2016/06/09 第六十回 平和と突撃
■平和
この国に生まれて当たり前のように平和な日々を過ごしてきたわけだけれど、自分が産まれる30年くらい前にはまだこの国は戦争をしている国だったと言う事を考える事がある。
30年という月日と言うか歳月は、自分の年齢を考えてみれば、遥か前に通り過ぎた時間であって、だから自分の産まれる前の30年というものは、遥に遠い昔の事ではありえない。
「戦争反対!!」
「軍靴の足音が……」
「いつか来た時代」
などと、戦争の脅威と拒絶を今の人々は当然のように語り、そしてそれは自分自身も確かにそうであるとは思う。
出来れば、戦火に巻き込まれたくはないし、殺されたくも殺したくもない。
しかし、当時の人々はどうだったのかとも思う。
もちろん殺したくて、殺されたいと思っていたとは思わないし、今とは政治体制も違い、軍人が強い影響力を持っていた時代であって、情報は統制され、管理され、そして規制されていたのも確かだろう。
今のようにネットがあった訳でもなく、公営放送や検閲された新聞くらいしか人々に情報を得る手段は無かったのだろうけども、そう言う時代に産まれた時に人は意外とその時代の空気に沿って生きるような気がしている。
その時代にも戦争反対を訴えていた人はいるのだろうが、それは単純に平和な日々を訴えて反戦活動をしていたとは思えず、自分の思想主義主張の為の反戦であって、見方を変えればその人達の目的を達成する為の戦争であるならば、彼ら彼女らが反対したとは思えず、むしろ最前線に立って戦ったのではないかなとも思う。
そう言う「運動」レベルの反戦以外に、純粋な平和な日々を求めた反戦というのはどれだけあって、どれだけの活動が行われていたのかは正直解らない。
だからこそ、当時の人々は「こんな時代だから」と手段としての戦争を容認する人々が多数であったのではないだろうか。
だから何が言いたいのかと問われれば、いま現在で作られるその時代の戦争物の物語にどれだけ当時の空気と言うものがリアルに再現されているのであろうかと考えてみると、どの話しも戦後の空気が強く反映されていて、現実には当時の人々のものの考えでは無いのではないかと思う。
もちろん何かが公的に発表される場合に、それがテレビであろうと新聞であろうとネットだろうと、発表するという意志が発生した時点で、そこにそれを世の中に出そうする人々の意志というものが、右であろうと左であろうと、信仰上のものであろうとも何らかのバイアスが掛かっているという事は常識であると言っていい。
そのバイアスが、今の時代と当時の時代とで何が違って、何が同じであろうのかと言う事を、残業飯を食べながら休憩中に考えた。
■突撃
南方戦線の熱帯雨林の中で敵に四方を囲まれて、私が指揮する小隊七名は玉砕の覚悟を決めるに至った。
学徒出陣で徴兵され、准尉として初めて戦地に送られたのに。
「坂下准尉、お覚悟を」
村田軍曹が私と同じように地面に這い蹲った状態で呟いた。
私の父親より年上で、軍歴二十数年で歴戦の猛者である村田軍曹が、ここまでと判断するのであるのならば、援軍などはありえないので状況がこれ以上好転する気配はないだろう。
敵の銃弾が散発的に撃ち込まれる中で私は小隊の皆に声をかけた。
「さて、どうしたらいいかな?」
困った顔でそう言うと、16歳で最年少の山本二等兵が泣きそうな顔で言った。
「准尉、隠れていましょうよ!!夜まで隠れていれば、敵は我々が全滅したと思って退却するかも知れません。無駄に死ぬのは嫌です!!」
「馬鹿野郎、すでに水も食料も弾薬尽きた。援軍も望めない。飢え死にするくらいなら、戦って死んだ方がマシだ!!俺は一人でも行くぞ!!」
そう言って、抜刀したのは片倉一等兵だった。
故郷では極道として少しは名の知れた存在だったらしいが、腹部に受けた銃弾によって、今の我が小隊では一番死に近い。
「暗くなってから敵の包囲網を突破するというのは悪くないんじゃないですか?日没まであと三時間少々。何とかいけるんじゃないですかね。あ、もう弾が無いや」
そんな落ち着いた口調で話しながら、狙撃を続けていたのは地元で猟師をしていたという山田兵長だった。
「准尉の判断に従います」
そう声を揃えて言ったのは双子の佐々木一等兵兄弟だ。
みんなの視線が私に集まる。
「総員、抜刀!!」
私は突撃命令を出す。
先頭を走るのは片倉一等兵だ。
私の後に他の隊員が続く。
どうせいつか死ぬのだ。
私は男子に産まれたのならば、人生で一度は言ってみたいセリフを言ってみた。
「突撃!!」




