2016/05/13 第四十四回 会話
会話というのは物事の思考とか、発想にとても重要であると言う事は誰でも知っている事であると思う。
それがたとえどんなにくだらない話しであろうが、興味のない話しだろうが、そこに一人一人の知識や思考や発見が降り込められていれば、個人個人では見つけられない発見をする事ができる場合があるからだ。
単純に、報告、連絡、相談と言う個人の考えが入りにくい会話をしても、それは情報の交換であるから、意外性のある何かが産まれる可能性はあまりない。
そこに感動は生まれないのである。
感動というのは何だろうか?
ある人は、心の動きであると言う。
Aという心の状態の人が、Bと言う心の状態に変わった時。
感情の振れ幅に人は感動するのだという。
善人が悪人になったり、悪人が善人になったり。
絶望していた人物が、希望を持てるようになる。
泣いて暮らしていた人が、笑顔を取り戻す。
その心の動きの振れ幅が大きければ大きいほど、人は感動するのだそうだ。
そんなわけで、ホウレンソウ以外の会話がほとんど無いと何ら感動のない日々を送る結果となってしまう。
もちろん、テレビや小説やネットや漫画など、感動できるものはあるのだけれど、その感動はある意味で必然であって、予定調和である。
それらは心に動きを与える為に作られたりしているものであって、偶発的に産まれたものではない。
過去のテンプレに則ったものであり、なかなかそれがオリジナル、またはオリジナルに近いものに出会えると言う事は無いのである。
何気ない会話の中に産まれる奇跡。
そんな会話が出来たなら、それをネタにするのに。




