2016/03/22 第五回 主人公像
ここ数年の主人公像の流行廃りというか、こう言う主人公が受けていたと言うのがある。
もっと遡れば違う像もあるのだろうけど、解りやすく社会現象ともなった、新世紀エヴァンゲリオンの碇シンジに代表される「セカイ系」という存在。
主人公の選択によって、世界の運命が決まる存在。
もしくは世界の命運を握るヒロインを救う存在。
ここで重要なのは、ヒロインを救う=世界を救うと言う事ではないと言う事です。
碇シンジも一人になった世界ではなく、気持ちわるがれても他者のいる世界を選択する(旧劇場版)
新海誠監督の劇場用アニメ「雲のむこう、約束の場所」では「世界を救うのか、それとも彼女を救うのか」みたいなセリフがあるのですが、要は世界の行く末の選択しなければならない状況に追い込まれる。
その時、主人公が取るべき選択は、当然のように世界ではありません。
主人公が守るべき、一番大事なものです。
セカイ系の次の段階として、「世界もヒロインも全て救う。どっちか選ぶなんて哀しい事を言うなよ。最期に誰かが犠牲になる事なんて無く、みんなで笑顔で迎えられるラストの仕方を選択するするべきなんだ。お前はその努力をしたと、胸を張って言えるのか」みたいな事を平然と説明臭く言う、「とある魔術の禁書目録」の主人公こと上条さんタイプの「敵も味方も最終的には救ってしまう」という主人公像です。
個人的にはこのタイプがとても好きなのですが、正論過ぎると、説教臭くなってしまいます。
でも、セカイ系的な「ネチッ」とした部分もありませんし、非常に好感を持たれるのではないでしょうか。
次に「とくに凄い訳じゃないけど、なんか廻りがいつのまにか解決」系の主人公。
「化物語」の阿良々木暦なんかがその部類なんじゃないかと。
もちろん、阿良々木暦は物語の中において、事件が起きて自分の大切な人々が巻き込まれたり、招き寄せたりすれば、事態の解決にその身の犠牲を顧みずに向かっていくわけですが、そのほとんどの場合、阿良々木暦以外の要素によって根本的には解決してしまう話が多いように思います。
ちょっとジャンルは違いますが、大泉洋主演の映画「探偵はBARにいる」の原作も、主人公の「探偵」が動き回る割に、まったく見当違いの所から事件が解決して、「ここまで読んだのなんだったん?」と思わせる部分がありますが、それはそれでお約束になってくると楽しみになります。
そもそも「探偵はBARにいる」はハードボイルド小説であって、推理小説ではないのですから、それでいいわけです。
最期に「チート」系主人公。
最強にして、最高の主人公。
登場しただけで、物語が完結するレベルです。
「魔法科高校の劣等生」のお兄様。
もはや劣等生じゃないんですが、当然のようにタイトルは変わりません。
「GATE」の伊丹もどちらかと言えばこのタイプですね。
組織の中に属していて、身動きが取りづらい部分とか。
まあ、そんなのも関係無しに主人公属性で解決してしまうわけですが。
ただ、それが最終回まで続かなかったのが「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーですかね。
「銀河英雄伝説」の主人公はユリアンと言う説もありますが、それはそれで物語の奥深さを出しているという。
追記
かって子供の頃、土曜日の夕方と言えばアニメタイムでロボットもののアニメを見たりしていたのですが、ロボットものの主人公と言えば、ある意味主人公の乗るロボットだったりするのが当たり前だと思っていたのですが、ある時から物語の中盤になると主人公がそれまでのロボットから、新しいロボットに乗り換えるという事があって、地味にショックだったりしました。
スポンサーのオモチャを売ると言う目的でしょうが、型落ちしたり、壊れてしまうロボットのリアルさは解るのですが、あまり良い印象は無かったですね。
ザブングルとかエルガイムだったと思います




