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Parallel Universe  作者: すずめ
第一章 黒髪姫
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6

 涼しくなった夕暮れ時にシエルの待つバルコニーに現われた少女は袖のふくらんだ濃紺のドレスを着ていた。艶やかな黒髪をドレスと同じ色のリボンでおさえた少女はシエルの目にも可愛らしく映った。警戒している様子が小動物のようだった。

「逃げてしまって、本当にごめんなさい。」

「こちらこそ、いきなり会いに来たりして、ごめん。無神経なことをしたと思っているよ。」

柔らかな声に紛れもない後悔といたわりの念が込められていることにシャンティは驚いた。

(人は変わるものなのね。)

「君を傷つけてしまったことは本当に後悔しているよ。でも、あれは僕の本心じゃなくて・・・ああ、クソ!上手く言えないな。」

苛立ったように悪態をついたシエルは高貴な王子ではなく、不器用な少年に見えた。頬を赤く染めたシエルは戸惑っているシャンティをちらりと見た。

「とにかく、僕は素直じゃなかった。ただ君の注意を引きたかったんだ。君が、その、とても可愛かったから。」

シエルは硬直しているシャンティを熱っぽく見つめた。

「僕は本気だよ。前から君のことが気になっていたけれど、綺麗になった君を見て、ますます確信したよ。君が好きだ。僕と婚約してほしい。」

 シャンティは何と答えたらいいのか分からなかった。御伽噺の中では、乙女は思いを寄せる騎士や王子に愛を告白されるのだから、もちろん同じ思いを返せる。しかし、今の自分はシエルに対して以前のような嫌悪を持っているわけではないが、良い意味で特別な感情を抱いているわけではない。かといって、一刀両断に断ってしまうのも悪い気がする。経験不足で、すっかりまいってしまったシャンティにシエルは優しく微笑みかけた。

「返事は急がない。それよりも時々こうして会ってほしいんだ。色々話をして、お互いを知っていこう。僕は何度でも君に婚約を申し込むよ。」

 


********



 ユサビアの第二王女とゲバルの第四王子の交際は順調に続いた。シエルは空白の時間を埋めるように頻繁にユサビアを訪れた。熱心な姿に心を打たれたシャンティも次第に打ち解けるようになっていった。年齢も一つ違いの二人は話が合い、楽しい時間を過ごすことができた。大抵の場合、世間知らずのシャンティが大陸の情勢や社交界の話を聞く側だったが、シャンティの大好きな本の話をする時は、シエルが耳を傾けた。

 木の葉が色づく季節になると、親密に語り合う若い王女と王子の姿が城のあちこちで見かけられるようになった。引っ込み思案な第二王女の縁談に頭を悩ませていた国王夫妻は仲睦まじい二人の報告を受けて安堵した。パズマ城では、新年までに二人の婚約が発表されるだろうと噂されていた。

 パルコ湖への遠乗りを提案したのはシエルだった。楓の紅葉で有名なパルコ湖は秋になると、観光スポットになる。露天の店が出て、名物の糖蜜で作った様々なお菓子が売られる。

 シャンティは、話に聞いて、憧れていたものの、今まで一度もパルコ湖へ行ったことがなかった。シエルに話したところ、国王に王女を連れ出す許可と取ってくれた。

 秋晴れの朝、シャンティは珍しく鏡を覗きこんでいた。鏡に映る見知った少女は、興奮で頬をばら色に染めていた。白地に藍色の小さな花が散ったドレスは普段着ているものと違って、厚ぼったい生地で作られていた。薄いピンク色のボンネットに黒髪を押し込み、黒い編み上げ靴を履いたシャンティはまるで町娘のように見えた。無駄な混乱を避けるためにパルコ湖へお忍びで行くことになったシャンティはシエルに渡された庶民的なドレス(ワンピースではないのが残念だった)が、うれしくて仕方がなかった。国王夫妻から贈られる贅を尽くしたドレスもこれほど彼女を喜ばせたことはなかった。

「シエル様が姫様と二人きりでお出掛けになりたいとおっしゃったそうですね。そろそろ、もう一度正式なプロポーズを頂けるのでしょうか。」

 昼食を詰め込んだ籐のかごを手に提げて入ってきたエバは、シャンティの身だしなみを入念にチェックをしながら、熱心な口調で言った。

「エバったら!」

顔を真っ赤にして振り向くと、エバが満面の笑みを浮かべている。

「エバは本当にうれしゅうございます。老いた婆の唯一の楽しみは姫様の花嫁姿を拝見することですからね。」

「まだ、早いわよ。」

 シャンティは、両手でボンネットの縁を掴んで、赤くなった耳を隠すように引き下げた。シャンティ自身もなんとなくだが、予感があるだけに過剰に反応してしまう。

(でも、本当にプロポーズされたら、なんて答えればいいのかしら・・・というか、わたくしはシエル殿のことをどう思っているの?好意は、持っているのよ。申し分ない紳士だし、素敵な方だもの。昔のことも今ではどうでもいいことに思えるわ。でも、本当に好きなのかしら?心から?)

 自問自答を繰り返してみたが、結論に達しなかった。相談しようにも姉のミーシャは時期国王になる予定の夫と共に大陸中をお披露目に回っている最中である。ハネムーン旅行も兼ねてなので、かれこれ三ヵ月以上会っていない。手紙に書くのでは、心もとない気もした。両親の国王夫妻は全面的に賛成するだろうから、あまり良い相談相手にならないだろう。すると、残るは一人だけ。とび色の髪を思い浮かべたが、頭を振った。

(リンは絶対にダメ!第一、恥ずかしいもの。わたくしったら、あんなことを言ってしまうなんて、本当に馬鹿な子よね。)

 逆プロポーズ発言をして以来、リンとはまともに口を利いていない。シエルの付き添いとして、度々ユサビアを訪れていることは知っていたが、なんとなく避けてしまっていた。以前に聞かされた彼自身の縁談もかなり順調に進んでいるようで(お相手は、ゲバルの南西にある国ナビゲイルの第三王女だと小耳に挟んだ)、避けるような態度を取るシャンティにリンも話しかける気はないようだった。長く続いた友情が、あっけないほど簡単に消えていくのをただ見送るシャンティは淋しく思いながらも、どうしようもなかった。

(シエル殿を愛しているのかどうか決めるのは、わたくしだわ。)

 ゲバル第四王子の到着を知らせるドアのノックが聞こえた。

 無造作に生える木々の葉はどれも違った色をしていた。目の覚めるような赤。穏やかで暖かいオレンジ。元気に明るい黄色。季節に取り残されたように意固地に緑を留める木々もあった。切り立った崖から砂糖楓の林を一望した時、まるで鮮やかに染められた絨毯のようだとシャンティは思った。

 壮大な遠景を堪能し、高台から降りたシャンティ達はパスコ湖へ馬を進めた。ピーナッツ型をした湖の周りは活気と甘い香りに溢れかえっていた。

「名物のメイプルリーフだよ。食べるかい?」

 露天で売られる名物菓子に釘付けになっていると、馬を預けてきたシエルに話しかけられた。食い意地の張った女だと思われたかもしれないと考えたシャンティは紅葉した楓と同じくらい赤くなったが、甘い香りの誘惑に逆らえず、小さく頷いた。クリームをたっぷり挟んだワッフルは生地の中に糖蜜が練りこんであり、ほんのりとした甘みがあった。

「とても美味しい。お母様やエバにも食べさせてあげたいわ。」

「パスコ湖の糖蜜はべとつかない甘みが魅力だからね。」

 ワッフルを堪能した後、二人はけん騒から離れた人気のない林を歩くことにした。シャンティはシエルを見上げた。シャンティよりいくらか背の高い少年は、彼には珍しいことに、重々しい表情を浮かべる。どうしたなどと気の利いた台詞をかけてやるほどシャンティも落ち着いていなかった。いよいよだろうかという考えが頭の中を駆け巡る。

「ときにシャンティ。君は南方の国をどう思う?」

「え?」

虚を突かれたシャンティはかすれた声で聞き返した。

「南方の国だよ。君は本が好きだから、よく知っているんじゃないかな。」

「よくという程でもないけれど。南方にはシャガールという炎の都があると聞きます。」

シャンティの答えはシエルを満足させたらしかった。シエルはシャンティの肩に腕をまわした。

「そうだよ。君の大好きな本に出てくるような神秘的ですばらしい国だ。魔法の絨毯。輝く宝石の山。闇夜に目を光らせる盗賊団。」

 高ぶった口調で話すシエル。シャンティは、少々意外だった。いつも穏やかな微笑をたたえているシエルだが、今日は一体どうしたというのだろう。

「シャガールでは、何百年に一度、月が赤く染まる日があるそうなんだ。穏やかな黄色い月が鮮烈な赤に染まる。」

シエルは一呼吸置くと、シャンティを見つめた。

「ねえ、シャンティ。行ってみたいと思わないかい?炎の都を赤い月を見てみたいと思うだろう。」

 シャンティは素直に頷いた。神秘的な都を闊歩する自分の姿が目に浮かんだ。それは本の中で乙女と勇者が結ばれる瞬間を思い浮かべるよりも遥かに魅力的なことのように思えた。普段からたいへんな空想家の少女は瞳を輝かせた。

「行ってみたいです、シャガールへ。」

少年は、口元を歪ませた。

「ならば、連れ行ってあげる。」

闇の呪文が囁かれる。シャンティは首筋に鋭い痛みを感じた。

「シエル、あなたはやっぱり」

 シャンティの言葉は続かなかった。シエルの顔に浮かぶ軽蔑と嘲笑に不思議と驚きを感じなかった。その悪意はずっと昔から少年のものであったということを心の底では分かっていたのかもしれない。それよりも残念なのは「彼」に会えないだろうことだった。

薄れていく意識の中で、シャンティが最後に見たのはここにはいるはずもない鳶色の髪をした青年だった。

「約束通り、黒髪姫を与えよう。謝礼はなるべく早く支払っていただきたい。」

気を失ったシャンティを腕で支えたシエルは木立に向かって話しかけた。木陰からするりと背の高い男が現れた。

「仰せのままに。」

気絶している少女をシエルから受け取った男は頭を下げると、音もなく姿を消した。



*********



 リン・ソマール・バトムは名前を呼ばれたような気がした。しかし、目に映るのは静まり返った部屋だけだった。明らかに空耳だろうが、不吉な予感がする。リンが首をひねっていると、突然ドアが強く叩かれた。

「入っていいぞ。」

そう言い終わるか終らないかの内に、白髪の男が飛びこんできた。

「どうした、アルフレッド。そんなに慌てて。少し落ち着いたらどうだい。」

物心つく前からの世話役をリンは呆れたように見つめた。しかし、アルフレッドの方は口をぱくぱくと魚のように動かすばかりである。

「おお、落ち着いてなんかいられますか。一大事です、リン様。シャンティ様が何者かに連れ去られたとの知らせが入りました。」

リンは一瞬耳を疑った。

「今、シャンティが連れ去られたと言ったのか?」

「はい。シエル様とパルコ湖へ遠乗りに出かけられ、その時に襲われたとの話です。すぐにお出かけになりますのなら、馬を準備いたしますが?」

「ああ、頼む。」

リンは混乱した頭でなんとか返事をした。

 リンが駆けつけた頃、パズマ城は重苦しい雰囲気に包まれていた。第二王女誘拐の一報を聞きつけた国王夫妻は重臣達を集め、緊急の会議を取り行っていた。衛兵の制止を振り切って、閣議の間に飛び込んだリンは眼前の光景に息を飲んだ。王妃は泣き崩れ、寄り添うように座っているエバはいつもの覇気がなく、悲痛の表情を浮かべていた。国王は手で顔を覆って、沈黙していた。

「一体、何があったのですか!国王陛下、現状をお聞かせ下さい。」

挨拶をすっ飛ばしたリンの発言に顔を上げた国王は絞り出すような声で答えた。

「おお、リン。シャンティが、私の黒髪姫が。」

「一つの手がかりも残っていないのでしょうか。」 

国王は、力なく首を横に振った。リンは、唇を強く噛むと、頭を下げて、足早に閣議の間を退出した。

「いやだな。そんな怖い顔をしないでくれよ。」

シエルは、ベットから起き上がると、自分を睨みつける鳶色の髪の青年を見上げた。

「自分のしたことがわかっているのか。」

「ひどいな。僕だって、頭を殴られたんだ。」

「シャンティはどこだ?」

リンは弟の胸倉を掴んだ。

「知らないって言っただろう。」

(あの子が怯えている。きっと泣いている。)

リンは床に膝をついて頭を垂れた。何でもする、と彼は低い声で呟いた。

「シャンティを返してくれ。頼むから。傷つけないでくれ。」

シエルは、床に突っ伏して懇願する青年を冷めた目で見下ろしていた。



********



 ゴトゴトと揺れる馬車の中で、シャンティは目覚めた。幌馬車の荷台に乗せられているようだ。頭が重く、体中が痛んだ。しかし、それらの苦痛は生きている証だった。腕を拘束されているが、足は自由に動く。幌の中に人の気配はない。

(逃げなくちゃ!)

シャンティは、本能的にそう思った。御者が慎重派なのか、カーブを曲がるときに馬車の速度が格段に落ちる。その瞬間を狙って外に飛び出そう。シャンティは荷台の端に身を寄せた。速度が急激に落ちていく瞬間がくると、シャンティは躊躇せずに幌馬車の外に転がり出た。地面に叩きつけられる衝撃を覚悟していたので、目を閉じて身を固くていた。ところが、衝撃がなく、感じるのは浮遊感だった。

(浮いてる?)

 シャンティは恐る恐る目を開けた。頭上に幌馬車らしき白い影が見えた。険しい山道を進んでいく馬車は、遥か遠くにある。

(ちょっと、嘘でしょう!?)

 シャンティは己の向こう見ずな行動を後悔した。シャンティの体は急降下していた。切り立った崖に落ちないようにわざわざ速度を落として走っていた馬車から自ら崖の方へ飛び出してしまったのだから。

 どこまで落ちていく。シャンティは覚悟を決めた。

(今度こそ、死ぬんだわ。お母様、お父様、馬鹿な娘でごめんなさい。お姉様、どうかナイツ様といつまでもお幸せに。リン、いつもわがまま言ってばかりで、ごめんね。ずっと傍にいてくれて、ありがとう。好きよ。わたくしは、リンが大好き!)

大切な人々への想いが胸に溢れた瞬間、空中に巨大な穴が現れ、少女の体は光の中に吸いこまれていった。

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