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書き散らしの紙片

ボタン人間

作者: 秋沢文穂

1.

 冬季オリンピックが開催されていたある日のこと。所用をすませ家路へと歩いていると、向こうから金髪の青年がやってきた。すれ違いざまに流暢な日本語で、「エキハドコデスカ」とほほ笑みをたたえて尋ねてきた。その笑みは人を簡単には寄せつけない厳しさがあった。まず最初に目が合った。澄んだブルーの瞳に吸い込まれそうになる。そして肌は白く透明で、眉間には悩ましげな深いしわ、氷山のような高い鼻と、そのかんばせからしてロシア人みたいだ。来日目的はわからないが、ついうっかり住宅街に迷いこんでしまったのだろう。きっと彼はうっかり者のロシア人だ。青年の体からにじみ出る厳しさに負けぬよう、身ぶり手ぶりを交えて説明すると、「アリガトウゴザイマス」と腰を低くしてお辞儀をした。頭を下げているロシア青年を見て、はっとする。

 なんと背中に大きな赤いボタンがついているではないか!

 好奇心が溢れだし思わず腕を伸ばして押すと、彼の足元から白い煙がもくもくと出て、体がふわっと浮き上がり飛んで行ってしまった。


 その翌日。ドアを開けると、飛んで行ったはずのロシア青年が突っ立っていた。彼はひどく困った顔をして、「国に帰りたい」と急に泣き出してしまった。私はなんと言って声をかけたらよいかわからず、慰めるために背中をさすってあげようと彼に触れ、異物がついているのに気付く。異物を押さぬよう手を滑らせた瞬間、青年の体は宙に浮き、慌てふためく。

これでは私のほうがうっかり者ではないか!

慌てている間に北の空へびゅーんと飛び去り、豆粒になってしまった青年に向かって「お達者で!」と別れを告げた。

それにしても、我ながらいい措置だった。


2.

 風の強いある日。街を歩いていると、黒いフェルトでできた山高帽がコロコロと転がってきた。足元に舞ってきた帽子を拾い上げ、持ち主を目で追うと老紳士と目が合った。彼の頭上には大きな赤いボタンがついていた。驚きを押し殺しながら寄って行き、帽子を手渡してあげた。彼は恥ずかしそうにうつむきながら、「かたじけない。穴があったら入りたい」と赤いボタンを自らの手で押した。すると、体はぐるぐる回りだし、地下へと沈んで行ってしまった。


 それから数時間後。突然足元からホコリだらけの老紳士が出現した。彼は怒った顔をして、「手を出せ」と言い終わらぬうち強引に手首をつかまれた。

「手を広げろ」と自棄になった強盗のように命令され、このまま従わないと殺されそうだと自己防衛手段が自動反応し、素直に手を広げた。

 すると、手のひらに南国育ちの真っ白な貝がらが乗せられた。

「帽子を拾ってくれたお礼だ。受け取ってくれ」

 律義に帽子や衣服についたホコリをはらうと、赤いボタンを押して地中へ潜って行ってしまった。


3.

晴れの日曜日。近くの河原を散歩していると、バランスを失った一羽のすずめがひらひらと落ちてきた。すずめはあえぐようにして、羽をバタつかせている。

そのバタつかせている羽には赤いボタンがついていた。

このままだと、野良犬や野良猫、からすの餌食、もしくは自転車やバイクで通りかかった人がひいてしまうかもしれない。

私はこのすずめをそっと持ち上げ、草むらへ放してやり、立ち去ろうとした。

ところが、しっぽの先に赤いボタンのついた猫がのんびりやってきて、どこかへくわえて行ってしまった。


4.

私は気付いてしまった。何たることだ! この世の中はボタンだらけではないか!

人間、犬、猫、カラス、蝶々、等々。バラの棘にすらボタンがついている。

もはや動植物だけではない。信号、自販機、インターフォーン、非常ベル、エレベーターの昇降ボタンなどなど。ボタンだらけではないか!

なのに私にはボタンが一つもない。私が異常体質なのだろうか。それとも、欠陥人間なのだろうか。ただ悲嘆にくれるしかなかった。


 自分にはないボタンの存在を確かめようと鏡をのぞいた。すると、右頬の中央に赤く腫れあがった突起物のようなついている。

 散歩中気にはなっていたのだが、頬の辺りがジンジンと痛み熱っぽかったことに。これはきっとボタンが生えてくる前触れだったのだろう。

 赤みの大きさは直径一センチぐらい。真ん中は白くとがっている。このとがりが赤く変色し、憧れのボタンに変わっていくに違いない。

 ああ、憧れの赤いボタン! このボタンを押せば、空を飛んだり、地下にもぐれるのだろうか。いやいや、そうとは限らない。人それぞれだから、もしかしたら瞬間移動できるかもしれない。ということは混雑した電車に乗らなくても学校へ行けるぞ。

 早速、喜び勇んで押してみると、白濁色の液体がどろり、と流れ落ちた。


5.

 脳天に鋭い痛みを覚え目を開けると、鬼のような形相をした先生が私をにらみつけ見下ろしていた。

「夢の中はどうだった?」

 語気が荒く、お怒り心頭である。この怒りのパワーで、空を飛べるか、地下に潜れそうなくらいだ。

 先生の迫力に押され、おびえながら「すみません」と返すのが精いっぱい。

「いいご身分だな」

 ぎろりと先生の目玉が私を突き刺す。もうそれだけで、大量出血で死んでしまいそうだ。

「本当にお前はいつになったら、やる気が出るんだ!」

 フィニッシュとばかりに唾しぶきがかかるほど、怒鳴りつけられてしまった。

 やる気か、とぼんやり考える。はたと脳裏にひらめいた。

 そうか! 私は大きな赤いボタンよりも、やる気スイッチのほうが欲しかったのか。


(了)

 やる気スイッチを押したくても押せないので書いてみました。

 というのもありますが、ふとひらめいたのでツイッターノベルとして書き出したのがきっかけです。

 冒頭にもありますが、オリンピックが開催され、ロシアにちなんだコントっぽいものを書こうとしてこうなりました。

「1.」の落ちがいい例だと思います(恥)

 当初、シュールなものを目指してましたが、結局ユーモア小説になってしまいました。

 それで、書きあがって私のやる気スイッチは相変わらず見当たりません。

 どなたか探してください! 見つけてくれた方にはもれなく賞金を、とわかりやすい冗談はさておき。140字以内で表現することの難しさを思い知りました。

 こんな感じで、今年はショートショートをのんびり気ままに書いていこうと思っております。

 最後までお付き合い下さりありがとうございました。

 そしてパラリンピックも始まりましたので、がんばれニッポン選手たち!


 秋沢文穂拝

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