水たまり
齋藤一明様主催の勉強会「法螺會」提出作品。テーマは「鏡」です。
昭和初期から細々と続く居酒屋〝とりやす〟を出て、酒に火照る顔を冷たい外気に晒す。
熱い息を吐き出しながら路地裏を歩くと、夕方には上がった雨が小さな水たまりを幾つも作り、看板の灯りを反射していた。
電柱に立て掛けた自転車の鍵を外すために屈み込むと、塾帰りだろうか? 子供達が笑いながら水たまりを踏みつけて通り過ぎる。街灯に照らされた水たまりに大きな波紋が幾筋も広がり、光の輪が複雑に入り乱れる中で、伸びたり縮んだりしながら反射する自分の鏡像と目が合う。その時、不意に記憶がフラッシュバックしたーー
ーー初めて買ってもらったレインコートと長靴を履いた幼い僕が、待ちに待ってやっと降った雨の中をはしゃぎながら走り回る。ポツッ、ポツッと撥水の効いたコートに雨粒が弾けるのも楽しくて、わざと両手を掲げて沢山の雨弾を浴びて回った。
隣では姉が同じようにキャッキャッとはしゃぎながら、水たまりを〝ビシャッ〟と踏みつけた。僕も真似して〝ビシャッ〟と踏みつけると、二人顔を見合わせてから、水たまりに飛び込んで〝ビシャビシャビシャッ!〟と踏みつける。湧き出すように笑いが止まらず、狂ったように水たまりを踏みつける二人の子供。
そんな単純な遊びが何故か楽しかった。今だにあの時以上の楽しい記憶はないと言える程、底抜けに楽しかった。
しばらくして雨が上がると、水たまりを覗き込む姉。それを不思議に思って、隣に並んで覗き込むと、曇り空をバックに目を輝かせた僕とお姉ちゃんがいたーー
ーー浮き立つような感覚が徐々にうすれ、乱れた水面が鎮まってきたとき、そこには陰にうつむく呆けたような髭面の親父がいた。定かでない焦点は何を見ようとしているのだろうか、それが自分だと気づいた時、滲み出る苦味が胸を締めつける。足元から見つめ返してくる鏡像の瞳の奥は、ポッカリと穴があいた様に空虚だった。
立ちくらみを催すような孤独感が鎮まるのを待って、自転車を押しながら歩く。幾つもの水たまりが裏路地にポツリポツリと光る看板を反射している道すがら、その風景を横目に、何故幸せな幼い頃の記憶が寂寥感をもたらすのかを考えた。
それは今の状況と子供の自分を対比してしまったからだろうか? 確かにあの頃は何の心配も、憂いも無かった。対して今の自分は、歳と共に壊れていく体、疎遠な子供達、数年後に控える定年退職など、心配、憂鬱事ばかりが身に付きまとう。
古びたコートの胸ポケットからハイライトを一本取り出し、火を付けて深く吸い込んだ後、ふぅ〜〜っ と溜息と共に長く吐き出す。冷たい空気が体温と入れ替わり、ボヤけた頭に溜まった澱みを吐き出す事を期待するが、深く根付いた憂さは晴れない。ふと見た路地に見慣れた看板があった。
〝スナック来夢来人〟
どうやら今日は素直に帰れそうにないな。そう観念した私は、ポケットの金を数える。
『四千八百円、まあ何とかなるか』
ポケットから手を抜いた私は、自転車を店先に固定すると、くたびれた革靴をスナックの扉に向けた。