトル空港に到着した私達。
其処からまた飛行機を乗り替えてサンフランシスコへ。
ホテルに到着した私達は早速街に飛び出した。
見る物全てが珍しくて街を歩き倒す。
街には私の好きな、ロックな商品や服を扱う店が多くてウキウキする私。
英語が堪能な友人に較べ、全くに近い程ちんぷんかんぷんな私だけど、店員さんに用事が有れば「すんません」商品欲しい時は、「これなんぼ?」と聞けば、大抵雰囲気で通じる事に気付く。
彼女への土産にする衣装何かも、自分のこれ位の身長で、身の回りがこれ位と、抱いた感じのサイズを言うと中々ぴったりな物を出してくれる。
歩き回り腹も減ったので、街のハンバーガーショップへ。
友人がオーダーした後で、私がメニューの写真を指さして「これを4つとコーヒーのラージ」とオーダーすると、ボブマーレイの様なアルバイトの兄ちゃんが、首を傾げて「ハンバーガー4?」と切なそうに言う。
どうやら日本人の食欲を理解していない様だ?
「yes」と、私のとって置きの英単語で返答したら、肩を竦めながらキッチンにオーダーするアルバイトのボブマーレイ。
暫くして出来上がったハンバーガーを受け取りに行くと、確かに日本のハンバーガーよりはボリュームがある。
コーヒーのサイズが矢鱈とデカイが、気にも成らずに完食。
道行くアメリカ人は、総じて親切な印象を受けた。
どこに行っても良く食べ良く飲む私に、友人は呆れ顔。
ある日はホテル内のショップで、部屋で飲む酒を買いレジに持って行くと、レジのおばちゃんが何かを言っている。
友人に、「何て言うてるのん?」と聞いたら、「これ全部あなたが飲むのかい?」って呆れて言ってるよ。と言うので、「勿論さ!」と爽やかな笑顔と日本語で答えると、呆れた様に首を振るレジのおばちゃん。
ロスの街では俳優、松田優作が映画の撮影をしているのを見る。
私達と同じツアーに参加したいた二人の女子大生を自らの部屋に呼んで、酒を飲んで様々なな事が有ったりもした優しいアメリカ。
スロットルとルーレット三昧で、結局少しだけ利益が出て、欲しかったウエスタンブーツとライダースの革ジャン代になったラスベガス。
そしてハワイへと移動した私達。
日本語を少し理解するショップのお姉さん達と飲みに言ったりする始末。
やっている事は日本と余り変わらないアメリカ旅行。
様々な思い出を詰め込んだ十日間が、あっと言う間に過ぎた。
帰国後土産物を配り歩き、我が身に付いた事と言えば「値切る事だけ。」
色んな事があった卒業旅行も終わり、いよいよ残すのは卒業式のみ。
相も変わらず私は、高速道路のサービスエリア内レストランのアルバイトと、中古車販売のブローカーの毎日。
しかしその事自体が、何だかセピア色に見えて来る。
アルバイト仲間達も、卒業を控えてバタバタとしだしだす。
あるアルバイト仲間は、卒業式を終え故郷に帰る前に今まで四年間通った散髪屋さんに寄り、最後にカットして貰う最中に、私と朝から飲んだアルコールが逆流して、散髪の最中に大騒ぎを起こした奴も居た。
様々な希望と不安とを胸に、出鱈目過ぎた学生生活に別れを告げて、皆それぞれが道を歩き出した。